あとがき ~since 2001 , 20th anniversary & 20 years after~
加藤麻衣という少女の物語を書き始めて、気づけば20年が過ぎていた。
子宝に恵まれなかった両親が、何年も不妊治療を続けて、ぼくをこの世界に産み落として39年。
ひとりっこのぼくが、自分には生まれてくることができなかった姉が存在することを知ったのは、高校生のときだ。
姉は名前も決まっていて、加藤麻衣という名前は、姉につけられるはずだった名前であり、ぼくがもし女の子だったらつけられるはずの名前であったらしい。
ぼくは、兄弟や姉妹がいる、という家庭環境、そのメリット、デメリットがいまだによくわからないまま大人になった。
兄や弟は別にほしいと思ったことはないが、こどものころから姉や妹に憧れがあった。
もし姉が生まれてきてくれていたら、もしかしたら、20年以上確執が続いたまま、死別することになってしまった父とのぼくの関係を、早いうちにどうにかしてくれたかもしれないのではないか。
そんなことを考えてしまう。
その場合、ぼくが生まれてこなかった、生まれずにすんだ可能性もあるわけだけれど。
生まれずにすんでいたら、どんなによかったろう。
もっとも、姉は生まれてくることができず、ぼくが生まれてきてしまった以上、ぼくがもう少し早く父に歩み寄ればよかっただけの話なのだけれど。
ぼくは、あまりに遅すぎた。
ぼくが歩み寄ろうとしたときには、父はすでにガンが脳に転移してしまっていた。
だから、というわけではないけれど、ぼくには姉や妹への憧れがいまだにあり、ひとりっことして生まれてきてしまったぼくは、できることなら年下の彼女にお兄ちゃんと呼ばれたいと、20年以上思い続けてきた。
なんなら、年上の彼女に、年上の妹という、本来ならありえない設定でお兄ちゃんと呼ばれるのも悪くない、恥ずかしそうに呼んでほしい、辱しめたい……
なんていう恥ずかしい性癖の吐露はさておき、
気がつけば20年が過ぎていた、という話だ。
正直実感がない。全くといっていいほど、なんにもない。
麻衣はぼくの中で、ずっと中高生のままで、20年前19歳だったぼくはさすがに19歳のままではないけれど、気持ちはまだ二十代後半のままで、実際にはもうアラフォーだというのに、ぼくはいまだに二十代の男子が着る服を着ている。
顔にほうれい線ができないように10年以上前にIKKOさんがおすすめしていた表情筋のマッサージを続けて……これも関係ないな……
そんなわけで、ぼくは、20周年の節目に、最初の加藤麻衣の物語の20年後を書こうと思った。
それを、これまでに一体いくつ書いたかもうわからない加藤麻衣の物語の完結編にしようと思った。
34歳になった、大人になり、母になった加藤麻衣を、ぼくは今回はじめて書いた。
この20年の間にさまざまなことが世界中で起き、ぼく自身も学生の頃と今では、社会的な立場が異なり、あの頃とは世界を見る視点が変わっている。
ぼくは、なぜ世界はこんなにも生きづらいのか、人生とはなぜこんなにも難しいのか、と中高生のころからずっと悩んで生きてきた。
今のぼくならば、物語を紡ぎながら、主人公たちとともに、その問題に向き合うことで、何かしらの答えが導き出せるのではないか。
そういう思いから、ぼくはその問題を「世界の不条理」と表現し、作中の人物たちに、それぜれの立場から世界の不条理に向き合ってもらった。
世界の不条理についての解釈が、物語の進行とともに変化していくのは、ぼく自身が同時進行でその解釈が変わっていったからだ。
ひとまずの結論は出た。
だが、結局、まだぼくには世界の不条理から抜け出す方法は見いだせないままだ。
ぼくにはまだ早すぎたのかもしれないし、ぼくの頭ではそれをどうにかする方法など、一生思い付かないかもしれない。
これまでに、いくつ加藤麻衣が登場する物語を書いてきたろう。
本当に、彼女なくして、ぼくのこの20年はなかった。
20年というこの節目の年に、ぼくはこの世界に存在する、佐久間ももかという少女の存在を知った。
それはあくまで偶然でしかない。
彼女を知り、彼女の写真やTwitterのつぶやきからインスパイアされることがなければ、彼女をモデルとして名前を借りた主人公の物語を紡ぐことはなかった。
加藤麻衣の物語の完結編は、加藤麻衣の視点で語られる、全く別のものになっていたと思う。
加藤麻衣の物語の完結編でありながら、佐久間ももかや、その姉であるゆりか(ゆりかにはモデルは存在しない)という、麻衣の娘たちを主人公とした、麻衣とは別の視点から彼女を描くことで、ぼくは、ようやく加藤麻衣の物語をこうして終わらせることができた。
おそらく、佐久間ももかという少女に、この物語が届くことはないが、
これは加藤麻衣への別れの手紙であり、
同時に佐久間ももかへの熱烈なファンレターだから……それでいい。
さすがに、恥ずかしい。
もしかしたら、ぼくは、これから佐久間ももかの物語をたくさん紡ぐことになるかもしれない。
これっきりかもしれない。
それはまだわからない。
ぼくには、才能がない。
ぼくが書くものは、自己満足でしかなく、誰かを楽しませることを想定しているつもりだけれど、あくまでつもりであり、誰かを楽しませることができるものではない。
だから、もしこの物語を楽しんでくれた人がいるなら、きっとぼくとあなたはすごく近い感性を持ち、きっとこの世界を生きづらく感じ、人生を難しいと感じていることだと思う。
自分の人生に、これから楽しいことや幸せなことなど何もないとあきらめているかもしれない。
でも、ぼくはあなたに、あなたはぼくに、出会えた。
それだけで、ぼくたちは互いに少し救われたのではないかと思う。
もし、あなたの人生に多少なりともこの物語が響いたなら、ぼくはあなたのためにこれからも物語を紡ぎ続けていきたい。
ああ、そうか、これはまだ見ぬあなたへのラブレターだったのか。
うん、やっぱりすごく恥ずかしい。
missing 2020 + THE END OF missing 2001-2020 雨野 美哉(あめの みかな) @amenomikana
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