1-3:それが全てとは限らない

(まさか……生きている間に、もう一度この場所に来ることなるとは)


 足音あしおとひとつ。結えられた長髪の、緑がかった黒がたなびく。魔導書管理局の廊下を歩きながら、イズミ・カーティスは息を吐いた。


 “果ての図書館”、それは北欧の森深くにて全ての本が最後に行きつく場所。慣例として適正のある魔術司書一人のみが勤務を許される、本の墓場とも称される場所。

 古今東西から人類の叡智えいちが集結するそこが、本好きは勿論、知恵を求める者にとって楽園であることは想像に難くない。


 そのたった一人の管理者に選ばれ、司書として配属が決まった直後。今でも鮮明に思い出される、仕事引き継ぎの為の先代との顔合わせ。


 出会い頭の一言目は、『勤務開始後、“果ての図書館”から出られることは基本的に二度と無い』だった。

 幸か不幸か、現在は優秀な司書補佐たる魔導人形――リブレが“果ての図書館”を住処としたことから、先代の予言は破られることとなったが。


「どうして、あの男が……」

「……“果ての図書館”の、……何故」


 ひそひそと交わされる会話、さりげなく向けられる視線。

 向かう先は、局長専用応接準備室。


(はあ、頭が痛い)


 イズミから見た局長たるベルリッジは、上司にしたくないタイプの魔術師であった。物事を大局的に見るが故に、時折情報操作などをおくびにも出さずにやってのけてしまう。

 よく言えば策士、悪く言えば隠蔽体質。もう会うことはない、とたかを括っていたが、人生とはままならないものである。

 階段を上り切ると、人気の少ない廊下へと出ると。


「……失礼、ミスタ・カーティスであせられますか?」


 凛としたメゾソプラノが呼び掛けた。声を見遣れば、局員服を着、青みがかった藍色髪の女が一人。応接準備室の前から歩み寄って来る。


「ああ。特別魔術司書のイズミ・カーティスだ。君は……」

「申し遅れました、第零級魔術司書の花菱エリと申します」


 挨拶がてら交わされる握手。手袋越しに感じた人間ひとの体温は、イズミにとって久しぶりのもの。


(……ぬくい)


 握手をしたまま、視線が交差する。

 顔合わせの意味も兼ねて、ベルリッジに雑用――もといイズミの応対を頼まれた花菱であったが、驚きを隠せなかった。

 魔術師に成り立ての頃、遠目で一目見ただけの特別魔術司書は多く見積もっても三十路に達さぬ若人わこうど。年もそれほど離れていないだろうことが伺えたからである。


(思ってたより、ってか大分だいぶ若い……!)

「……もうそろそろ」


 ぼそり、と近くで響くバリトンボイスで、花菱は現実に引き戻される。手を握られたままのイズミが、困ったような顔をして見ていた。


「ッ失礼致しました」


 バッと手を離すと花菱は素早く身を翻し、応接準備室の扉を開いてイズミを招き入れる。


「どうぞ、お入りください」

「有難う。失礼する」


 先にイズミが入り、次いで花菱が部屋に入る。扉をしっかりと締めれば、真っ暗闇に視界が染め上がった。


「――貴様」

「少々お待ちを」


 重低音で威嚇するイズミにぴしゃりと言い放ち、花菱は入り口近くにあるスイッチを押した。すると、真っ暗だった部屋の壁に、スクリーンに映されたかのように隣室の様子が浮かび上がる。


「これは……局長の応接室?」


 一番近くにベルリッジの灰色の後頭部。そして、ローテーブルを挟んで一人の女性。三つ編みの、蜂蜜を溶かしたような長いブロンド。柔和な笑みを浮かべ、細められたアンバーの瞳――おそらくは、セレーナ・コルテンティアその人である。

 

「だが、この画角。確か室内、この位置には」

「マジックミラーです。幻惑魔術ヴィオ・マギアの作用により向こう側からはただの絵画に見える、とのことで」

「……、知りたくなかったものだ」

「大いに共感です。ですがどうかご内密に」


 様子を見れば、丁度会話がひと段落したところのようだった。空になったティーカップに、ベルリッジが紅茶を注ぐ。

 スクリーンは絵画一枚分に偽装されるくらいということで、大型テレビより少し大きい位の幅しかない。隣り合って二人で眺めるにしては、少々サイズが小さいものである。そんな至近距離にて。


「何故、君はまだ此処に?」


 ちらりと横目で見遣ると、隣室の光で浮かび上がったイズミのかんばせ。表情は、視線は、怪訝であると言わんばかりだった。


「【コルテンティアの遺産】、と言えば分かりますか?」


 応接室に目を戻し、ただそれだけ呟く花菱。互いに互いの技量を推し量れるからこそ、多くの言葉は必要なかった。


「……成程、君も候補にされたという訳か。もう一度名を聞いても?」

「ええ。花菱エリです、ミスタ・カーティス」


 顔がしっかりと見えるようにして花菱が返せば、ふうむ、と言って小さく頷くイズミ。その度に黒髪の間から、片眼鏡モノクルのチェーンがきらりと揺れた。


「覚えておこう」

「光栄です」

「『――手紙の文面を見ても、同一の物のように判じられるが』」


 響いたテノールに、四つのまなこが吸い寄せられるように動いた。少しくぐもっていながらも、聞き取れるくらいの声量である。


「『何故届いたのか、心当たりはあるかね?』」

「『……亡くなった、という話を今日、此処で聞きました』」


 続いたのは、しっとりとしたソプラノ。セレーナの声は若々しさがありながらも、落ちついた大人の女性らしさも兼ね備えていた。


「『それとその、魔術師さんとの関わりも……あまり持っていなかったので』」

「『そうかい。話は変わるのだが、以前君と私は会ったことがある。私のことを――覚えているかね?』」

「『はい! ミスター・ベルリッジ、勿論ですよ! ……それでこうして、連絡申し上げたのです。こういったお話に関して頼れる方が、他に居なくて』」


 ぱあっと顔を綻ばせたのと打って変わって、最後、尻すぼみになるように小さくなっていく声。膝の上で無意識にだろうか、セレーナはぎゅっと握り拳を作っていた。


「『成程。ひとつ尋ねたいのだが、君は今……魔術が扱えるのかね?』」


 響きは柔らかいものの、なんとなくうなじがぞわりとするようで。花菱の背筋がピンと伸びる。幾分か低いその声は、祖父として問い質す一歩手前に似ていたのだ。

 だが、それに気がついていないのだろう、セレーナは微笑を浮かべて。


「『はい。少しばかりではありますが、見ることも扱うこともできます』」


 そう、きっぱりと言い放ったのである。


「『ふむ。では相続人候補に選ばれるのも致し方ない、ということか』」

「……ミスタ・カーティス」

「何か?」

「どのように考えられますか?」


 花菱には、嘘を吐いているように見えなかった。だが、どこかしらで何か引っかかるような、言い表すことのできない違和を感じているのもまた事実である。

 かちゃり、と金属音が鳴る。片眼鏡モノクルを外したイズミが、目頭を揉みながら口を開く。


「……虚偽ではない、のだろう」

「そう、ですか」

「『さて、では本題に入ろう』」


 イズミも、おおよそそは花菱と同じような感触を持っていた。片眼鏡モノクルを外したまま見つめる視線の先、ブロンドの女性は居住まいを正す。


「『ミス・コルテンティア、君は――我々に、どうして欲しいのかな?』」

「『……私は、依頼をしたいのです』」

「だが、それが全てとは限らない」

「――え?」


 ぽつりと零された言葉に、思わずイズミの横顔を見た。日に当たっていないだろう色白な肌と、暗闇に溶けるような黒髪黒眼のコントラスト。


「ミスタ・カーティス、それは」

「『それは、どのような?』」

「――まだ推論の域を出ない。忘れてくれ」


 言外に、これ以上話題を続けるつもりはない、とイズミは口を噤んだ。一切の注意を花菱に払うことなく、黒い瞳は隣室に注いだままで。

 花菱とイズミによる無言の遣り取りを余所に、応接室内の会話は進む。


「『簡潔に申し上げますと、……相続人選考会の間、信頼できる方に、私の護衛を依頼したいのです――』」

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