(記憶の中の)「幽霊滝の伝説」


 冷たい冬の夜。乾いた山里での話。

 昼間雇われて働いている近在の女たちが、夜も小屋に集まり、いろりを囲んで麻たたきの内職を続けていた。

 代わり映えのない手仕事に退屈して、あれやこれや話して笑っていたが、それも飽きた頃、ふと外の風の音に顔を上げた一人が、ポツリと言った。


「こんな夜に、明神様の滝に行ったら、おっかないだろうねえ……」


「そりゃあおっかねえわ。そんな恐ろしい事、とてもじゃないが出来ないねえ」


 皆、口々に「おっかねえ、おっかねえ」と頷きました。

 そんな様子を見た一人が、


「もしだよ。もし、明神様の滝に行ってこれたら、あたしゃ、その人に今日のお給金をあげてもいいよ」


 と、懐から財布を取り出すと、ポイと、空いたざるに小銭を投げ入れた。


「おやおや豪気だねえ」

 他の女たちは呆れながらも、

「そいじゃ、あたしも出そうかねえ」

「ケチなあんたが出すのかい? それじゃああたしも出さなきゃしょうがないねえ」

 と、退屈し切っていた女たちは、次々に小銭をかごに投げ入れていき、


 あはははははは、


 と笑った。

 すると、


「本当だね?」


 と言う者があったので、皆、ぎょっとして声の主を見た。


 お勝と言う大工の女房だった。


 お勝は皆があれこれ談笑している間も、離れた隅で独り、背中に赤子をおぶって、黙々と麻を叩き続けていた。


「本当だね?」


 お勝はすごみのある目で皆を見渡して念押しした。

「明神様の滝に行ってきたら、本当にその銭、くれるんだね?」


 皆は困って顔を見合わせたが、最初に銭を投げ入れた女が、


「ああ、やるさ。確かに明神様の滝に行って来れたらねえ」


 と言った。まさか行けるわけないと高をくくってのことだった。皆そうだった。こんな真っ暗な夜に、まさか明神様の滝に行ける者などいるもんかと思うから、おふざけで大事なお給金をほいほい投げ入れていたのだった。

 ところが。


 お勝はすっくと立ち上がると、羽織ったねんねこ半纏ばんてんの帯をしっかり締めた。


 まさかと思っていた女たちは唖然として、慌ててお勝を止めだした。

「およしよお。夜中に明神様の滝なんて行ったら、きっとただじゃあ済まないよお」

 そうだそうだ、およしよ、ただじゃ済まないよ、と皆、口々にお勝を引き止めた。

 そんな皆をキッと恐い目で見渡して、お勝はきつい言葉で言い放った。


「あたしゃね、金がいるんだ。今さら金が惜しいなんて言うんじゃないよ!」


 母親の大きな声に赤子がむずかって、お勝は、おお、よしよし、と背中を揺すってなだめた。

 お勝の物言いに女たちは面白くない顔をして、また最初の女が、


「ただ、行ってきた、って言われても信用できないねえ。明神様のほこらの隣りに、首の取れちまった地蔵があるだろう? 確かに行って来たって証拠に、その首を持って来な」


 と、勝ち誇ったように言った。お勝は、


「地蔵の首だね。持って来てやるよ」


 と言い捨てると、呆れて目を丸くしている皆を尻目に、戸を開け、外へ出て行った。



 外に出たお勝は耳の千切れそうな寒さに思わず震え上がり、首に掛けていた手ぬぐいをほおっかむりにした。

 月もなく、暗い夜だった。

 ザワザワ揺れるススキ野原をお勝は早足で進んで行った。

 山の影がせり上がってきて、林に入った。

 真っ暗な向こうから、


 サーーー、 サーーー、


 と、音が聞こえてきて、顔に当たる空気がひんやり湿ってきた。

 背中の赤子が、ふぎゃあ、ふぎゃあ、と泣き出した。

 お勝は、おお、よしよし、とあやし、赤子を冷たい空気から守るように半纏の襟を高くした。

「ごめんよお、もう少しだからね、辛抱しておくれ」


 先を急ぐと、真っ暗な中から、

 ザーザー言っていた音が、


 ドオドオー、 ドオドオー、


 と太く響いてきた。

 お勝も本心を言えば怖かった。けれど、

「なにくそ。明神様の滝がなんだって言うのさ」

 と自分に言い聞かせ、林の奥へ奥へと入って行った。

 先が開けると、ぼんやり、ドオドオー、と白い水を落とす滝が見えた。

 お勝は明神様のほこらを捜し、そのとなりの地蔵を捜した。

 小さなほこらの横に、地蔵が立ち、その足下に取れた首が置かれていた。

「これを持って帰ればいいんだね。なんてことないじゃないさ」

 お勝は地蔵の首を持ち上げようと腰を曲げて手を伸ばした。

 すると、


 ドオオオ、


 と滝の音が大きくなり、水しぶきが飛んできた。

 お勝はギョッとして気味悪く思ったが、

 ええい、なんでもありゃしないよ、

 と、地蔵の首を拾い上げた。



 ・・ ・・・・



 え? とお勝は耳をそばだてた。

 何か、声が聞こえたように思ったのだ。

 気のせいだろうと、これで銭はわたしの物だとニンマリしながら帰り道を辿ろうとした。

 すると、



 ・・ ・・・・   ・・ ・・・・   ・・ ・・・・



「 く び  お い て け 」



 と、低く、恐ろしげな声が呼びかけてきた。


 お勝は全身の毛が逆立つような恐怖を感じて振り返った。



 く び  お い て け   く び  お い て け 




「   首、  置いてけえ   」




 滝のドオドオと言う音といっしょに、首置いてけ、首置いてけ、と、地鳴りのように声が響いてくる。

 お勝は身がすくんでしまったが、体の芯をカアッと熱くさせて、


「やなこったい!」


 と叫び返した。


「あたしゃこれが必要なんだよ! どうでも持って帰らなきゃならないんだよ!」


 首おいてけ  首おいてけ  ・・・・・


「やなこったい!」


 お勝は叫び返すと、取られてなるものかと被っていた手ぬぐいで地蔵の首を包むと懐に抱きかかえ、道に向き直ると駆け出そうとした。


 ドオオオオオオオッ


 滝の音が大きく被いかぶさるように響いてきて、お勝は、わっ、と引き戻されるように体が浮いた。


 ちくしょうめ!


 お勝は踏ん張り、えい、と渾身の力で地面を蹴った。


 ふっ、  と体が軽くなり、お勝は一目散に駆け出した。


 ドオドオ、 ドオドオ、 ドオドオ……、


 滝の音が次第に小さくなっていった。




 作業小屋では女たちがまだかまだかと落ち着きなくお勝の帰ってくるのを待っていた。

 ドンドンドンドンドン、ドンドンドンドンドン、

 戸が激しく叩かれ、ギョッとしながら慌てて飛びついて戸を開けた。

 冷たい空気と共にお勝が転げるように入ってきた。


「ほ、ほら、」


 お勝は凍えた唇で言いながら、懐から手ぬぐい包みを取り出した。


「地蔵の首だ。確かに持ってきたよ」


 ゴトン、と床に放り出すように置く。


「まあまあ、あんた、お勝さん」

 女たちは驚き呆れながら、ともかく無事にお勝の戻ってきたのにほっとして、

「さあさあ、火の近くにお上がりよ。ややこもさぞかし寒かっただろうに」

 と、背中をさするようにしてお勝をいろりの側に上がらせた。

「まったく、本当に明神様の滝に行ってくるなんて、ほんとにまあ、たいした人だよ、あんたは、まあ」

 女たちは口々にお勝の度胸を褒めそやし、さあさあ、と火に当たらせた。

 真っ青な顔でガチガチ震えるお勝に代わって、年配の女がねんねこ半纏を脱がせてやろうとした。

「おやまあ、ずいぶん濡れてるじゃないか」

 お勝は顎をガチガチ鳴らしながら言った。

「滝に水しぶきを引っ掛けられたからねえ。ちくしょうめ」

 お勝はざまあみろと言うように笑った。

 面白くなさそうにしながらも言い出しっぺの女が言った。

「分かった分かった。あんたの勝ちだ。この銭はみんなあんたのもんだよ」

 いいね? と仲間たちを見やって銭の入ったざるをお勝に寄越した。

 お勝はそれを奪い取るようにして、ニンマリ笑った。

 紐を解いて半纏を脱がせてやった女が、目を丸くすると、


「ひいっ」


 と悲鳴を上げてひっくり返った。


「ない! 首が、ないよ!」


 女たちはいっせいに悲鳴を上げた。


 お勝の背におんぶされた赤子に首はなく、引きちぎられたように真っ赤な傷口を覗かせるばかりだった。


 そんな馬鹿なとおんぶ紐を解いて赤子を下ろしたお勝は、自分の目で我が子の有様を見ると、

「うわああ、うわああ」

 と狂ったように叫び声を上げて、その体をかき抱いた。


 震え上がっていた女たちは、気味悪そうに床の一点を見つめて、互いに突つき合った。

 放り出された手ぬぐい包みの周りにも、ぐっしょり、赤い水たまりが出来ていた。

 若い女が背中を押されて、嫌々手を伸ばすと、包みの端をつまんで引っ張った。


 果たして、血に塗れた赤子の首が転げ出たのだった。




 おしまい

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記憶の中の「幽霊滝」 岳石祭人 @take-stone

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