第151話 カサン語大会 14

 ヒサリは息が詰まるような思いで教え子の言葉を聞いていた。

ああ、何という子だろうこの子は! 貧しい物乞い生まれだというのに、この子ときたら、人から何かをもらうことより人に何かを差し出すことばかり考えているのだ! カサン帝国やカサン人に対してさえも! しかしカサン人はそれを快く受け取る心の準備が出来ているだろうか? いや、むしろ受け入れがたいことだろう。特に、「アマン人はカサン人に比べて劣っている」と信じている人にとっては……。

 ヒサリは固唾を飲んでマルの姿を見詰めていた。彼の言葉はある意味過激極まり無い。もし誰かが彼を制止したり妨害しようとしたら、すぐに、この柵を乗り越えてでも彼に言いたい事を言わせるのだ。

……しかし、実際のところそうする者はいなかった。彼の言葉があまりに純粋で一途でカサンへの愛に溢れていたからだろう。そしてその場に居合わせた者は皆当惑していることだろう。みすぼらしい格好をして頭巾を被った少年が見事にカサン語で話す様子が、いまだ現実とは思えないのではないか。ヒサリのすぐ後ろで、ナティの呻くような声が聞こえた。

「カサン人とアマン人が友達や恋人同士に? なれっこねえよ、マル……」

 しかしその呟きは、テセ・オクムの言葉によってかき消された。

「いやあ、あの少年は大したもんだ! さすが、オモ先生の教え子だけある!」

「でも、あの子の話した事を、審査員の先生方は気に入らないでしょうね」

「そうかもしれない。ただ私はあの子が気に入ったよ。あの子は純粋そのものじゃないか」

「テセさんがそうおっしゃってくださるんなら安心しました」

「それにあの朗読をした子も弓を引いた二人の子達もすごい。オモ先生の生徒は本当に優秀な子ばかりだ」

「そう言っていただけるのは、私にとって何より光栄です」

「おっ、そろそろ最優秀校と優秀生徒の発表だぞ」

 結果は分かっている。しかしヒサリは黙って結果を聞いた。最優勝校はスンバ村第三学校、シム・キイラ先生の教える学校だ。客席に座っているシム先生の教え子達は、お行儀よく座ったまま拍手をしている。躾けが行き届いているのだ。続いて優秀生徒が十位から順に発表された。

「五位、スンバ村第四学校、ウマ・ライ」

 ウマ・ライはテルミのカサン名だ。ヒサリはサッと顔を上げた。テルミは堂々と前に進み出て、メダルを受け取った。二位はスンバ村第三学校のサン、一位はエルメライだった。マルは呼ばれなかった。予想通りの結果であった。

「どういうことだよ! こんなの訳分かんねえ! テルミしか選ばれないんだ? マルやメメやシャールーンはどうなんだよ!」

 ナティが怒りをぶちまけた。

「マルもメメもシャールーンももともと出る予定じゃなかったからだろうなあ」

ラドゥが言った。

「いくらカサン語がうまくたって、あんなひどい格好じゃ駄目よ」

 とミヌー。

「そういうことなのか? まあどっちにしてもとんだ茶番だな。結局カサン語も弓もどうでもよくて、着てる物の方が大事ってことかよ!」

 やがてカサン帝国歌の斉唱と終了宣言が行われた。マル達が客席に戻って来るのを待つ間、ヒサリの心はぼんやりしていた。朝のダビの怪我から、最後のマルのスピーチまで、いろいろな事が起こった。怒り、喜び、驚き……様々な感情がヒサリを襲った。激し過ぎるスコールが去った直後のように、ヒサリは呆然としていた。

「さて、私はそろそろ行かなくてはな」

 テセ・オクムが立ち上がり、ヒサリの肩に手を置いた。

「あの、実は相談が。何度もお手紙してしつこいようですけど、生徒達の進学の事で……」

「うん、分かってる。もちろんあのイボイボっ子の事もな。なんなら今夜は教育委員会やカサン文化部隊の重鎮達と会食だから、オモ先生も出てみるかい?」

 ヒサリは少し迷った末に言った。

「いいえ、今日は大事な日ですから、あの子達と一緒にいてあげたいんです。ただ、くれぐれも、私が手紙で書いた事をお伝えいただければと」

「分かった。いやあ、君は本当に生徒思いの先生だ」

「それからあともう一つお願いです。もともと出る予定だった生徒が、怪我をしてしまいました。彼がスンバ村まで戻るための馬車を用意してもらえないでしょうか」

「おお、それなら全員が乗って帰れる馬車を用意しよう」

 テセ・オクムと入れ違いに、大会に出場したマル、テルミ、メメ、シャールーンが戻って来た。ヒサリは彼らの姿を見るやいなや、彼らを労おうと立ち上がった。ヒサリはマルと目が合った。ヒサリが何か言う前に、マルが口を開いた。

「ごめんなさい。私がへまをしたせいで優勝出来なくて。でもテルミがメダルを取れて良かった」

「でも、マルが絶対一番だと思ってたのに、メダル取れないなんておかしいよ。マルのスピーチはすごく良かったのに。なんか変だなって思ったらあんまり嬉しくなくなっちゃった」

 とテルミ。

「そんな事無いよ」

 マルが首を振った。

「テルミはすごく上手に朗読したよ。おらなんて……」

 マルはもう一度ヒサリの顔を見上げて言った。

「おら、あんな事言っちゃって良かったのかな」

 あれ程堂々と、ヒサリも驚くようなスピーチをした子が、既にいつものマルに戻って不安げな様子で佇んでいる。

「いいんですよ。あなたもテルミも、シャールーンもメメもよく頑張りました」

「でも、変なんです。おら、話してる間、ずっと、周りの人達がみんな、ゆらゆら揺れているように見えたんです。みんな怒ってるんじゃないか、そんな気がしたんです」

「そうでしょうね。あなたはずっと人を楽しませるために言葉を使ってきたのでしょう。けれども強い言葉というのは人の心を揺さぶるものです。時には人を怒らせることもあります。それでも言わなくてはいけないこともあります。実はあなたのスピーチを聞いて、私の心も揺れていました」

「え!」

「話すと長くなるからここで止めましょう、これからダビとトンニに報告しに行きましょう」



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