3-3:裏があるでしょ

 扉を出ると、並ぶ窓枠の影が更に伸びていた。空は淡く赤く染められ始めており、時々刻々とその色合いを変化させる。

 左手を向き、足を進めながら扉の数を二つ数えたところで止まる。ポケットの中からキーを取り出し、花菱は鍵穴へと差し込む。左に回したところ、かちゃりと音が鳴った。


「お、開いた」


 扉を押し開ければ、イズミの部屋よりも一回り大きな部屋が露になる。真っ先に目に入るのは、天蓋付きの寝台ベッド二つ。


(これまた良いモノ使ってるな……)


 調度品はまた趣が違うものが用意されているが、シリーズ物で揃えてあるようで統一感があり、それぞれ傍目にも上質な家具であることが分かる。

 二人部屋であることからパーテーション、ドレッサーなどが二つずつ、暖炉、そして。


「あっ……た~!」


 四人でも使えそうな楕円形の円卓テーブルの下に、見間違えることなきステッカーだらけのキャリーバッグ。隣には、トランクケース風の可愛らしい装丁が印象的なセレーナのキャリーもあった。

 歩み寄り片膝を付くと、くるりと一周、キャスターを転がす。イズミのトランクケースもだが、馬車ボコボコ襲撃事件以前に送られたのだろう、傷一つ見当たらない。


「――Unlock.開錠せよ


 外付けの声紋認証と開錠魔術で、スライダーに掛けられたロックを外す。ジジジジジ、と特有の音が部屋の中に響く。

 中身についても異変はなく、パッキングした数日分の衣服といざという時の局員服。櫛や洗顔剤、保湿クリームの入ったお泊りセットに化粧セットも入っている。水が合わないときの為の飲料水も零れていない。


(荷解きは、……後で良いか)

Lock.施錠せよ


 鍵を掛け、元通りに戻す。花菱自身も、疲れていない訳ではない。

 だが、休む段階に達するほどではないというだけで。面倒な事は後回しにして、ティーブレイクに美味しい紅茶の一つでも楽しみたい気分なのである。


(自分で用意するから飲みたい……)


 厨房が見つけられたら、双子に頼んでみるかなどと思いつつ後ろ手で閉める扉。しっかりと施錠し、鍵を内ポケットへとしまう。

 とりあえず二階を一周してみるか、と歩き出す花菱。


(のんびり行こう、のんびり)


 館は、正面玄関エントランスホールのサーキュラー階段の配置から概ね左右対称のような構造であることが予想された。外観からして高さは三階建てに加えて屋根裏部屋が存在するくらい、場合によっては地下書庫があるかないかだろう。

 脳内で地図を創り上げながら、静かな廊下を歩く。


(とうとう、選考会が始まるのか)


 誰に向けるでもなく、花菱の眼つきが鋭くなる。自然と脳裏に思い浮かぶのは、セレーナが訪れた後のこと。



 * * * * * * * * * 



『――裏があるでしょ』


 スローテンポのジャズが、重苦しい空気を少しだけ持ち上げる応接室。


『裏はあるだろうな』

『これはこれは、二人して辛辣なものだ』


 花菱、イズミと順に吐き出された言葉に、クスクスと形ばかりの笑みを浮かべるベルリッジ。セレーナの退室後。ソファに横並びに花菱とイズミが、面するようにしてベルリッジが腰掛けていた。


『……まあ、否定はしないがね?』


 応接室自体に防音結界を張っていることもあり、聞かれたくないような話もできるというものだ。


『じゃあどうして我が局長は引き受けたんでしょうか?』


 花菱は口元には笑みを浮かべつつ、笑ってない瞳をベルリッジへと向ける。

 セレーナの依頼を、ベルリッジは“魔導書管理局の局長”として請け負ったのだ。開催されるかも分からない相続人選考会についての依頼を、わざわざ


『何故かってそれは……彼女の報酬がどうにも魅力的で』

『嘘吐け狸爺』

『それは心外だ。私がいつ、嘘を吐いたというんだね』

『――ご両名、戯れもそこまでに』


 にこにこと形式的な笑みで交わされる会話に、落ち着いたバリトンボイスが静止を掛ける。軽やかに弾むピアノの和音が、中和剤のように空気感を調律する。


『貴方ほどの方が、それだけで請け負うに足ると判ずる訳ないでしょうに』

『……いやはや、ミスタ・カーティスは手厳しいね』


 言葉とは裏腹に、ベルリッジは楽しげに笑みを浮かべていた。その面差しは教え子の成長を微笑ましく見守る保護者のそれである。何度見ても見慣れないその表情に、イズミは深く溜息を吐く。


『それで。彼女の依頼を引き受けた理由をお聞かせ願えますか?』


 急かすように告げるバリトン。それに対してベルリッジはふっと表情を消すと、局長の顔付きへと変わる。


『いくつかあるがね。もし亡くなった場合、執筆途中の魔術書について始末を彼女自身に頼まれていたのだよ』

『それは管理局として? それとも――』

『これは個人として、だ、ミス・花菱』


 それは、生前交友関係にあった数少ない魔術師として、魔導書管理局の長に就任するずっと前からレイラ・コルテンティアに頼まれていたことだった。


『個人的に布石を打ってはいる。……が、私の推測すいそく如何いかんを抜きにしても、君達の手紙の内容を無碍にはできない。差出人が不明でも、コルテンティア家の印影が用いられているからにはね』


 類稀たぐいまれな才能は、歓迎されながら疎まれる。矛盾するような歓待と嫉妬の中で、身の危険を感じていたのだろう。

 会う度に死後を頼むと告げる若い彼女に、幾度となく了承を告げる日々。懐かしくも苦々しい思い出。ベルリッジはソーサーごとティーカップを手に取ると、冷めたダージリンを飲み干した。


『個人的な理由が一つ。では、動く理由についてはいかがでしょうか……?』


 落ち着いた口調でありながら、はっきりと訊ねるイズミ。隣の仕事の出来る魔術師に花菱はナイス質問と心の中で叫んだ。そこを疑問に思っているのは花菱も同じ、例え交友関係にあったからとて贔屓目だけで依頼を受けるような義祖父grandadではない。

 コントラバスのアドリブソロ。指弾きピチカート独特の伸びるような音が、そこはかとなく胸騒ぎさせるようだった。


『魔術書を執筆する、ということには、実際に文字を書く作業よりも過去の書物や情報を集めるという作業の方が多い』


 かちゃ、小さな音を立ててティーカップがソーサーへ置かれる。それから白手袋がそっと、ソーサーをローテーブルに戻して。


『特にレイラは、共著でない限りほとんどの魔術書において執筆から校正まで、一人ひとりで行っていたらしい』

『――執筆資料。特に系譜魔術ジァロジ・マギアについてのものですか』

『……その通りだよ、ミスタ・カーティス』


 叡智の館、その主たるだけあって頭の回転も人一倍である。答えを聞いて成程、と花菱は頷いた。

 系譜魔術ジァロジ・マギア。魔術師の系譜に依存する特殊な魔術のことであり、魔術師の家系あるいは魔術を継ぐだろう内弟子にのみ明かされる秘匿された魔術。


『レイラの遺産に失われた系譜魔術ジァロジ・マギアについてのみならず、魔術界に現存する魔術名家の資料も存在する可能性がある。もし存在するならば、……内々に、そして適切に処理しなければならない』


 魔術、ひいては魔力とは神秘。その神秘を明らかにするということは、魔力の性質の強さを失うことに等しい。故に、連綿れんめんと古くから続く魔術師の家系は、各家に伝わる魔術を秘匿するのである。


死人に口なしDead men tell no tales,、か』


 ぼそり、とイズミが呟いた言葉。花菱の耳に届くや否や、今まで得てきた情報が繋がりに繋がって、ある予測を打ち立てる。


『……系譜魔術ジァロジ・マギアの資料を口実に、魔術名家によってミス・コルテンティアが派閥争いの槍玉にあげられるかも、ってことか?』


 メゾソプラノの響きが、二人の口を噤ませる。コントラバスだけが雄弁に音を響かせているのが、十分な答えであった。


『そんなに大事なのかね、派閥ってヤツはさ』

『私も面倒なことだとは思うがね』


 ベルリッジ家の次男坊は、複雑な面持ちでそう告げる。

 きっともう、和解の仕方など分からないのだ。


『事実、少なくとも魔導書管理局の存在理由になるほどには重要なのさ』


 師のそのまた師の、ずっとずっと前から続く“因習でんとう”を取り払う方法など、現存の体勢では失われてしまった。対立があるからこそ中立が存在するように、革命的な一手は魔術界をひっくり返すような出来事が起こら無い限り打たれることはない。


『……魔導書管理局員になることで、レイラは中立を保っていた。どの派閥に属さず、与せず、味方せず、――他言せず。故に多くの魔術名家からを受けていたと言っても過言ではない』


 温故知新、それは魔術という学問においてもいえることである。

 新たな術式ものを編み上げるとき、多くの古き術式ものを観察して、理解して、分解こわして、組み合わせる。魔術を観察し続けた眼は、時として魔術の神秘を剥がす。

 魔術書執筆の思考模索に、意図せず系譜魔術ジァロジ・マギアの神秘性に触れる可能性。それに暗黙の了解が得られていたのは、レイラの中立性故だった。


『だが仮定もしもの話、系譜魔術ジァロジ・マギアの情報を横流ししていたら?』


 落ち着いたバリトンの歯に衣着せぬ指摘に、ベルリッジはほんの少し眉をひそめる。急速に冷えていく応接室の雰囲気と、乾いたコントラバスの音色。

 人付き合いの数が極端に少なすぎるイズミといえども、今回は言葉の選択を間違えただろうことが分かった。


『失礼。ミス・コルテンティアを悪く言うつもりは有りませんよ』


 たった一人の男に向けられる、形式じみた弁明。まるで空気が美味しくないかというように、イズミはほうっと息を吐く。それでも話を止めるつもりはない。


『……しかし、事実じじつ如何いかんにせよ、資料に纏められていてしまえばそれは、

『言い逃れるどころか本人はもう世に居ない。運よく手に入れられれば、使い勝手のいい切り札ジョーカーってところか』

『私としても、系譜魔術ジァロジ・マギアが公になることは避けたい。レイラの館に後腐れなく入れるのであれば、利用しない手はないということだ』


 主無き館に忍び込み資料を精査することもできる。しかしその行動自体が後々、隠蔽工作の疑いなどで問題になっては本末転倒。非常に繊細な話であるが故に、誰に何を言われても言い逃れできるような方法を選択せねばならないのだ。


『まあ、それ以前に彼女が管理局から借りたままの資料……それらを回収するという目的もある』


 魔導書管理局は、地下に大きな書庫を持っていた。指定封印書となった魔導書グリモワールの保管は勿論、魔術書を内外問わず貸し出しているいわば図書館のようなものである。魔術書は絶版となってしまったものから最新のものまで取り揃えられ、内外問わず魔術師の研鑽をサポートしているのだ。


『……遺産相続の話が本当だったとして、管理局の本まで持っていかれるのは避けたいですね』


 高価な魔術書ほど魔術師としての熟練度や信頼を鑑みて貸し出される仕組みになっており、研究費の削減などから利用する者も少なくない。基本的に長期の貸し出しであり、忘れ去られて延滞などはままあることである。

 それらの回収も、魔導書管理局の立派な仕事という訳だ。


『これが、魔導書管理局として引き受けた理由だよ。二人とも、納得してもらえたかな――』



 * * * * * * * * * 



(少なくとも、三つ)


 セレーナ・コルテンティア、魔導書管理局そして正体不明の襲撃者。現時点で、三陣営の思惑が水面下でうごめいているということになる。イズミ、セレーナ以外の参加者は不明である以上、陣営が増えるだろうことは必須である。


 そこまで思考を巡らせたところで、どうやら一周したらしい。


 花菱の視界に映る、見覚えのあるサーキュラー階段。下りれば正面玄関エントランスホールから一階部分の探索、上れば三階部分という未知のフロアの開拓となるが。


(紅茶飲みたいし、下りるか~)


 極めて個人的な理由で、花菱は階段を下り始めた。時間はまだ三十分も経っていない、少し寄り道をしたところで難なく一通ひととおりは廻れるだろう。

 最後の段をぴょん、と飛び降りて、さてどこ探そうかと振り返った瞬間。


「こんにちは、お嬢さんマドモアゼル?」


 ハスキーな声に思わず視線が向けば、背の高い男が一人。友好的な笑みを浮かべて、見知らぬ男が花菱を見つめる。

 少し癖っ毛なアッシュブラウンに、特徴的なラベンダー色のメッシュ。


 そして男の双眸は、見事なラベンダー色をしていた。

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