2-4:嗚呼、全くだよ

「イズミ様!!!」

「……五月蠅うるさい。聞こえてる、から」


 セレーナの名の呼ぶ声に、髪を掻きあげながら耳を塞ぐ仕草をするイズミ。呼び掛けたソプラノは、喜色満面ではなく悲鳴に近いものであった。

 片眼鏡モノクルヒビれ、頬には血を拭ったあと。白手袋はどこへやら、手の甲には擦過傷。


「……ミスタ・カーティス?」


 几帳面な印象のあった白シャツも黒いスラックスも、肩やら脇腹やら太ももやら。原型はとどめているものの、切り裂かれた布地の間からはべっとりとした血の赤が覗く。


「イズミで良い、と言っているだろうが」


 ぶっきらぼうな言い方は変わらぬまま、だが覇気のないバリトンボイスは掠れ気味に響く。満身創痍、という四字熟語がこれ以上なくイズミの現状を言い表していた。

 ふらつきながら歩み寄ろうと足を踏み出すイズミ。駆け寄る花菱とセレーナ。


「て、手当。えっと、手当を……しない、と……!!」


 混乱した様子のセレーナを隣に花菱がイズミの肩を支えると、その体がおかしいくらいに熱を持っていることに気が付く。


「イズミ、何を展開してる?」

「……腕力強化、痛覚鈍化、魔力感覚器強化、脚力強化。止血はした」

「擦過傷以外の怪我は?」

「腹部と背中の強打。肋骨が折れた可能性がある」

了解りょーかい。セレーナ嬢!」


 セレーナの意識を呼び戻し手招きすると、イズミの支えを任せる。数歩下がり距離を取ると、花菱は今まで起動していた魔術を解除して。


「――Medical check簡易診察, scroll始め


 治療魔術を起動しはじめる。負傷状態を確認すると、腹部と背中に広く青い靄のようなものが浮かび上がった。青い靄が表すのは打撲傷、つまりは本人の言う通り広範囲に打撲を負っているということで。

 肋骨はと花菱が目を凝らせば、胸部の骨だけが骨格標本のように浮かび上がる。骨折を表す赤い亀裂のような模様は見当たらない。


「うん、打撲は酷いようだけど骨は折れてない。治癒促進の術式を掛けるから、身体強化の術式を解いて」

「……嗚呼ああ


 催促に頷き返し魔力の励起を止めると、イズミはくっと呻き声を上げながらよろめきかけた。


「い、イズミ様!」

「案ずるな。……すまない」


 がくがく震える両足は立つのもやっとで、セレーナの支えがなければその場に倒れ込んでいたことだろう。


Get well soon.どうぞお大事に


 花菱の言葉でふわりと淡い光が舞い、イズミの身体を優しく包んで消えていく。

 魔術強化を重ね過剰な出力をし続けた身体は、過負荷の反動で悲鳴を上げて当然であった。更にイズミにとって普段とは桁違いの運動量だったことから、この先一日二日は筋肉痛に悩まされることだろう。


「とりあえず必要なのは休息か。ぶってもいい?」


 花菱の言葉に勿論唇をひん曲げたイズミではあったが、受け入れる以外の選択肢がある訳もなく。


「……世話を、掛ける」


 絞り出すような一言で、花菱の背中に収まることになった。


「よっし」


 首に腕を回してもらい、イズミの体重を背中に預かる。身長はイズミの方が高く、場合によっては重力操作の魔術を使おうかとも考えていた花菱だったが。


「エリ様は力持ちなのですね……!」

「……まあ、イズミもちゃんと掴まってくれていますし」


 いとも容易くすんなりと背負えてしまった。

 細身であることは見た目から分かっていたが、それでも体重が足りてないように思えるのは感覚違いではないだろう。


(流石に軽い、とかいったら首絞められそう……)


 このとき、イズミの瞳が虚無で満ちていたことなど花菱は知る由もなかった。


(さて、と)


 レイラ・コルテンティアの居館へ向かう馬車はもう壊れ、歩いて向かう他ないのは確かである。だが、このまま目的地の位置も分からぬまま当てもなく歩むのも避けたい。


「セレーナ嬢、お願い事をしたいのですが」

「はい。何でしょう?」

「私の上着の内ポケットに入っているものを取り出してもらってもいいですか?」

「わかりました!」


 失礼します。

 そう一言断ってから、セレーナは手を差し入れ丁寧に上着の内ポケットを探す。


「上着の内ポケット……あっ、これですか?」

「そう、それです」


 かさり、と乾いた音と共に取り出され、手のひらに乗っていたのは一羽の


「オリヅル、というやつですね! 小さな芸術artみたいです……!!」


 花菱が自らその手で折った、折り紙の鶴であった。体を巡る魔力を意識し、掛ける魔術は目的地に辿り着くためのもの。


Take me there.私をそこに連れてって


 ふるり、と震わせられるくちばし。魔術という伊吹が、紙切れの鶴に命を吹きこむ。

 ゆっくりと起き上がり、広げられる薄紙の翼。羽ばたき舞い上がると、くるくると旋回してから先導するように目線の高さで飛んでいく。


「よし、あれを追いかけていきましょう」


 上手く動作していることを確認してから、一歩、一歩と花菱は歩き始める。


「凄い、凄い、手品みたいです……!」


 羽ばたきで高度が上がる様はまるで小鳥のように。優雅に宙を進む様はさながら紙飛行機にように。折り鶴は目的地に向かって飛んでいく。

 その様子を楽し気に見つめ、並走していたセレーナはふと振り返る。アンバーの瞳に映るのは、ゆっくりと歩みを進める花菱で。


「私、見失わないように先に追っていきますね! その、エリ様は、イズミ様のこともありますし」


 立ち止まり告げる言葉は、完全な善意であるだろうことが表情から見て取れる。少しでも何かしら役に立ちたい。物語る純粋なその目に、捉えられてしまえば。


「……わかりました。では、私はセレーナ嬢を追いかけますね」


 花菱が断ることなどできなかった。


「はいっ!!」


 笑みを咲かせながら応えたセレーナは、軽やかな足取りで折り鶴を追い駆けていく。陽の光を浴びて煌めく金髪ブロンドがどうにも眩く見えるのは錯覚か、それとも。


Scan for.走査せよ

「……考えたな」


 イズミが魔術の絡繰りを見破ったのか、ぼそりと耳元で呟く。顔を見ることはできないが、にやりと笑っているだろうことが声音から読み取れた。


「手紙をあのように使うとはな」

「……やむを得ず、仕方なくですからね?」


 魔術で導くことができるのは、術師が訪れたことがある場所のみ。ではどんな魔術を掛けたのかとえば、折り鶴が己が主の下へと戻る魔術。


「手紙を折るなんてのは、日本人は普段しませんから」


 厳密には、鶴の形に折られた“件の手紙”における送受信の関係性――手紙の返送および、鳥の空を飛ぶ概念を利用した複合魔術。

 レイラ・コルテンティアの手によって書かれたものならば、選考会の場たる居館に着く。何らかの要因で館から放逐されるなどを想定し、一か八か、そう算段を付けて花菱が用意した切り札であった。


「念の為の保険を使う事になるなんて、思っていませんでしたが」

「嗚呼、全くだよ。ところで」


 そこで一呼吸ひとこきゅう


「襲撃者についてだが」


 バリトンボイスで囁くように、イズミは声を小さくする。折り鶴をきらきらとした瞳で追うセレーナは既に遠く。ミモレ丈のフレアスカートを翻す様は、浮世離れした妖精のようにすら見えた。


「かなりの手練れだった。それも数はたった一人」

「一人? 何か特徴はありました?」

「目元を白いハーフマスクで隠していた。何が目的かは、分からず仕舞いだ」

「……選考会によるふるい分けだと思いますか?」


 風がさわさわと木々を揺らせば、木漏れ日が揺れる。枝から離れた木の葉はゆく当てもなく空を彷徨って、地に落ちた。


羽筆はねふでの魔術師は争いを好まなかった」

「それはまあ。……聞いている限りでも、武を求めるような方とは思えませんね」

「つまりは、そういう事だろう」


 規則的に前へ前へと繰り出される足取りはしっかりとしていながら、その意識は遠く。花菱の意識は一人、脳内で情報を整理していく。


「少なくとも、ただの後継者選考会ではないだろうよ」

「……思っているよりも、面倒フクザツな代物になりそうですね」

「エリ様ー! イズミ様ー!!」


 晴れ渡るようなソプラノが、花菱の意識を惹きつけるように響いた。藍色と黒の四つの眼が自然と声の主を認識すれば、遠く、振り返って立ち止まるセレーナの姿。


「これ、何か怪しくないですかー?!」


 声を張りながら指差すのは、森の中には不釣り合いな緑色のトンネル。近づいて徐々に解像度が上がっても見慣れないそれに、花菱は目を瞬かせる。


「何ですか、あれ?」

「花は咲いていないが……ローズアーチだな。随分と立派なものだ」


 ローズアーチとは、イギリス式の庭イングリッシュガーデンによく見られる、薔薇の蔦が絡み合ってできた自然のトンネル。


「あー、緑のカーテンみたいなもんか」


 軸となる木製や鉄製のアーチに沿って薔薇が育つことで出来上がり、花開けば一面に芳香が漂う美しい景色が見られることになるだろう。しかし。


「明らかに人の手が入っているな」

「ですね。森の中なんかこんなばしょに在るものじゃない」


 横幅、縦幅ともに二メートルほど、大きめのアーチを描く。青々と茂り蕾を開かんと光合成をするその姿は、あまりにも周囲の景色に不釣り合いであった。ローズアーチの入り口まで進めば、花菱の探索魔術が微小な第三者の魔力反応を拾い上げる。


「この中をエリ様のオリヅルさんは飛んで行ってしまったのです」


 セレーナの視線の先、トンネルの中はどこに繋がっているのか。密集して絡み合う蔦は陽の光を完全に遮断し、出口たる向こう側が暗がりに消えたかのように見えない。

 ローズアーチトンネルを外から見た長さは、目測でおおよそ三メートル程しかないというのに。


「どう、しますか? 進みますか?」


 判断を仰ぐように、ブラウンの瞳が揺れる。

 じっと目を凝らすも、先行した折り鶴の姿はもうない。だが確かにセレーナの言葉のままに、折り鶴の魔術痕はトンネルをずっと進んでいっている。

 ちらり、花菱が右斜め後ろへと首を捻り視線を遣る。黒く艶のある髪の隙間から覗く、ヒビれた片眼鏡モノクル


「森を彷徨うよりは望みが在りそうだ」


 目で尋ねれば、ただそうバリトンが響く。花菱の背中を押すように、語尾の音が柔らかく聞こえたのは空耳ではなかった。


「進みましょう。セレーナ嬢は私の横で、服を掴みながら歩いてもらえますか?」

「ええと、こんな感じで良いでしょうか?」


 セレーナは花菱の左側に立つと、肘のあたりの布地を掴んだ。暗闇の中でも互いの存在を感じ取る為の方策である。手を繋いで行ければ最善であるが、花菱の両手が塞がっている以上致し方無い。


「はい、離さずしっかり掴んでいてください。それじゃあ」


 一歩、ローズアーチの影へと踏み入れる。

 入口近くはまだ絡み目が粗く、線を浮かび上がらせながら陽の光が肌に差す。しかし更に一歩、一歩。進み行けば行くほどに、視界は黒く塗りつぶされていく。


 ざく、ざくと並び歩く足音だけが鼓膜を打つ。


 見えない存在を確かめるように、セレーナがきゅっと強く袖を握る。その瞬間花菱を襲う、肌が突っ張るような、泡立つような感覚。次いで。


「きゃっ!!」

「うわ?!」

「くっ……」


 目映い光が、三人の視界いっぱいを覆い尽くした。

 反射的に顔を背け、目をぎゅっと瞑る。まぶたしに光を感じなくなるまで、五秒ほど。

 恐る恐る目を明けた三人は、暗闇の中にはもう居らず。


「これ、は――」


 ローズアーチの端に立った三人は広がる景色に、ただただ目をみはる。

 赤茶の煉瓦れんがだたみの道に沿って、植えられた低木。流れる小川のせせらぎ、鳥のさえずり。青く茂る芝生に、噴水のしぶきが舞う。色とりどりに植えられた花木に、白いガゼボのコントラストが映える。


「手入れが行き届いています、ね……」


 セレーナがほうっと溜息をこぼすほどに、適度な手入れが施されたイギリス式庭園イングリッシュガーデン。花菱が体ごとローズアーチを振り返れば、整備された煉瓦道の先。


「お、城?」


 呆けたようなメゾソプラノ。それもその筈。丸くなった瞳が映すのは、荘厳な佇まいで聳え立つ、紛れもない

 ただただ見つめ瞬く藍色の瞳に、勿体ぶったように重々しくイズミが口を開く。


「……正しくは、隔絶された文学の城castle of literatureだよ」

「文学の城、って」


 セレーナが城の尖塔を見上げる横、花菱の脳みそが引っ張り出す記憶。

 どうやら、正しく折り鶴は目的地へと導いたらしい。


「嗚呼。――レイラ・コルテンティアの、居館だ」

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