act.3 Welcome to a castle of literature

3-1:以後お見知りおきくださいませ

 羽筆の魔術師――レイラ・コルテンティアがより良い魔術書さくひんを創り上げる為に求めたのは、静謐であったという。

 暖炉の薪が爆ぜる音と、ペンが紙を滑る音。そしてページを捲る音だけが響く、そんな作業空間を作り出す為に山荘を手に入れたのだが。


 よくある山荘さんそう一軒いっけんぽっちでは、圧倒的に足りなかったのである。

 彼女の商売道具たる、書籍を置く空間が、だ。


 それもその筈、古今東西の神秘という不思議、神話、伝承、民話。加え、広く一般的な科学書からそれらの専門書、そして魔術書。膨大な書籍の数は最早数えるに能わず、そして場所を取るものである。

 以上の理由から二次関数的に増える書籍数に応じ、改装リフォームの名の下に行われた増築に次ぐ増築の果て。


 いっその事、建て直したほうがいいのでは。


「……という理由で、現在の城を思わせる大邸宅となったらしい」


 再度、何事もなくローズアーチを通り、庭園を抜けた先。居館たる城の正面玄関エントランスを前に、花菱ら三人は見上げていた。


「人を寄せ付けない様はまさにだ、などと……よくもまあ思いつくものだ」

「だから文学の城castle of literature、ってことね」


 庭園から見た館は、白壁に群青屋根の尖塔がノイシュヴァンシュタイン城を思わせられる姿であったのに対し、正面からの形はビルトモア・ハウスのような人の住まう館らしさのあるデザイン。

 まさに城のような見た目と規模の大邸宅、といったところだろう。


「ま、どこまでが本当かは分からないがな」

「そうですね……、噂話には尾鰭おひれが付き物ですし」


 注釈を付けるかのように取ってつけたイズミに、セレーナが苦笑いで返す。魔術師は噂好きが多い、というよりも噂話という体をなした情報交換を行い、アンテナを張っている者が多い。

 “ここだけの話”が巡り廻って、最後には“周知の事実”へとすり替わる。魔術界においては日常茶飯事の話だ。


「入れるかどうか、試してみようか」


 そう言いながら、花菱が目の前の正面玄関エントランスへ小さな段差を一歩踏み上がったその瞬間。見計らったかのように、ガチャリと鳴る開錠音。


気を付けろBe careful.


 一歩下がりセレーナを背後に庇う花菱。そのまま正面、両開きの玄関扉ドアを凝視していると、ギギギギ、と内側からゆっくりと開かれていく。


わーってるYes, sir.


 臙脂色の絨毯、白磁のタイル、左右対称に配置されたサーキュラー階段。徐々にあらわになる館の内装に人の影はなく、まるで入ることを促しているようである。

 花菱とセレーナは顔を見合わせ、どちらからともなく頷き合う。そして花菱を先頭に、恐る恐るながらも館へと足を踏み入れた。


 静か、であった。


 敷かれた上質な絨毯は柔く、足音一つでさえ耳を傾けていなければ聞き逃してしまいそうな静寂。玄関エントランスホールは巧みに間接照明が施され、目立った照明器具の姿はないものの空間が明るく保たれていた。

 キィー、と小さな音を立てて、背後で扉が閉まる。そしてまた、ガチャリ、と盛大に鳴る施錠音に、花菱が振り返ると。


「うわっ?!?!」

「何でしょう?!」


 花菱に驚いたセレーナのソプラノが残響し、その場に居た者全ての動きが静止する十秒間。

 花菱、イズミ、そしてセレーナの視線の先には、丁度玄関扉の鍵を閉める二人のヴィクトリアンメイドが居た。


「……おや、気が付かれてしまいました」

「バッチリ、気が付かれてしまいましたね」


 しまったという口調で、紡がれたのはそっくりな声色。天鵞絨ビロード色のシックなメイド服に身を包み、すっきり白金髪プラチナブロンドをキャップで纏めた姿は瓜二つ。


「誰だ?」

「申し遅れました。私達はレイラ様にお仕えする家政婦メイド、クレア・クライツレンと」

「クロエ・クライツレンです。レイラ様からは、後継人選定会のお世話係兼見届け人兼進行役を仰せつかっております」

「「以後お見知りおきくださいませ」」


 美しい所作で息の揃ったお辞儀を披露する、クレアとクロエ。絵に描いたような家政婦メイドはイズミとって珍しいものではなかったが、花菱とセレーナにとっては物珍しいらしく興味津々に見ている。


嗚呼ああ。ところで、先の言葉はどういう意味だ?」


 イズミの黒い瞳を、翡翠ヒスイのような四つの薄緑瞳が見つめ返す。そして次第にこてん、と愛らしく首が傾けられる。


「さて、何のことでしょうか。クロエは分かりますか?」

「はて? クレアに同じく記憶に在りません」


 線対象のごとく首を傾げ、惚ける家政婦メイド達。バチバチと火花が飛び散りそうな目力めぢから合戦がっせんに、花菱は一人自動ドアじゃなかったのか、と至極的外れなことを考えていた。


(魔力反応が無いと思ったら息を合わせて開けていたって訳か。……双子凄いな)

「クレア」

「おわっ?!」


 気が付くと目の前に片割れが立ってこちらを覗き込んでおり、驚く花菱。ほんの少し仰け反った衝撃で、急に体を揺らされたイズミがうっと呻く。


「やはり、候補人様は怪我をされているようです」


 数歩下がって距離を取ると、もう片割れに向かって放たれた声。その内容に目を見開くと、クロエの隣へクレアも足を進める。


「クロエ、それは本当ですか?」

「ええ。違いますか? イズミ・カーティス様」

「あ、合っています!!」


 落ち着いた双子のやり取りに、食い気味に返したのはセレーナだった。任務とはいえ、セレーナを守る為に怪我を負ったという事実は今尚彼女にとって引け目を感じるのに十分である。

 ふっと溜息混じりの息が、花菱の首元をくすぐる。


「別にそこまでじゃない」

「何を仰いますか! あんな大怪我……っ!!」


 どちらの言い分も本人にとっては正しく、他人にとっては間違っているのだろう。そして、そこまでヤワじゃない、いいえ治療が必要です、と尚も揉める二人に、遠い目で挟まれる花菱。

 なんだ、元気じゃないかとは思えど、並々ならぬ負荷による疲労ダメージがイズミの身体には存在している訳で。


「……クレア嬢、クロエ嬢」

「「はい、いかがなさいましたか?」」


 メゾソプラノが呼び掛ければ、寸分違わぬ声色が二重に返答をする。これほどまで双子とはリンクするものなのか、という思考を頭の片隅へと追いやりつつ。花菱は続きを紡ぐ。


「出来れば休ませたい。案内を頼めますか?」

「……急ぎお部屋にご案内致しましょう」


 少し声が低い、クレアの方が答えた。先導する為に三人をそれぞれ左右から迂回し、右側のサーキュラー階段を上ろうとして。


「「そういえば」」


 二人のメイドはピタリと足を止めて振り返った。


「「わたくしたちに敬称は不要ですよ。エリ・花菱様」」


 階段を上って、二階にかい

 整然と並ぶ縦長の窓からは、傾きかけた陽の光が差し込む。イズミとセレーナの攻防も睨み合いへと落ち着き、どことなく気まずい空気の中で足音五人分が並んで響く。


(……うん。気まずい)


 花菱は見ずとも分かっていた。イズミは最上級の無表情を浮かべているだろうし、セレーナは隣ではなく後ろを歩いてさりげなくそっぽを向いている。

 何かしら話題はないかと考えるが、この場面で話せるようなことは特段なく。


「道中、選考会についての説明をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「助かります、どうぞお願いします!」


 思わぬところから出された助け船に、慌てて乗ってしまうのも仕方がないことだろう。助かります、という言葉に、前を歩くクレアの少し不思議そうな視線が返ってきたが気にしない。


「では、説明を始めさせていただきます」


 そう口火を切ったのは、クレアであった。


「候補人様には一人につき一部屋、プライベートルームとしてお使いいただける場所をご用意しております」

「選考会期間は、そちらを活動拠点としてくださいませ。なお、現在イズミ・カーティス様のお部屋へと向かっております」


 器用に台詞を分担しているかのごとく、交互に述べられる情報に耳を傾ける中。


「……あ、質問いいですか?」


 花菱はふと思い立って声を上げる。というのも、この場における後継者候補として以外の存在意義が故。


「というかお願いなんですが」

「はい。何でしょうか、エリ・花菱様」

「私とセレーナ嬢で一部屋ひとへや、ってのは出来ますかね? そっちの方が色々と都合がいいんですけど」


 花菱、ひいてはイズミ。二人にとって優先するべきは組織としての依頼――つまりは、セレーナ・コルテンティアの護衛である。

 提案に足を止めることなく、クレアとクロエは顔を見合わせる。それだけで意思の疎通には充分らしい、顔を正面に戻すとクロエが口を開いた。


「双方の同意が得られているのでしたら、その変更に対して選考会及びわたくしたちに問題はございません」

「セレーナ嬢、どうかな?」


 左から後ろを振り返り、花菱はセレーナの顔を見遣る。アンバーの瞳は翳り、溌溂はつらつとした元気らしさは息をひそめ。窓の外を眺めるかんばせには、複雑な表情を浮かべられている。


「セレーナ嬢?」

「えっ?! ……すみませんエリ様、何でしょうか?」

「まあ、有り体に言えば、選考会期間中私とルームシェアでも良いですか? と」


 よろめきそうになる度に前へと視線を戻しながら、再度メゾソプラノが問う。急な話に疑問符を浮かべたセレーナであったが、少し逡巡しゅんじゅんすれば言葉の意味に合点がいったようで。


「ええ、勿論です。よろしくお願い致します」


 口元を綻ばせて、首肯したのであった。


「かしこまりました。ではその様に支度を致します」

「有難うございます、お願いします」


 そして話が一区切りついたのを見計らったかのように、家政婦メイド二人は足を止める。横に向き直ればそこには、鍵穴の付いた扉が一つ。


「――到着いたしました、此方の部屋です」


 クロエが何処からか取り出したキーでかちゃり、と開錠。

 客室らしき部屋は、落ち着いた色合いの調度品で揃えられており小ざっぱりとした印象だった。寝台、ソファー、ドレッサー、パーテーションに暖炉。椅子に大きめの円卓テーブル、そして。


「これ、イズミの荷物じゃないか?」


 椅子の足元に置かれていたのは、馬車に乗り込む前にイズミが持っていた本革のトランクケース。

 御者台の部分が荷物入れになっていることに気が付いた面々は、荷物をそちらに格納し馬車に乗った。しかしながら、当の馬車は確かに大破したはずである。視線が自然と二人の家政婦メイドへと向けられれば。


「はい、お間違えが無いようで安心いたしました」

「馬車に荷物をお預けされた時点で、全てつつがなく当館へと届けられております」

「有難ウゴザイマス……ッ!」


 至極当然、といった声色で返ってくる答えに、思わず心からの感謝が口を突き出る。

 ひとつでの参加を薄々予想しており、花菱としては何日だろうが同じ服を着続ける覚悟を決めていたのだ。こればかりは、空間連結という高度な魔術を施しただろう双子の機転にも、また術式の開発者たるレイラ・コルテンティアに頭が下がる思いであった。


「それより、イズミ様を寝台ベッドに降ろした方が良いのでは……?」

「あ、そーだった」


 後ろから響くセレーナの声に、外泊における荷物の大切さ嚙み締めていた花菱は意識を取り戻す。セミダブルサイズの寝台ベッドに近づきながら、背中の男の機嫌は如何程だろうかと思案する。


「イズミ、良いか?」


 軽く右後ろを見遣るが、見えるのは艶のある黒髪だけ。そこで気が付く。首に回る腕の弛緩、廊下を進む度に感じるようになっていった謎の違和感。


「……イズミ?」


 小さな事実の積み重ねに、花菱の心音が跳ねる。


「エリ様、いかがなさいましたか?」


 セレーナの声も遠く、はやる心臓を宥めながらイズミの身体に意識を集中させる。背中越しに聞こえる心音はおおよそ平常通り。体温は少し低いような気がするが冷たいわけじゃあない。

 耳を澄ませば聞こえる、規則正しい呼吸音。


「もしや、イズミ様に何か問題が――!?」

「いや、寝てる」

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