4-2:そうは思わんか?
とととと、と音を立てて注がれるのは炭酸水。晩餐会となれば形式はフルコース。本来ならば
一通り
まずは
そこまで来たところで、花菱はもう気が気でなくなってきていた。
どのような状況下であれ、人間である限り腹は空くし喉は渇く。
だが真に重要なのは、いかなる場面であれどそれらを楽しむ鈍感さであると、身に染みて感じられるのだ。
(アイツ……、泡吹いて倒れそう……)
視線の先には二つ右隣、癖っ毛の彼。
青い顔で碌に味も分かっていないのだろう。染みついた最低限のマナーを守りつつ、ロボットダンスが如く機械的な仕草で口元に食事を運び続けているのである。
その元凶たるノイシュはといえば。
「ふむ、このスープは美味いの」
「お褒めいただき大変光栄でございます」
満足そうに食事を楽しみ、時折クレアを呼び止めて料理について言葉を交わす。イズミやセレーナは慣れているのか綺麗な所作で食事を楽しみ、クリストヴァルは両隣をちらちらと様子見しつつ舌鼓を打っていた。
カトラリーの小さな音だけが響き、進行する晩餐会。
「全くお行儀がよくて、つまらんなぁ」
ノイシュがくくく、と笑みを溢しつつ、口火を切った。
「そうは思わんか? カーティスの長男坊よ」
「……どうぞイズミ、とお呼びください」
バリトンボイスの安定した切り返しに、ヒュッと息を呑む声がした。癖毛の青年の喉が鳴ったのである。男は顔色のみならず、唇も真っ青になっている。
(大丈夫なのか、アレ……)
それでもスプーンを落とすことはせず、ソルベを掬ったまま空中で静止している様は最早彫像のようにさえ見えた。
「
「しかしのう。
「咲かせすぎかと」
「……つれないのう。ちょーっとお茶目なところを見せただけじゃというのに」
そこまで会話が進んだところで、今度はふふっという吐息の音。面々の視線が集まる先、セレーナは思わずといったように弧を描いた口元を手で隠す。
「も、申し訳ありません……! 微笑ましくて、つい」
「良い良い、構わぬ」
恥ずかしげに言葉を紡がれるソプラノに、満足げに、そして鷹揚にノイシュは頷きで返す。何とも毒気を抜かれるような可憐な女性と美しい少女の掛け合いに、ひりついた空気が和らぐのは言わずもがな。
「食事とは楽しむもの、肩の力を抜いて味わおうぞ」
「……はい!」
見計らったような
最後の一口、ソルベを味わってから視線を走らせる花菱。癖毛の青年は血色が少しだけよくなり、体の動きもスムーズに。クリストヴァルも少し警戒しているものの、肩の力が抜けている。
(上手いな……年の功、というヤツか)
物怖じしないイズミと、魔術師らしからぬセレーナを舞台装置にした即席の自己演出。威圧感をコントロールしつつ場の空気を軽く、そして畏怖に近い警戒心を人間らしさを示すことで和らげたのだ。
「ホント、見事な盛り付けね」
「美味しそう、です……!!」
今や静寂だけであった大広間が、小声ながらも料理への感嘆の声が聞こえるくらいにリラックスしたものになっている。
(隠居の身といえど、
最小の仕掛けで、最大の効能を発揮する。ベルリッジの手腕のはるか上をいく自然な流れに、舌を巻くと共に利用される危険を感じた花菱であった。
品数が多いものの一品の量が少ないフルコース。森を走り回ったり、同僚を担いだりといった活動をこなした花菱としては、お腹が膨れるか心配なところであったが実際問題なく。
(意外と膨れるもんなんだなー)
計算された料理の順番と出されるタイミングもあり、しっかり腹六分目である。
残すところはお待ちかねの甘味のみ。カトラリーの交換にグラスの回収を進められつつ、さっぱりとした
ティーカップと共に運ばれてくるは、チョコレートの
「紅茶はアールグレイとアッサムをご用意しております。皆様、お好きな方をお申し付けください」
「……これはこれは、腕利きの
思わず写真を撮りたくなるような、黒いチョコ細工の蝶が羽ばたくアントルメ。食べるのが勿体無いとは思いつつも、その口どけの良さと上品な甘さに手が止まらない逸品であった。
最後の締めくくり、と運び込まれたのは
そして、和らいだ空気の中。
「お食事をお楽しみのところ、失礼致します」
大広間に揃ったクレアとクロエがセレーナの背後に並び立ち、声を上げた。進行役の登場に、候補者はそれぞれ椅子ごと正対するようにして視線を向ける。
「改めてご挨拶いたします。コルテンティア家が
「クロエ・クライツレンでございます。本日はお集まり頂き、有難うございます」
言葉を切ると、双子の
「それでは、進行役であります
「レイラ・コルテンティアの言付けにより、この場をお借りして」
「「明日から皆様に取り組んでいただく、選考会の内容について発表を行いたく存じます」」
(……来た)
辺りに漂っていた珈琲の
「皆様に取り組んでいただくのは」
ヴィクトリアンメイドの口から紡がれる内容。それは。
「この館にどこかにある、ただ一冊の」
「――とある本を、見つけ出すことです」
ある者は息を呑み、ある者は怪訝そうな顔をし、ある者は事も無げにエスプレッソを口に運ぶ。花菱の脳裏に思い浮かぶ、
「……随分と、曖昧な表現をするわね?」
響くは、ハスキーな声音。誰しもが思ったことを代弁したのは、クリストヴァルであった。奥歯に物が挟まったかのような、妙にぼかした言い方。花菱にとっても引っかかる物言いである。
「まあまあ、そう急くな。彼女らにも考えがあるということじゃろうて」
ノイシュがけろりとした表情で宥めると、その傍らにクレアとクロエが顔を見合わせる。瞳を併せて頷きあった後に、クロエが口を開いた。
「その本とは、日記でございます」
「……日記、とな」
片眉を上げて言葉を繰り返すノイシュに、双子は揃って頷きで返した。イズミと花菱はちらりと視線を交わし、クリストヴァルは視線を鋭くする。
「はい。日々、この館で魔術書の執筆に明け暮れる傍ら、レイラ様は習慣として日記を書いておられたとのこと」
「魔術師として修業を積んでいた頃からの日課だったそうです。一日も欠かすこと無く、日が暮れる頃に
「……
メゾソプラノが声を上げれば、視線が集まる。大勢に注目されることに慣れておらず、どうにも感じるむず痒さに耐える花菱。
「はい、エリ・花菱様。どうぞ」
「有難う。――全て伝聞形で話しているのには、理由があったりする?」
はっきりと音に出せば、息を呑む音が耳に届く。
説明を催促され答えた内容。それが全て、情報としてしっかりしているようで最終的には確信のない言葉尻が付きまとっている。
文学の城、言葉に通づる館仕えの
「……ええ、ございます」
無表情の中、困ったようにクレアとクロエの目が伏せられた。当たりである。
「かれこれ十年以上お仕えしていおりますが、
「
「蔵書の整理なども行っておりますが……
日記。
(秘密の本、か)
「だからこそ、レイラ・コルテンティアは定めたのではないでしょうか」
「直筆の日記を、見つけるようにと。これが、選考会が皆様に提示する課題でございます」
他に質問はございますでしょうか。
話を引き結ぶような言葉に、それぞれが思案する顔つきへと変わる。晩餐会は選考会における最初で最後の共通行事。つまりはこれ以降、彼女らから働きかけるような場面は存在せず、質問を受けるような時間もないということだろう。
「じゃあ、アタシから。見つけるってことだけれど、最終的な判断はどんなアクションにとって判定されるのかしら?」
「発見されたものを
「分かったわ。有難う」
「進入禁止区域はあるか?」
「基本的にはございません。しかし、皆様個々の
クリストヴァル、イズミと順に発される質問に、淡々と返ってくる答。
それきり押し黙った候補者の面々を前に、ただ壁掛け燭台の火が揺れる。きっかり三十秒、
「それでは以上を持ちまして晩餐会を終了いたします」
「以降、食事等生活面における問題にのみ対応致します」
「「皆様のご健闘を、お祈り申し上げます」」
そう告げると、大広間の扉を開放して下がっていった。
どうやらこの後は流れ解散ということらしい。イズミやセレーナとアイコンタクトを交わし、立ち上がろうとしたその瞬間。
「では、
見計らったかのように、ノイシュがぴんと張り詰めた声を上げる。
場の空気を和らげるために使ったノイシュとしての声ではなく、長きに亘り魔術界にて派閥を引っ張ってきたエルンディア当主としての声に近いそれ。
肌で感じるひりつきのような
「ノイシュ・ファン・エルンディアは、――選考会を降りさせてもらう」
と。
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