2-3:さっさと出て来い

 荒々しく扉を壊す音が、開戦の合図だった。

 取っ手を起点に、逆上がりの要領で車外に飛び上がるイズミ。三点着地するは馬車の上。見下ろしたその側面は、殴られたような凹凸が痛々しい。

 そして顔を上げたその瞬間。

 照準を合わされた魔力弾が、四方八方からイズミに迫った。


「ッ結界よEOLF護りをTHONE!!」


 ドゴン、という音ではじけた魔力弾が、土埃つちぼこりを巻き起こす。間一髪かんいっぱつで防御結界がその軌道を逸らし、地面に着弾したのだ。


「イズミ!?」

「問題ない」


 轟音に思わず名を呼ぶ花菱に、淡白なバリトンボイスが響く。こいこい、と手でジェスチャーするイズミに、花菱は軽いジャンプで車外に飛び出る。


「……好機チャンスか」

 

 見渡して一秒、花菱はそう呟く。余程多くの魔力弾が放たれていたらしい、結界の外は煙幕スモークばりに視界が悪くなっていた。

 それを余所に、イズミは馬車内へと手を差し出す。セレーナが恐る恐る白手袋を掴めば、骨張った手が強化された腕力で車外に引き上げた。


「有難うございます……!!」

「……だ」


 言葉の意味を理解した花菱は、セレーナに代わって頷きで返す。魔力を励起させては纏い、メゾソプラノが言葉を紡いだ。


Correct呼応せよ, ――I refuse it.私はそれを拒絶する


 展開される結界。それは防御を目的とし、更には検知されにくくする幻惑魔術ヴィオ・マギアをも用いたもの。

 数秒足らず、視線を交わす。

 手で進行方向をイズミが指し示せば、打ち合わせ通り、腕を引いて花菱が走り出した。セレーナは何か言いたげに視線を遣るも、そのまま土埃の中へと消えていく。


風よRAD,流せLAGU


 走り去った背中に向けて、そよ風を起こす。念には念を、散り始める土埃をさりげなく押し流した。馬車の上に立つ、イズミの視界が少しずつ晴れる。


 森の中、草茂る小さな空き地のような空間だった。


 空き地の周囲は木々や茂みで見通しが悪く、馬車の周囲は遮蔽物がなくよく見渡せた。襲撃には適した場所――これが計画的な行動であることを思わせる。


探し索めるANSUR, RAD


 ルーンが感覚器官を強化し、片眼鏡モノクルを外すイズミ。可視化される魔力の揺らぎ、そしてオーラのような

 イズミの左目は普通よりも少し、魔術界で心眼しんがんと呼ばれる瞳であった。


(……


 イズミが木々の狭間に捉える、魔術師の反応。その数はただ一つ。探索範囲を広げるも、他の反応はないことから単独行動をしているようだった。


(全方位からの初撃はブラフか)


 向こうも出方をうかがっているのか、動き出す様子は見えない。ならば。

 片眼鏡モノクルを付け直し、情報量の減ったクリアな視界へと戻す。局員として戦線を引いてから、かれこれ五年以上十年未満。余分な情報は、イズミの頭脳に処理落ちを招きかねない。

 一つ呼吸を置いて、魔力の巡りを整える。


「さっさと出て来い。なのは判っている」


 さわさわと葉が風でかき混ぜられる音をバックミュージックに、イズミの低い声がよく通った。

 数舜の間、保たれる静寂しじまの後。


「はぁい」


 ――バリン、と防御結界が壊れる音がした。


「……ッ?!」


 黒い瞳が見開かれる。気が付いた時には、もう遅い。

 イズミの目の前に飛び込んできた男は、にやりとした笑みを口元に。


「どーもッ」


 ボディブローを、決める。


「うっ!!」


 めり込む拳。真後ろへと吹っ飛ぶ身体。

 受け身をとる余裕もなく。イズミは背中を樹の幹に打ち付け、地面に膝をついた。咄嗟に魔力を集め防御することで致命傷は避けたものの、激しい鈍痛が腹部を、背中を襲う。


ッ……!」


 これほど痛覚が働いたのは何年ぶりだろうか。声にならない言葉が息となって消える中、口内を切ったらしい。充満する鉄錆の味を、不味そうにイズミは吐き捨てた。


「あちゃ、意識あるね?」


 失敗した、と言いたげなテノールに顔を上げる。先程まで立っていた場所――横転した馬車の上に、たった一人の襲撃者は居た。

 半仮面ハーフマスクで目元を隠した、アジア出身と思われる男。ダボ付いた袖口の、ゆったりとした服装は間違っても戦闘に向いているものではない。それに加え。


幻惑魔術ヴィオ・マギアに、気が付かなかった)


 一瞬で、目の前に現れたような。観察眼に自信のあるイズミだったが、拳を一発喰らうほどの代物である。また重い一撃による不意打ちは、防御結界をいとも容易く瓦解させた。


「割と本気だったんだけどなぁー?」


 相手は予想以上の手練れ。何の目的かは分からないが、再起不能レベルで叩きのめそうとしていたことだけは確かだった。


「……健やかなれUR, WYNN、ゲホッ」


 簡易的な痛み止めを施し、何とか立ち上がる。せて口の端から垂れた血を拭えば、白い手袋が朱に染まった。男を睨めば、返って来るのはニンマリとした笑みで。


「あはは、やる気満々。てトコかな?」


 ニヤリと持ち上げられた口の端から、白い犬歯が覗く。汚れてしまった右の手袋を外し、ポケットに仕舞う。


「節穴、だな」

「……へぇ」


 ぼそりとしたバリトンに、あからさまに男の魔力が荒ぶった。

 中指に嵌めた指輪を、イズミは魔力を込めた指で撫でる。


水の恵みをLAGU, FEOH,


 先に仕掛けたのはイズミであった。呼び寄せるは森の息吹、自然が内包する神秘の魔力――自然魔術ナトゥラ・マギア。たちまちのうちに、雨が降った後のように水の匂いが濃くなる。

 横一線に右腕を振えば、生成される数多あまたの水塊。宙に浮いて、象るは槍。


凍り穿てIS, NIED!」


 勢いよく放たれる氷槍。ひょうてきを目掛け、残像のように長く尾を引く。避けた先すらも射程に入れる為に着弾先を計算・固定するイズミ。

 しかし、男も黙って的になる理由は無く。初撃を飛び退き躱すと、勢いで後方宙返り。無事着地したところを襲う氷槍に手を伸ばしと。


「お返し、するよぉ!!」


 横に一回転。魔術式を書き換えたらしい、氷槍の形を保ったまま速度を落とすことなく、投げ返される。

 しかし、所詮は氷。

 氷槍に残存する自身の魔力を操り、刺さる寸での所で水に戻るが時すでに遅し。


「チッ」


 ばしゃり、と頭から水を引っ被るイズミ。それを見た男の、不自然に浮かべるニタリとした笑み。


「はい、どーん」

「……くッ!?」


 パキリ、片眼鏡モノクルに入るヒビ。それだけではない、頬、肩、腕、身体の至るところで焼けるような鋭い痛みと、避ける布地、流れる血。

 一瞬でボロボロになるイズミの衣服。

 ヒビの中心に付着していたのは、米粒のような小さな何かで。そっと摘まんで目を凝らせば、ミリ程度の特徴的な棘が見える。


(メリケントキンソウ、か)


 小さい果実と種子ながら鋭い棘が危険な植物、メリケントキンソウ。氷槍を投げ返すついでに果実を付着させ、魔術で爆ぜさせる。ただでさえ鋭い種子の棘は、たちまち皮膚を切り裂く凶器と化す。


「クソが」


 中途半端に壊れた片眼鏡モノクル心眼しんがんの制御が利かない。男の心情が揺らめくように浮かんでは消え、眩暈めまいのような気分の悪さがイズミを襲う。


「見かけによらず、口悪いねー?」


 瀕死の獲物をいたぶるように、猫撫で声のテノールが笑う。

 右腕、さっくりと裂けた二の腕を抑えれば、どろりとした赤が白手袋を濡らす。痛み止めのお蔭でまだ動けるものの、本来ならばイズミの身体はもう既に重体である。


「……だ見目に囚われるか」


 頭の隅の肋骨が折れた可能性を鑑みて、浅い呼吸を繰り返す。なんのこれしき。家出直前の、指導という名の折檻に比べれば。


「いいことを、教えてやる」


 イズミが至極自然に薄ら笑いを浮かべる。黙った男の口元から、笑みが消える。


「……そりゃ楽しみだネ!!」



 * * * * * * * * * 



 バサバサバサ、と野鳥が飛び立つ音に、思わず止まる足。背後に捉えたその音に振り返れば、音の発生源からは割と距離があるらしい。花菱の目には既に、野鳥が遠く大空を舞っていた。


「イズミ様でしょうか」

「どう、だろうね」


 同じ光景を見たセレーナの呟きに、メゾソプラノは自信なさげに返す。

 ざっざっざっざっ、と規則正しい二人分の足音。

 イズミと別れてから休むことなく走り続けてきた二人。花菱はまだ体力が残っているが、セレーナの顔には疲れが滲んでいた。


(この辺りが限界、か)

「……Scan for.走査せよ


 半径五〇メートル以内の、周囲の魔力反応を一通り精査する。

 馬車から出たときの土埃の濃さから見て、襲撃者は複数人居ると考えるのが妥当であった。イズミの囮役にどの程度引っ掛かるか、更には目的が不明であることからどのような行動に出るのかが読めない。


(反応なし、なら)

「セレーナ嬢、この辺りで少し休みましょう。追手も来ていないようですし」

「わ、わかりました」


 先導していた花菱が少しずつ走るスピードを落とすと、セレーナも倣って速度を緩めていく。やがて、ゆっくりと二人横並びで歩くほどになる。


「はぁ、はぁ……有難う、ございます……」

「いえ、このような事態になってしまい申し訳ありません」


 息を切らせながら頬を染めるセレーナに、花菱は頭を下げた。


「まさか向かう道中に襲われるとは。護衛の依頼を受けていたというのに……こちらの落ち度です」

「いえ、いいえ!! ……どうかお顔を上げてください」


 力強いソプラノに腰を曲げたまま顔だけを上げると、屈んで視線を合わせるブラウンの瞳。真っすぐとしたその瞳は、純粋さと危うさを併せ持った惹きつけられるものだった。


「これは誰も予想することの出来なかった危険、だと思いますから」


 さあさあ。

 そう言いながら直立を促すように、セレーナは手で肩を押し上げていく。抵抗することなくされるがまま上体を起こす花菱の脳内では、情報が巡り組み合わされ思考の渦が巻き起こっていた。


「そ、れはつまり」

「……エリ様?」


 何かを言いかけた花菱は、弾かれたように一方向を見る。先程まで背を向けていた、馬車のある方角。起動し続けていた検知の魔術が、何者かの魔力反応を捉えたのだ。


「誰かが近づいて来てます。物凄い、速度で」


 イズミが負けたか、あるいはイズミ本人か。確認するすべはなく、事実として今尚花菱達の居る方へ向けて前進する何者かが居ることだけが確かだった。


「セレーナ嬢、私の背後に。Reload.再展開せよ


 背後に庇う形へセレーナが収まったのを確認すると、防御結界を強度を高めて再展開する花菱。

 耳に届く慌ただしい足音。次第に大きくなるそれに、緊張感が高まっていく。


(……来る)

Anchor出力固定.」


 花菱は攻勢に出る為の魔力を練り上げる。ごくりとセレーナが唾を飲む音。

 木々の間、茂みを踏み分ける音がすぐそこまで迫る。


(あと三歩さんぽ二歩にほいち……)

「止まれ!!!」


 メゾソプラノが威嚇すれば、ぱたり、と足音が止まる。だが数秒後、何も問題はない、と言うようにまた歩き出す足音。


「――追い、ついた」


 茂みをかき分けて現れた男は、ぼそりとそうバリトンを響かせた。

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