1-2:世の中には偶然などないさ

 そのまませわしなく視線を動かし、ベルリッジは手紙の全文を読み込む。


『つきましては、後日行われる遺産相続人選定会へ招待致します』

『選定会への参加を以て遺産相続の意志を有すると判断し』

『選定会にて候補人各位の、真の相続人たる資格の有無を確認させていただくものとします』

『遺産相続人選定会はレイラ・コルテンティアの居館きょかんにて行うものとし』

『選定会の詳細な日程は追って連絡致します』


 そう締めくくられた手紙自体にも差出人の記名は無く、窓に向けてかざされるが透かし彫りも無い。すう、と魔力の籠った白手袋の指が手紙を撫ぜても、隠蔽魔術などが浮かび上がってくることも、無い。


「筆跡に見覚えは?」

「少なくとも、レイラ直筆ではないね。彼女なら普段筆記体で手紙を書くし、執筆時の活字体とも癖が異なっている」

「そうですか」


 直接会う事こそ少なかったものの、文通相手であったレイラ・コルテンティアの文字はベルリッジにとって慣れ親しんだものであった。仕事柄鍛えられた筆跡鑑定能力と併せれば、他者の文字と見分けることなど造作もない。

 手紙を封筒の上に重ねるように置くと、ベルリッジは花菱の方へと視線を移す。


「これが来たのは三、四日程前、と言ったね?」

「はい。昨日、郵便受けレターボックスに入っているのを確認しました。前後に入れられていた郵便物の日付から断定を」


 ふむ。それならば、何も書かれてなくとも日付は推測できる。

 ベルリッジのそう納得しかけた思考に、理性が待ったを掛けた。花菱は昨日郵便受けレターボックスの確認をし、届いたのが三、四日前だと告げたのだ。

 つまるところ。


「遠方の任務は無かったと記憶している。それほど郵便物を溜め込んでいた理由についてだが」


 五日以上前から郵便物を溜め込んでいたということになる。


「……まさか確認するのが面倒だった、なんて言わないだろうね? ミス・花菱?」


 爽やかな笑みで尋ねるベルリッジに、花菱は無言でにっこりと笑みを返す。清々しいくらいの無言による肯定であった。

 深く、深く、吐き出された溜息は、仕事の上司としてのものではない。


「あれ程郵便受けレターボックスは毎日確認しなさいと言った筈だがね? ……今回は結果としてそれが一助いちじょになったものの、記録ログを残せない重要書類こそ郵便受けレターボックスに届くのが必然であるというのに。本当に君は――」

「あーもーgrandad! 私が悪うございました!!」


 声高に遮った花菱は、ばつが悪そうに口元を引き結ぶ。

 ベルリッジと花菱は上司と部下である前に、義理の祖父と孫であった。義理の、というのも花菱は養女のようなものであり、祖父というよりは育てのおやというのが実態である。


「だって手紙が二、三枚届けられてんのを見ると、郵便受けレターボックスのキャパシティがどのくらいなのか、何枚までねじ込まれて配達されるのか気になっ……以後気を付けます」


 細められたヘーゼルの瞳に気が付くや否や、視線を逸らしつつも花菱は頭を下げた。


「全く、いつまで経っても手が掛かる子だ」


 ティーカップを手に取ると、気を休めるようにベルリッジはカップに口を付ける。とりあえず意識が逸れたことにふぅと息を吐いて、花菱は後頭部をがりがりと手で掻いた。


「話を戻しましょう、局長ミスター。質問をしても?」

「構わないとも」

「では。……コルテンティア様は、どのようなお方だったのですか?」


 コト、と小さな音を立ててソーサーにティーカップが戻る。


「端的に言えば、魔術と書物が大好きな女性、かね。“果ての図書館”勤務の魔術司書の代替わり時には、是非次代にして欲しいと関係者へ直訴した、なんて話もある」

「中々、行動力のあるお方であったのですね」

「ああ。普段は大人しく、淑やかなのだが、いざという時の思い切りの良さがあったよ。魔術にも、書物――ひいては言葉にも誠実な人だった」

「……幾つか著作を拝読しましたが、どの作品も読み手に配慮されているというか。相手に正しく伝える為に、言葉を選び用いられているのが感じられました」


 魔術書というのはその専門性に伴い基本的に難解であるのだが、入門書でもないのに読みやすいと評される魔術書もしばしば存在する。それらの著者名にレイラ・コルテンティアの名が載っているのを、花菱は覚えていた。


「私が言う言葉でもないがね、有難う。レイラが聞いていたら、笑顔でお菓子の大盤振る舞いをしていたと思うよ」

「コルテンティア様のお菓子好きは有名ですもんね……なんでも、一人でホールタルト二台平らげられたとか」

「実際は三台だがね。古今東西のお菓子を取り寄せたり、時には自ら作ったりもしていたようだよ」


 その後、レイラ・コルテンティアを招致するならホールケーキ五台は用意せよ、という言葉が生まれたという。


「さて、ミス・花菱。他に質問はあるかな?」

「もう一つ。その……魔術師としての後継がいなかったと聞きましたが、真偽の程は」

「嗚呼、その事かい。真実だよ」


 魔術師の世界に足を踏み入れた者と、生粋の魔術師である者との差なのか。花菱の歯切れ悪い問に対して、ベルリッジはあっけらかんと答えた。

 魔術師とは知識面では教授、技術面では医者に例えられる。腕の優れた魔術師こそ、技術を残さんと後継育成へ手を尽くすもの。


「……名乗り上げが無かったとは、聞いていましたが」

嗚呼ああ。弟子すら取っていない、というのが正しいか。他人ひとに見られていると執筆がはかどらないからと言って、頑なに作業場には人を近づけなかった。だから、私は」


 ローテーブルへと手を伸ばすと、置かれた手紙をトントン、と白手袋で指して。


手紙これは、悪戯でもなんでもなく、本当の遺産相続への誘いなのではないか? とね。現に、確認しているだけでもう

「……内容は同様のもので?」

「それが実際に手紙自体、今し方見たのが初めてでね。しかし、現時点で同内容の手紙が届いたとの連絡が二件、一昨日おととい昨日さくじつと入っている」


 相続人候補だ、何人いてもおかしくない。連絡からしても、訃報が出回った頃合いに同一のタイミングで手紙の送付されたことが推測される。


「先の二人は、何方どなたかお聞きしても?」

一人目ひとりめは魔導書管理局の局員、名はイズミ・カーティスだ」

「イズミ・カーティス……?」

「当代“果ての図書館”勤務の魔術司書、と言えば分かるかね。以前リブレ君に関しての依頼をしてきたのが彼さ」

「ああ……成程、そうでしたか」


 小さく頷きながら、花菱は納得といった表情をした。リブレ、というのは花菱と友人になった自律思考型魔導人形の女性である。出会いの切欠きっかけとなったのが、イズミの依頼という訳だ。


「ミスタ・カーティス自身については一度だけ見たことが。……にしても」


 レイラ・コルテンティアは“果ての図書館”勤務になりたかった。だが、“果ての図書館”に勤められるのは慣例として一人だけ。


「偶然にしては――」

「――出来過ぎている、と言いたげだね?」


 クス、と形だけの笑みを作って、ベルリッジが言葉を引き継いだ。こくりと顔を上下に動かして花菱が答えると、心底面白そうにヘーゼルのまなこが細められる。


「この世の中には偶然などないさ」


 魔術は、科学的な不可能を可能にさえしてしまう技術だ。無から有を創造する方法も、偶然の確率を必然に底上げする方法も知っている。

 故に魔術師かれらの前ではなのだ。何もない空間から水を出すことも、相手の持つトランプカードの柄を見破るのも、コイントスで表を十回続けて出すことも。


「あるのは仕組まれた必然のみだよ、ミス・花菱」

「……それは、二人目の方も何かしらコルテンティア様と関連がある、ということで?」

「鋭いね。二人目は、に対して連絡を取ってきた外部の者だ。名前は、セレーナ・コルテンティア」

「……コルテンティアって」


 メゾソプラノが言葉を反芻はんすうする。それをまだ上手く呑み込めない花菱へと、柔らかなテノールが言葉を付け足した。


嗚呼ああ。正真正銘、レイラの一人ひとりむすめさ」

「むすめ。……あれ、でも後継は居ないんじゃ――」

「居ないとも。だが、それは必ずしも子宝に恵まれなかった、という意味にはならないのだよ」


 そう、後継者というのはあくまでも魔術師としての技術や知見を引き継ぐ者、という意味合いに過ぎない。往々にして魔術界では親から子へ相続が行われているが、本来後継と子孫の有無はなんら関係が無いのだ。


浅慮せんりょな発言でした。撤回致します」

「うむ、言葉には気を付けるように。さて、そのセレーナだがね」


 言葉を切ると、ほんの少しだけベルリッジはソファに背を預けた。僅かにギチリとソファが音を立てる。


「幾度か会ったことがある。この間、――といっても、彼女が十、十一歳くらいの頃だったかな? 今は確か、おおよそそ君と同じくらいの年齢になっている頃じゃないかね」

「私と同じくらい、ですか」


 花菱は数え年で今年二十一にじゅういち。逆算すると、セレーナの親たるレイラ・コルテンティアは、まだ若いのに、と言われる年齢だろうことが推察される。


「私の記憶が正しければ、の話ではあるがね。ただ、……いくつか気に掛かる部分もある」

「……何故今更、後継者の候補にしたのか、ですか?」

嗚呼ああ。しかし、もっと根幹的な部分での疑問だ」

「と言いますと?」


 首を傾げながら問い返すと、眉間に皺を寄せベルリッジの眼光が鋭くなる。


「――セレーナには、魔術師の素養が無かった筈なのだよ」


 重苦しく響いたハイバリトンに続き、言葉を切らした花菱の喉がゴクリと鳴った。

 魔術師の適正は、生まれ持った素質と才能に因る。魔術師の子は技術と知識を継ぐことを生まれながらにして求められ、そして次代へと繋げることを責務として生きる。


「そ、れは」


 だが、必ずしも才が、親から子へ引き継がれるとは限らない。


「……後天的な魔術的才能の開花は、ごく稀に確認されている事例、だと思われますが」

「いいのだよ、ミス・花菱」


 魔術師にとってデリケートな話だろうことを察し、花菱は言葉をオブラートに包む。その配慮をベルリッジは苦笑いで受け止めた。


「君の言う通り、魔術師の素養は後天的に得ることはほぼ不可能だ」


 先の希望的観測は、過去五十年でも一例いちれいあるかないか。そのくらいの確率でしか有り得ないことなのである。


「なら――」

「それらを見極める為に、本日面会を行う予定だよ。面会に際し、ミスター・カーティスも来局する」


 花菱の言わんとすることを解ったうえで、柔らかでいて有無を言わせないハイバリトンが響いた。


「君も、話を聞く権利はあるが」


 さて、どうするかね?

 続け様に放たれたベルリッジの言葉に、いちもなく。


「拝聴させて頂きます」


 花菱は頷いて返したのだった。

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