3-4:アナタも何も言わないのね

 まず思い至るのは襲撃者と同一人物であるかどうか、である。

 この時期での、しかも一対一での接触だ。意図しているならば、襲撃する絶好の好機であり他の二人にも危険が迫る。あるいは、ただの選考会参加者で、物見遊山に館内を歩き回っていたか。


(瞳の色を変えるなんて朝飯前。……いや、違う)

「……何? アタシの顔に何か付いてる?」


 花菱が黙って観察と思考を続けていると、ムッとした表情で男は歩み寄って来る。だが、深い思考に沈んだ最早花菱の目には映っていないも同然であった。


(思い違いを、していた……!!!)


 襲撃者は、襲い掛かるのが最終的な目的ではない。目的を達する過程の手段として、襲撃を用いているだけ。では、その目的とは何か?

 立て続けに起こるハプニングたちのこともあり、普段行う襲撃者へのプロファイリングじみた考察が、花菱の頭からすっかり抜け落ちていたのである。


「ち、ちょっと、アナタ……?」

「少し、お待ちください」


 響くハスキーな声を聞き取り、無意識下で定型文を述べるメゾソプラノ。男がちょっと困ったような顔をして、焦点の合わない花菱を見つめていることなど露知らず。


(目的は? どうして、あの場で襲撃する必要があった?)


 脳内で情報を整理していく。

 襲われたのは、コルテンティアの印章が入った馬車。選考会自体、その存在を知る者は少ないことから理由は限られてくる。そして、襲撃を手段にする目的も。


(足止め? 誘拐? ……暗殺?)


 乗っていたのは花菱、イズミ、セレーナの三人。恨みつらみを買っている自覚が花菱自身にあれど、どれもあの場面・あの場所で実行するには決定打に欠ける。他の二人についても同じく、手持ちの情報からどれも道理が通らない中。


(――いや、違う)


 一つだけ、実行に移すに足る目的が思い浮かぶ。


「ねぇ、まだかしら?」


 片方の手を腰に当ててハスキーな声音こそ不機嫌そうな物言いであれど、見上げたラベンダーの瞳は心配そうに見つめており。


「いいえ。……お待たせ、しました」


 薄ら笑いを浮かべて、花菱は返答する。その満足げな笑みに、一連の思考を知らない男はよく分からないと怪訝な顔を見せるが、それも一瞬。


「そう。まあ、いいわ」


 興味を失ったのか、問い質すこともなく男はふぅ、と息を吐く。目を瞑って、二、三秒。意を決したように開かれる口。


「アナタ。コルテンティアの選考会参加者、で合ってる?」

「……ええ、そうですが。貴殿は、違うのですか?」


 しっかりと目を見開いて、いかにも不思議に思っているていで訊ねる花菱。この問いは、相手を見極める最終確認でもある。


 襲撃されたあの時しか持っておらず、かつ花菱たちが持っている中で最上の物とは何か。


(……それこそ、三人わたしたちが持っていた唯一の共通点)


 コルテンティアの居館、閉ざされた文学の城。おいそれと入る事の出来ない絶壁の孤城には、魔術の知識が山のように累積している。そこに無条件で入ることが可能な――つまりは、選考会参加者たることは、魔術師に取ってこの上なく魅力的なのは言わずもがな。

 花菱が導き出した決行するに足る理由、それは


「いいえ。アタシも選考会参加者よ」


 男が懐から取り出すのは、見覚えのある手紙。勿論、コルテンティアの印影が刻まれた封蝋、開いて見せられる中身の本分も筆跡が同一人物のものに見える。


(――、かな)


 勿論、襲撃者ではないという担保には為り得ない。しかし、わざわざ馬車を狙うというそれなりに計画的な行動を起こす者が、参加者から参加者へ成り代わるという危険を冒すとは考えにくい。


(要観察。だけど敵対行動をする必要はなさそう、か)

「変なこと聞いてごめんなさい。自己紹介がまだよね」


 数回かぶりを振って、男は気を取り直すかのように肩の力を抜く。それから笑みを浮かべて花菱を見た。


「アタシは流れの魔術師、クリストヴァル・ギャレラント。クリスってガラじゃないから、ヴァルって呼んで頂戴な」

「魔導書管理局、第零級魔術司書の花菱エリです」

「エリちゃんね。よろしく」


 差し出される男――クリストヴァルの手を握り返し、軽く握手をする花菱。流れの魔術師、というのはどこの派閥にも属していないことを意味する。

 娘らしき女性、果ての図書館司書、面識のない魔術司書に流れの魔術師。

 候補者たる線引きが何なのか、ますます分からないと花菱は内心首を傾げる。考えるべきこととして、脳内にリマインドをしたのだった。


「ねえ、一つ聞きたいのだけれどいいかしら?」

「はい、どうぞ」


 唐突な振りに、疑問符を浮かべながら花菱がそう返す。ラベンダーの瞳がほんの少し左右を彷徨った後。


「――レイラ・コルテンティアは、お亡くなりになったの?」


 少し高めのハスキーな声が、静かな正面玄関エントランスホールに響いた。


「ヴァルさんは、ご存知なかったのですか?」

「……さっき流れの魔術師って言ったでしょう? 魔術界に伝手つてがある訳じゃないから、情報を入手する経路自体が少ないの」

「成程。そういう事でしたか」


 十二分に頷ける理由だった。魔術界は表沙汰になっていない以上、例え功績ある魔術師の死だろうがニュースになることもなく、知らせの全ては魔術師同士のネットワークを介して真偽を問わず広まっていくものである。


「亡くなったと、私はそう聞いていますよ。気が付いた時にはもう、訃報が触れ回っておりました」


 変に隠す理由もない。率直にメゾソプラノが告げる言葉に、ラベンダーの瞳はほんの少しだけ見開き、視線は下へと向けられる。


「……そう。知らなかったわ」


 視線を花菱から外したまま、沈痛な面持ちでクリストヴァルは呟いた。黙って様子を見る花菱の目には、ただ悲しんでいるというより何かを考え続けているみたいである。


「教えてくれて有難う、エリちゃん」

「いえ。お礼を言われるほどのことではありませんから」

「そ。……優しい子よね、アナタ」

「違うと思います」

「即答されるとは思わなかったわ」


 ばっさりと一刀両断した言葉に、日本人って優柔不断じゃないのね、とクリストヴァルは苦笑いをたたえる。

 そこでふと気が付いたように、右腕に付けた腕時計をクリストヴァルは見遣る。花菱もつられて見れば、午後五時になる五分前を指している。


「さて。それじゃ、アタシはそろそろ行くわね」


 そう告げると花菱の横をすり抜けて、足を向ける先は玄関扉。どうやら外、庭園に用事でもあるのだろう。


「同じ参加者同士だけれど、情報交換してくれると嬉しいわ」

「まあ、状況次第ですね。考えておきます」


 足を進めるその背中に、声を掛けると再度ヒラリと手を振られる。参加者同士という面識を晩餐会よりも前に作っておきたかった、目的はそんなところだろう。

 自分も動くか、と玄関扉と真反対、館の奥へと足を歩き進めた時。


「そういえば、


 振り返れば、扉の隙間から長くホールへと線を伸ばす太陽の光と男の影。逆光の中、辛うじて見えるラベンダーの瞳がじっと花菱を見つめている。


 クリストヴァルは出会った時から何故か日本語で、それも女らしい言葉遣いにて話をし続けている。大体の魔術師は大抵通じる英語で意思疎通を図っているが、広く語学に通じるものは相手の母国語を使う者も多い。

 だが、クリストヴァルの見目も、艶のあるハスキーな声音も男のもの。


 おかしいと言わないの。そう聞きたいのだろうと、容易に想像できる。


「己が儘に振る舞うことを、咎める権利を他者が持っていると?」


 仕事ではなく、個人の言葉としてメゾソプラノが言い放てば、キョトンと目を丸くしてクリストヴァルは見つめる。


「久しぶりに日本語で話せて楽しかったですよ、ヴァルさん」


 畳みかけるかのように、花菱は自然な笑みを浮かべる。つられて、クリストヴァルの口元のゆっくりと綻んでいく。


「……有難う、感謝するわ」


 また晩餐会で。そう付け足すと、がちゃりと音を立てて扉が閉まる。

 淡い間接照明が照らす正面玄関エントランスホールは、静けさに包まれる。今度こそ行くか、と花菱は足を進めた。


 正面玄関エントランスの玄関扉から真正面にある、両開きの扉を開けて進む。トコトコと歩いていく中、まず目に入った開かれている扉の中を覗けば、ヴィクトリアンメイドが一人、テーブルセットを黙々とこなす姿が。


(なんだか、タイムスリップしたみたいだな……)

「……エリ・花菱様。何かご用件でしょうか?」


 手元はテーブルセットをこなしつつ何事もないかのように話しかけられ、思わずビクリと身体が跳ねる。気配もしっかりと殺して花菱だったが、家政婦メイドの気配察知能力の方が上回ったという事だろう。


「き、気が付いていたのか」

「ええ、勿論。それで、どうかいたしましたか?」

「ちょっと喉が渇いたから、散歩がてら紅茶でもいただければと思って」


 そこでようやく、薄緑の瞳が花菱を捉える。背筋を真っ直ぐと伸ばして体ごと向き直ると、考えるような仕草を見せたあと。


「それでしたら、厨房にクロエがおりますのでそちらに頼むと良いでしょう。真っすぐ進んで、隣の扉です」


 身振り手振りを交えながら、クレアはそう淡々と告げる。言われた方向へと視線を向ければ、少し遠く。こちらもまた開いている扉が一つ。


「有難う、助かるよ」

「これが仕事ですので」


 簡単にお礼を告げ、クレアが優雅に一礼するのを見届けた後。言われたように厨房へ向かって見ると。火に掛けられた鍋を覗き込みながら、かき混ぜているクロエの姿。視線に気が付くと、驚いたように薄緑の目が見開かれた。


「これは、エリ・花菱様。いかがなさいましたか?」

「お仕事中お邪魔してすみません」


 花菱が話しながら中へ入ると、美味しそうな匂いが充満していた。人数分の料理を一人で用意しているのか、かき混ぜるの鍋も大きい。


「ちょっと喉が渇いたので、紅茶でもいただけないかなあと。あ、何なら自分で淹れるので」

「かしこまりました。丁度手が空いたので私がご用意いたします」


 お玉を抜き取り、鍋の蓋を閉めると火力を弱火に変更。クロエは花菱に向き直り何事もないかのようにそう告げるが。


「え? でも鍋をかき混ぜて……?」

「はい、暇でしたので」


 至極当然、というように返答する家政婦メイドに、それ以上追求することを花菱は諦めた。


「茶葉にこだわりはありますでしょうか?」

「えっと、ダージリンがあればそれがいいです」

「それでしたらすぐにご用意できます。アイスとホット、どちらになさいますか?」

「アイスティーが飲みたいです」

「かしこまりました。レモンやミルクなどは必要ですか?」

「ストレートでお願いします」


 ぽんぽんと言葉のキャッチボールをする間も、冷蔵庫からダージリンとラベルが付けられた水出し紅茶のポットを取り出すクロエ。

 保冷タンブラーを戸棚から取り出すと、ふっと氷魔術でタンブラー内の温度を下げてからダージリンを注ぐ。その澄んだ色合いはまるで、濁りの少ない緑茶のようにさえ見える。


「お待たせしました」

「有難う」


 差し出されたタンブラーを受け取り、中を覗き込む。白色に映えるダージリンのみずみずしさを感じさせる色合いが、紅葉した銀杏並木のように鮮やかである。


「いただきます」


 タンブラーの縁に口をつけ、傾ける。

 鼻に通るふわりとした香り、渋みは少なく、ファーストフラッシュであるだろうことが予想される。口の中で転がせば、清々しいスッキリとした味わいが広がり、嚥下してもなお良い香りが口に残る。

 もっと堪能していたいところではあったが、喉の渇きに耐えられずごくごくと飲み干すまで一分もかからず。


「美味しかった……!!」

「それは良かったです」


 あっという間に空っぽになったタンブラーは、クロエに引き取られていった。


 お礼を告げて準備に戻ったクロエと別れ、厨房を出る。


 結論から言えば、館の一階部分には、大広間や厨房などの生活基盤となる設備が集中していた。客間に浴場、サンルーム、更にはレイラ・コルテンティアが息抜きにつかっていただろうと思われる、プラネタリウムを見るための部屋なども。

 では三階部分はというと、至ってシンプル。その全ての部屋が書庫であった。それぞれの部屋に書物の内容が分類されて仕舞われており、更に書き物ができるようにと必ずデスクが設置されている。


 回れば回るほど、部屋数の多さと館の広さを痛感させられた約一時間半。

 花菱の時計が指し示す、時刻は午後五時四十分。コンコンコン、とノックをしてから、イズミの部屋の扉を開く。


「ただいま戻ったよ」

「お帰りなさい、エリ様」


 後、二十分経てば、晩餐会が始まる。

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