1-4:何を対価とするつもりかな

「『……護衛とは、穏やかではないね』」


 ほんの少しだけ下がる声のトーン。僅かな差、花菱だけが分かるくらいの違いが、空気が乾燥するような感覚をもたらす。自然とイズミかららされる、花菱の瞳。


「『選考会に何か問題でもあるのかね?』」

「『いえ、いいえ。問題、というものではないのですが』」


 楽しげな微笑を浮かべたベルリッジの言葉は、やんわりと否定された。


「『……コルテンティアの名を持つからには、この選考会に参加したく思っています。ですが、私は、私には、他の魔術師の方と繋がりがありません。魔術師としての後ろ盾も、ありません』」


 心許なさげに響くソプラノ。伏し目がちなアンバーはかげって、カップに注がれたダージリンのように色を濃くする。一連いちれんの仕草、一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそくに至るまで、花菱は注意深く観察する。


「『魔術師の何たるかを、少しばかりは知っています。選考会に際してコルテンティア家に名を連ねる私を排除しよう、という方が居ないとは言い切れません』」

「『つまりは身の危険を感じる、と?』」


 問いかけにおずおずと視線を上げてから、セレーナはゆっくりと頷き返した。ちらりと花菱は横目でイズミを盗み見るが、無表情な黒い瞳にぼうっと隣室が反射しているのみ。


(“それ”が全てとは、限らない……ね)

「『相続人候補、というからには、複数の魔術師の方が選ばれているのでしょう。是が非でも【遺産】を手に入れたい方にとって、私の存在はきっと……』」


 局長との会話に不自然な点はなく、淡々と迷いなく紡がれる言葉は虚偽を述べているようにも聞こえない。それに、だ。


って、今なら理解わかる)


 花菱が魔術界に足を踏み入れたのは、少年期半ばから。少年期を経て本格的に魔術師として、魔術司書として活動し始めた頃。周囲の魔術司書からは、存在がとよく言われていた。

 魔術師から発せられる、独特の――魔に魅入られた者の雰囲気。


「『想像に難くない、ということだね』」

「『はい。見る人が見れば、というものではありますけれど……』」


 考え方が、行動が、言葉遣いが、些細な差異が醸し出す同業者まじゅつしの空気感。それを、花菱はセレーナから感じ取れなかった。


「『……確かに言えている』」


 魔術師の後継は、多くが所縁ゆかりあるの者の中から選ばれる。つまり、選考会であってもコルテンティア家の近縁、ましてや血が繋がった者が有利と考えるのも自然。


「『例え名を伏せていても、知己であれば君の髪と瞳の色で“羽筆はねふでの魔術師”を想起させることだろう』」


 “羽筆の魔術師”。それは、レイラ・コルテンティアその人を指し示す魔術師の二つ名である。

 二つ名とは、優秀な魔術師が魔術師協会から与えられる称号だ。魔術師の持ちうる技術・成した偉業に基づき選定され、二つ名の有無は魔術師のステータスにおいて大きな差として扱われている。


「『本当に……彷彿ほうふつとさせる。とても美しい髪の色合いだね』」


 現に、魔導書管理局の長たるベルリッジは“熟慮の魔術師”、特別魔術司書を拝命するイズミは“洞観どうかんの魔術師”を授与されていた。花菱の場合、魔術師協会からのコンタクトすら無いが。


「『有難うございます。……自慢の髪です』」

「――母親似なのか、彼女」


 ぽつり、とメゾソプラノ。アンバーの瞳を細め、三つ編みにした髪を一撫ひとなでする仕草は様になっていた。昼白色の照明が、蜂蜜を束ねたような髪を艶やかに照らし上げた。


「……“羽筆の魔術師”は、美しいブロンドと瞳が印象的な人だ」


 ぽつり、と零されたバリトン。声の主を花菱がちらりと見れば、黒い瞳とかち合う。


「と聞く」

「……。ということはつまり、直接的な面識はないと?」

嗚呼ああ。先代特別魔術司書の言だ」

「そうですか、私もです。……会ってみたかったな」


 微かに本心を滲ませて、叶えられぬ願いを口にする。

 花菱が魔術師として馴染んできた頃には、殆ど館に籠りきりで滅多に社交界に出て来ず。一部では実在するかどうかすら怪しまれている魔術師であった。


「本当に、な」

「『――ここで、聞いておかねばならないことがあるのだが』」


 花菱とイズミの会話がひと段落し、セレーナがティーカップを傾けたところ。ベルリッジが新たな話題を切り出した。


「『はい、何でしょうか?』」

「『君は護衛の依頼、と言ったね。つまりは、我々の働きに対して報酬を支払うという意味で合っているかな?』」

「『ええ、合っています。……危険が予想されると分かっていてなお、選考会へ参加するのは私の我儘ですから。それに』」


 魔術師に借りを作ってはいけない、と。


 続け様に放たれた言葉にイズミは驚愕で目を見開き、花菱は苦笑いを溢す。ベルリッジはといえば、破顔一笑、くつくつと喉を震わせていた。

 間違ったことは言っていない。だからこそ、魔術師たる者を前にして言い切ってしまうのは度胸があるというか、向こう見ずであるというか。


「『ふ、ふふふ、……そうだね、大いに同感だとも。では、君は依頼の報酬として――何を対価とするつもりかな?』」


 にっこりと微笑を浮かべたままながらも、挑むような視線を投げかけるベルリッジ。それに対して、セレーナは膝の上できゅっと手のひらを握り込んで。


「『……魔術書を。報酬として考えています』」


 毅然きぜんとしたソプラノで返答した。

 魔術についてまとめられた書物たる魔術書、更には書物に魔力が宿っている魔導書グリモワール。それらを扱う魔導書管理局の勤務者は無論書物好きであり、無論ベルリッジもその一人である。

 下手な金品よりも、効果的な餌の選択。無意識に口角が持ち上がるのを、ベルリッジは感じていた。


「『ほう、それはどのような?』」

「『一五三八年第六版“活版印刷の普及と魔術書”と、二〇〇一年第二版の“機械人形への魔術組み込み”、あとは……一九七四年初版の“魔術詠唱と諸言語の関連性”』」

「初版だと?」


 つらつらと述べられる書籍名、その一つにイズミが低く唸った。魔術書に明るくない花菱は、不思議そうに首を傾げる。


「珍しいのか?」

「……状態にもよるが、物によっては言い値で買い手が付く」

マジで?For real?

本当だよI'm for real.


 つまりは、喉から手が出るほど欲しがる者が存在する、希少な魔術書ということである。他の二冊も今なお根強く読み込まれ、魔術書として名が知れたものばかりだ。


「『とりあえず今考えられる候補挙げてみましたが、いかがでしょう?』」


 少しだけ傾げられる首と、心配そうに伺うようなソプラノ。所持してはいるものの、どれほどの価値があるかは分からない。魔術書に関しては花菱と同程度の知識しか、セレーナは持っていないようだった。


「『……いやはや。どれも、良い魔術書ばかりだ。報酬として足り得るとも』」

「『そ、それでは! あっ、ええとすみません……』」


 ぱあっと顔を綻ばせたのも束の間、深呼吸で固められる表情。背筋をピンと正したセレーナの、真っすぐと射抜くような瞳に花菱の眼が惹きつけられる。


(ッ、こんな表情カオもできるとか……)


 その表情はまるで、魔術師が神秘と対峙するときのように。


「『護衛の依頼を――受けていただけますでしょうか?』」


 セレーナが突如として見せた、異様な迫力の魔術師らしさ。花菱が息を詰まらせ、イズミが固唾を飲む中。


「『嗚呼ああ。魔導書管理局局長、ウィリアム・ベルリッジがお引き受けしよう』」


 朗らかな笑みを想起させる声で、事もなげにベルリッジはそう告げる。


 それが意味するのは、魔導書管理局による【遺産】相続人選考会への参入。


(あー、面倒な依頼caseになりそうだ)


 つまりは、花菱やイズミの選考会参加が決定したのであった――。

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