虚構と踊るホワイトライアー

蟬時雨あさぎ

act.1 Mysterious letter about "Inheritance"

1-1:『あなた様は此度――』

 かの著名なるレイラ・コルテンティアの訃報に、魔導書管理局は喪に服していた。


 二十一世紀。科学が跋扈ばっこし、世界の人口の数パーセントのみが真に魔術といった神秘を扱うに能うる現代。日常に秘されたものを見ることにすら素質が必要であり、その上魔術を扱うことにも才能が要る。

 その中でも取り分け難しいと言われているのが、魔術に関する書物の制作――即ち魔術書の執筆であった。


「……惜しい人を、失ったものだな」


 しめやかに、それでいて局内のそこかしこで交わされる会話。


「本当にな。彼女ほど魔術書執筆に長けた人は、今や他に居ないだろう」


 魔に通じる書物を管理する場所ゆえに、出入りする者はすべからく魔術に精通する魔術師ゆえに。彼女の名を知らぬものは居なかった。


 近代に入り、新たに制作された魔術書の数は五十にも満たない。その内、主として書きあげた魔術書が三冊、執筆に携わったとされるものを含めれば、レイラ・コルテンティアは優に十数冊の魔術書制作に関与していた。

 この輝かしい功績を讃え、多くの魔術司書は哀悼の意を示す。しかしながら。


「だが、――誰が彼女の遺産を相続するのだろうな?」


 その端々には、死を悼む魔術師たちの独特の空気が見え隠れしていた。


「【コルテンティアの遺産】、か」

「ああ、そうだ」


 魔術師の技術は、連綿れんめんと師から弟子へと引き継がれるいわば一子いっし相伝そうでん。死後に残された遺産は全てただ一人ひとりに継承され、葬儀の際に正当な後継者として名乗りを上げるのが習わしである。


 だが、レイラ・コルテンティアに関しては例外であった。


 彼女の持つおびただしい量の蔵書と、魔術師としての技術。常人には価値なき書物の山であれど、魔術師にとって喉から手が出る程に欲しい、それこそ此岸このよのどんな金銀財宝よりも魅力的な知識と技術の宝庫。

 これらを次代へと繋いでいく、後継者の名乗り上げが無かったのである。


「後継には恵まれなかったと聞く。……内弟子は居ただろうか?」

「さてな。魔導人形の世話役と山間の館に籠っていると聞くが」

「そうか? ここ数年は何度か社交場にも出ていたと聞く。もしや見繕っていたのでは?」


 名の馳せた魔術師の代替わりは、派閥争いのある魔術界におけるパワーバランスにも影響を与える。特に、先代が派閥に属さない者の場合、否応なく次代の振る舞いに注目が集まるものだ。


「【遺産】、か。……はてさて誰の手に渡るのやら」

「厳密には【遺産】の継承者が、だろう? どちらにせよ目が離せな――」


「――おい、アンタら。なに無駄口叩いてんの?」


 そんな生粋の魔術師達らしく“喪に服す”姿に、花菱ハナビシエリは嫌気がさしていた。

 ぶっきらぼうに響くメゾソプラノに、階段の踊り場でまさに“故人を悼んでいた”二人の魔術司書は顔を引きつらせる。


「こ、れはこれは……第零級魔術司書の、エリ・ハナビシさまではありませんか」

「ご丁寧にどうも。それで?」


 どこの所属か見極めようとさっと観察すれば、二人の襟元の徽章きしょうが第二級魔術司書であることを示す。その後、じろり。花菱が睨み付ければ、それぞれ形だけの笑みを浮かべて。


「ははは、ただの仕事上必要な情報共有ですよ、なあ?」

「ええ、コイツの言う通りですよ。そうだ、この書類を持っていかなければ。では、これにて」

「おっと、私も行かなければなりませんので。では失礼!」


 口達者に、競い合うようにして階下へと去っていく。その後ろ姿を、花菱は諦め交じりにぼうっと眺めていた。


一人ひとりの人間の死を悼む者が、……此処には居ないのか?)


 後ろ姿も見えなくなった頃。溢れそうになった溜息を飲み込むと、花菱は踵を返して階上へと向かう。


(――少なくとも私は。“人間らしさ”を捨てたく、ない)


 目的地はといえば――魔導書管理局、局長専用応接室。

 辿り着いた部屋の前。深呼吸を一つしてから、花菱は握り拳を作る。


 コンコン、コン、コンコン。


 独特のリズムでノックをすれば、かちゃり、と扉が開錠される音が響く。入室してよし、の合図だ。


「失礼致します。花菱エリ、参りました」


 そう言いながら扉を開けると、ふわり、かんばしく心地良い香りが鼻をくすぐる。


「……って、何をしているんです?」

「何って、見ての通り。ティーブレイクさ」


 グレイヘアを後ろに撫で付けた男――局長・ベルリッジが座すその目の前。ローテーブルには、ティーセット一式いっしきが置かれ。白手袋をめた手が、それぞれティーストレーナーとティーポットを持つ。

 とぽとぽとぽ。軽快な音を立てながら注がれる、深い赤茶色の液体。


「勿論飲むだろう? ミス・花菱」


 ソファの方へと歩み寄れば、香りの存在がより一層強くなる。二つのティーカップが程よく満たされていく様を視界の端に、花菱はそんなことは分かっているとベルリッジを凝視していた。


「報告時間を休憩時間にするのは、いかがなものかと思うんですけど……?」

「君だからこそ、だよ。局長らしくいるというのも、いささか疲れるものだ」


 はあ、と溜息交じりに眉尻を下げて見せるベルリッジ。わざとらしさを隠すことなく行われたそれに、花菱はソファへと腰を下ろすことで返答とする。


「今日は何を?」 

「丁度良い茶葉を買ったものでね、アッサムだよ」


 以前、君が好きだと言っていただろう?


 続け様に紡がれた言葉を聞くや否や、ほんの少し視線を逸らす花菱。不自然に引き結ばれた口元は、にやけそうなのを隠し通す努力の表れであった。

 それを見て見ぬ素振りをしつつ、ベルリッジはソーサーごとティーカップを運ぶ。


「さ、飲んでみてくれ」

「頂きます」


 片付けられていくストレーナーなどを横目に、花菱はティーカップを傾ける。ひとたび口に含めば、渋みもありながら優しい甘さが口いっぱいに広がった。ごくり、と飲み込んだ後も、濃厚な香りが鼻に抜ける。その余韻に浸りながら、思わず。


美味うま……」

「ふむ。その様子を見ると、どうやら上手く淹れることができたようだ」


 年相応に心から湧き出た言葉に、愉し気に口元を綻ばせるベルリッジ。自身もティーカップを傾け嚥下えんかすると、芳醇ほうじゅんな香りが肺を満たすようだった。

 各々おのおのひとしきり紅茶を楽しんだところで、ソーサーへとティーカップが戻されると。


「さて、どのような要件だったかな」


 笑みを形作ったベルリッジの一言で、団欒の空気が一変する。居住まいを正し、花菱は慎重に言葉を選び取りながら口を開く。


「まず、……コルテンティア様と、交友関係にあったと聞きました。心から、お悔やみ申し上げます」


 沈痛な面持ちで、花菱は頭を下げる。心からの言葉だった。

 魔術師とは、魔力を扱うことができる者のことであり、魔に魅入られた者の事でもある。それは時として――局内の魔術司書のように――心無き一面を見せることを、花菱は知っていた。


「有難う、ミス・花菱。顔を上げてくれるかい」


 ベルリッジの顔は変わらず笑みが形作られていた。だが、ふ、と小さく零された息に、花菱は目聡めざとく物寂しさを読み取る。


「……レイラとは、何度か共に仕事をした仲でね。希代の魔術書執筆者だったよ。まさか私よりも先にとは、思わなかったがね」


 ベルリッジが窓の外へと視線を移すと、木々の青が映える雲一つない晴天であった。倣って花菱が見遣ると、鳥が天高く飛び上がったのか、ただ一つ閃影が映る。

 そのまま、二人で景色を眺めていたのも束の間。


「しんみりとしてしまったね。話を戻そう」

「……わかりました。見てもらいたいものがあります」


 こちらです。


 局員服たるジャケットの右内ポケットから取り出されたそれ。花菱の手には、一枚の真っ白な葉書サイズの封筒。


「――三、四日程前、私の下へ届いた手紙です。危険な類の魔術の痕跡はなかったので一度いちど開封し、中身も確認しました」

「それなら何故、持ってきたのかね?」

「見ていただければかりますよ」


 花菱はローテーブルへと置き差し出す。表面に宛名の記名はなく、中には折りたたまれた紙が一枚。手にとって裏返しても差出人の記名はない、が。


「! この封蝋ふうろう……印影は」


 差出人を推測させる手掛かりはあった。


「間違いなくレイラの使っていた、コルテンティア家のものだ」

「やっぱり、そうですか。手紙の内容も見ていただけますか?」

「見ても問題がないというのなら」


 花菱が頷きで返すと、ベルリッジは丁寧に手紙を抜き取る。封筒をローテーブルに置いた後、二つ折りとなっていた手紙が開かれた。手紙を目に近づけたり、遠ざけたりしてから手紙の位置をピタリと固定する。

 左右に一度いちど、ヘーゼルの瞳を行き来したところで。


 にわかに見開かれた目が、視線が、花菱へと投げかけられる。


「ミス・花菱、レイラと話をしたことは?」

「ないですよ」

「面識は、どうだね」

「ないです。というか、接点らしい接点となると――」

「成程。私の存在ぐらいしかない、ということだね」


 だから持ってきたのだ、と言わんばかりに花菱は頷き返す。ふうむ、とベルリッジの視線を落とした先、手紙の中。丁寧な筆致の書き出しは、こう宣言していた。


花菱エリあなた様は此度このたび、レイラ・コルテンティアの遺産相続人候補に選ばれました』


 と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る