4-2:そうは思わんか?

 とととと、と音を立てて注がれるのは炭酸水。晩餐会となれば形式はフルコース。本来ならば食前酒アペリティフなどが振る舞われるのだろうが、一人を除く比較的若い参加者達への配慮もあるのだろう。花菱自身も二十一歳と酒の味を覚えたばかり、また酒精アルコール自体が苦手な者も少なくない。


 一通り飲み物ドリンクを注ぎ終えると、クレアの手で本格的に料理が運ばれてくる。


 まずは付出しアミューズ、丁寧な盛り付けは目に鮮やかで、厨房にいるだろうクロエのセンスが光っていた。そして運ばれてくる前菜オードブル、ポタージュと続いて、魚料理ポワソン

 そこまで来たところで、花菱はもう気が気でなくなってきていた。


 どのような状況下であれ、人間である限り腹は空くし喉は渇く。

 だが真に重要なのは、いかなる場面であれどそれらを楽しむ鈍感さであると、身に染みて感じられるのだ。


(アイツ……、泡吹いて倒れそう……)


 視線の先には二つ右隣、癖っ毛の彼。

 青い顔で碌に味も分かっていないのだろう。染みついた最低限のマナーを守りつつ、ロボットダンスが如く機械的な仕草で口元に食事を運び続けているのである。

 その元凶たるノイシュはといえば。


「ふむ、このスープは美味いの」

「お褒めいただき大変光栄でございます」


 満足そうに食事を楽しみ、時折クレアを呼び止めて料理について言葉を交わす。イズミやセレーナは慣れているのか綺麗な所作で食事を楽しみ、クリストヴァルは両隣をちらちらと様子見しつつ舌鼓を打っていた。


 カトラリーの小さな音だけが響き、進行する晩餐会。

 口直しソルベが運ばれて小休止といったところで。


「全くお行儀がよくて、つまらんなぁ」


 ノイシュがくくく、と笑みを溢しつつ、口火を切った。


「そうは思わんか? カーティスの長男坊よ」

「……どうぞイズミ、とお呼びください」


 バリトンボイスの安定した切り返しに、ヒュッと息を呑む声がした。癖毛の青年の喉が鳴ったのである。男は顔色のみならず、唇も真っ青になっている。


(大丈夫なのか、アレ……)


 それでもスプーンを落とすことはせず、ソルベを掬ったまま空中で静止している様は最早彫像のようにさえ見えた。


御前おんまえでは致し方なきことかと思いますが」

「しかしのう。あしとて人間ひとの子なれば、こう、みなとの世間話に花の一つや二つや三つや四つや……」

「咲かせすぎかと」

「……つれないのう。ちょーっとお茶目なところを見せただけじゃというのに」


 そこまで会話が進んだところで、今度はふふっという吐息の音。面々の視線が集まる先、セレーナは思わずといったように弧を描いた口元を手で隠す。


「も、申し訳ありません……! 微笑ましくて、つい」

「良い良い、構わぬ」


 恥ずかしげに言葉を紡がれるソプラノに、満足げに、そして鷹揚にノイシュは頷きで返す。何とも毒気を抜かれるような可憐な女性と美しい少女の掛け合いに、ひりついた空気が和らぐのは言わずもがな。


「食事とは楽しむもの、肩の力を抜いて味わおうぞ」

「……はい!」


 見計らったような肉料理ロティの登場に、会話は一区切りとなる。

 最後の一口、ソルベを味わってから視線を走らせる花菱。癖毛の青年は血色が少しだけよくなり、体の動きもスムーズに。クリストヴァルも少し警戒しているものの、肩の力が抜けている。


(上手いな……年の功、というヤツか)


 物怖じしないイズミと、魔術師らしからぬセレーナを舞台装置にした即席の自己演出。威圧感をコントロールしつつ場の空気を軽く、そして畏怖に近い警戒心を人間らしさを示すことで和らげたのだ。


「ホント、見事な盛り付けね」

「美味しそう、です……!!」


 今や静寂だけであった大広間が、小声ながらも料理への感嘆の声が聞こえるくらいにリラックスしたものになっている。


(隠居の身といえど、精霊主義Spiritualismの重鎮。侮れないな)


 最小の仕掛けで、最大の効能を発揮する。ベルリッジの手腕のはるか上をいく自然な流れに、舌を巻くと共に利用される危険を感じた花菱であった。


 肉料理ロティが平らげられれば、次に生野菜サラド、フロマージュが運びこまれ、フルコースも終盤へ差し掛かる。

 品数が多いものの一品の量が少ないフルコース。森を走り回ったり、同僚を担いだりといった活動をこなした花菱としては、お腹が膨れるか心配なところであったが実際問題なく。


(意外と膨れるもんなんだなー)


 計算された料理の順番と出されるタイミングもあり、しっかり腹六分目である。

 残すところはお待ちかねの甘味のみ。カトラリーの交換にグラスの回収を進められつつ、さっぱりとした果物フリュイが出される。

 ティーカップと共に運ばれてくるは、チョコレートの甘いお菓子アントルメ


「紅茶はアールグレイとアッサムをご用意しております。皆様、お好きな方をお申し付けください」

「……これはこれは、腕利きの菓子職人パティシエールじゃのう」


 思わず写真を撮りたくなるような、黒いチョコ細工の蝶が羽ばたくアントルメ。食べるのが勿体無いとは思いつつも、その口どけの良さと上品な甘さに手が止まらない逸品であった。

 最後の締めくくり、と運び込まれたのは珈琲カフェ小さなお菓子プティフール。様々なアレンジの焼き菓子が並び、エスプレッソがふわりと香りを立てる。


 そして、和らいだ空気の中。円卓テーブル上にプティフールが無くなった頃。


「お食事をお楽しみのところ、失礼致します」


 大広間に揃ったクレアとクロエがセレーナの背後に並び立ち、声を上げた。進行役の登場に、候補者はそれぞれ椅子ごと正対するようにして視線を向ける。


「改めてご挨拶いたします。コルテンティア家が家政婦メイド、クレア・クライツレンと」

「クロエ・クライツレンでございます。本日はお集まり頂き、有難うございます」


 言葉を切ると、双子の家政婦メイドが寸分違わぬ揃った一礼を披露した。


「それでは、進行役でありますわたくしたちから」

「レイラ・コルテンティアの言付けにより、この場をお借りして」

「「明日から皆様に取り組んでいただく、選考会の内容について発表を行いたく存じます」」

(……来た)


 辺りに漂っていた珈琲のかんばしい香りを吹き飛ばすように、それぞれの面持ちに緊張が走ったのは言わずもがな。大広間がしん、と静寂に包まれた。


「皆様に取り組んでいただくのは」


 ヴィクトリアンメイドの口から紡がれる内容。それは。


「この館にどこかにある、ただ一冊の」

「――を、見つけ出すことです」


 ある者は息を呑み、ある者は怪訝そうな顔をし、ある者は事も無げにエスプレッソを口に運ぶ。花菱の脳裏に思い浮かぶ、おびただしい量の蔵書の中から本を見つけ出す。数日かかる可能性がある、という手紙の文言にも納得がいくものであるが。


「……随分と、曖昧な表現をするわね?」


 響くは、ハスキーな声音。誰しもが思ったことを代弁したのは、クリストヴァルであった。奥歯に物が挟まったかのような、妙にぼかした言い方。花菱にとっても引っかかる物言いである。


「まあまあ、そう急くな。彼女らにも考えがあるということじゃろうて」


 ノイシュがけろりとした表情で宥めると、その傍らにクレアとクロエが顔を見合わせる。瞳を併せて頷きあった後に、クロエが口を開いた。


「その本とは、日記でございます」

「……日記、とな」


 片眉を上げて言葉を繰り返すノイシュに、双子は揃って頷きで返した。イズミと花菱はちらりと視線を交わし、クリストヴァルは視線を鋭くする。


「はい。日々、この館で魔術書の執筆に明け暮れる傍ら、レイラ様は習慣として日記を書いておられたとのこと」

「魔術師として修業を積んでいた頃からの日課だったそうです。一日も欠かすこと無く、日が暮れる頃にこころうちを書き記していたのだと」

「……ひとつ、質問してもいいかな」


 メゾソプラノが声を上げれば、視線が集まる。大勢に注目されることに慣れておらず、どうにも感じるむず痒さに耐える花菱。


「はい、エリ・花菱様。どうぞ」

「有難う。――全て伝聞形で話しているのには、理由があったりする?」


 はっきりと音に出せば、息を呑む音が耳に届く。

 説明を催促され答えた内容。それが全て、情報としてしっかりしているようで最終的には確信のない言葉尻が付きまとっている。

 文学の城、言葉に通づる館仕えの家政婦メイド。更に仕える相手が言葉を紡ぐことを生業とするならば、口を衝く言葉は正しく心を映し出す。


「……ええ、ございます」


 無表情の中、困ったようにクレアとクロエの目が伏せられた。当たりである。


「かれこれ十年以上お仕えしていおりますが、くだんの日記について」

わたくしたちですら、のです」

「蔵書の整理なども行っておりますが……一度いちど、たりとも」


 日記。私的プライベートな言葉を秘匿すること自体には理解できる部分があるが、その存在自体を家政婦メイドが確信できないまでに隠匿している。


(秘密の本、か)


 結果こうどうには必ず原因りゆうが存在する。クレアとクロエが知らない、十年以上前に起因する何かがレイラ・コルテンティアにはあった。


「だからこそ、レイラ・コルテンティアは定めたのではないでしょうか」

を、見つけるようにと。これが、選考会が皆様に提示する課題でございます」


 他に質問はございますでしょうか。

 話を引き結ぶような言葉に、それぞれが思案する顔つきへと変わる。晩餐会は選考会における最初で最後の共通行事。つまりはこれ以降、彼女らから働きかけるような場面は存在せず、質問を受けるような時間もないということだろう。


「じゃあ、アタシから。見つけるってことだけれど、最終的な判断はどんなアクションにとって判定されるのかしら?」

「発見されたものをわたくしかクロエにお渡しください。中身を精査し、レイラ様の日記であると断じられた時点と致します」

「分かったわ。有難う」

「進入禁止区域はあるか?」

「基本的にはございません。しかし、皆様個々の私室プライベートルームは、部屋主の許可を得て入室するようお願い致します」


 クリストヴァル、イズミと順に発される質問に、淡々と返ってくる答。

 それきり押し黙った候補者の面々を前に、ただ壁掛け燭台の火が揺れる。きっかり三十秒、家政婦メイドは懐中時計で時間の経過を待ってから。


「それでは以上を持ちまして晩餐会を終了いたします」

「以降、食事等生活面における問題にのみ対応致します」

「「皆様のご健闘を、お祈り申し上げます」」


 そう告げると、大広間の扉を開放して下がっていった。

 どうやらこの後は流れ解散ということらしい。イズミやセレーナとアイコンタクトを交わし、立ち上がろうとしたその瞬間。


「では、あしからここで一つ宣言を」


 見計らったかのように、ノイシュがぴんと張り詰めた声を上げる。

 場の空気を和らげるために使ったノイシュとしての声ではなく、長きに亘り魔術界にて派閥を引っ張ってきたエルンディア当主としての声に近いそれ。

 肌で感じるひりつきのような圧力プレッシャーに、意識的に呼吸を行う面々。誰一人として昏倒しない様子に楽しげに微笑を浮かべ、ノイシュは朗々として言葉を放った。


「ノイシュ・ファン・エルンディアは、――


 と。

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