第147話 カサン語大会 10

 次の競技の説明が行われた。

今、子供達が並ぶ前方には、百のカサンの有名な四行詩が書かれた板の札が掲げられている。これから次々と読み上げられる詩の札を選んで弓で札を射落とし、その後半二行を暗唱する競技だ。

弓を射る子と詩の暗唱をする子は同じ子が務めても別々の子でも構わない。使用される弓は先程よりも小型で軽量のものだが、それでもたくさんの弓を射なければならないので、大変だ。それをメメはやろうというのだ。

(ええ、もうどうにでもなれ!)

 ヒサリはそんな気分だった。

(この子達はもう、何だってやるだろう!)

 この子達には何度驚かされてきたことか。この子達には妖怪達のと関わりの中で身に着けた底知れない知恵があるのだ。

 司会を務めるカサン人の男が、最初に出場する五つの学校を読み上げた。カサン第三学校が呼ばれた。シム・キイラ先生の教えている学校だ。前に出たのは地主の子エルメライと、彼といつも一緒に行動しているサンだった。どうやらエルメライが弓を引き、サンが詩の暗唱をするようだ。

(エルメライ……頭が良いと聞くけど、文武両道なのね。体つきも立派だわ)

 ヒサリは、普段ダビやナティが目の敵にしている村一番のエリートにじっと目を凝らした。

続いてカサン第四学校が呼ばれた。メメが前に出て行く。続いてマルが。とたんに客席の至る所からあざけるような口笛が鳴った。ブーイングに突き動かされたのか、司会進行役の男がマルの前に立ちはだかった。マルは男に向かって何か言っている。おそらく、自分は大会に出る権利があるという事をカサン語で訴えているのだろう。男はやがてサッとよけて彼を通した。ヒサリは出来ることならマルを抱きしめて観衆の目から彼を逸らしてやりたかった。けれども彼を見詰めながらやがて理解した。

(今日のあの子はいつもと違う。いつもの大人しいあの子じゃない。あの子の挑戦を、しっかりと見届けよう)

 呼ばれた五つの学校の生徒は、それぞれ台の上に置かれた弓を手に取った。メメが弓を手にした時、ヒサリは彼が弓を引くのに有利な体つきをしている事に気が付いた。メメは恐らく北部アジュ族の血を引いている。そのため背が高く、腕も長いのだ。

「メメはやるぜ」

 ナティがヒサリの背後で低く言った。

「あいつに妖怪退治用の弓を貸したことがあるけど、ものすごくうまく獲物に当てるんだ。しまいには自分で弓を作っちまった!」

「用意!」

 の合図と共に、五人の生徒がそれぞれ弓を構えた。まず最初の詩が読み上げられた。その瞬間に、黒い矢がヒュッと飛んだ。メメの射た矢が見事一枚の詩の札に当たった。あまりの早さと正確さにどよめきが起こった。弓を射る腕前もさることながら、百の札の中から読まれた詩の札を見つけ出す速さも驚くばかりだった。

ヒサリにとってメメは、決してカサン語に関して突出した才能を持つ子ではなかった。作文も下手で発音も悪い。詩や物語を好む子でもない。しかし特殊な記憶力を持っている事にヒサリは気付いていた。百の札をサッと見渡しただけで、どの札がどこにあるかをたちどころに脳裏に刻んだのだろう。そしてカサン語のわずかの単語を聞いただけで札を射ることが出来たのだ。

「スンバ村第四学校、続く二行を言いなさい」

 マルは次の二行を答えた。透き通ったその声は頭巾をかぶっていてもよく聞こえた。正解のように聞こえたが、間違っていた。答えが正解かどうかはその場では発表されない。何事も無く次の詩が読み上げられた。次に当てたのはエルメライだった。

(見事な腕前だわ)

 ヒサリはシム先生の子どもに鞭を使う教育方針には全く賛同出来なかったが、このように立派な生徒を育てたことについては称賛に値すると思った。

「スンバ村第三学校」

 学校の名が呼ばれると、サンという生徒がその下二行を暗唱した。早口で詩の味わいなど全く感じられなかったが、正解だった。次に弓を当てたのはメメだった。マルが答える。やはり不正解だった。次もまたメメが当てた。

(次は絶対正解するはず!)

 なぜならそれはマルが愛してやまない詩人の作品だから。しかしそれもまた不正解。その時になってヒサリは気付いた。

(あの子はこの競技の意味が分かってないんだわ!)

「オモ先生」

 聞き覚えのある声に、ヒサリは顔を上げた。カサン語教育部長のテセ・オクムだった。

「あの子だね。君の自慢のイボイボの天才少年は」

「はい」

「たまたま入口に駆け込んで来たところで会ってね、どうやってあそこに入れるか尋ねてきたから入れてやったよ。成程、大した子じゃないか」

「でもあの子の答えは全て間違っています」

「ええ? そうかね」

「よく聞いてください。あの子は競技の意味が分かってないんです。上の二行を聞いて即興で下の二行を作る競技だと思ってるんです。ほら、昔詩人のサロンで行われていたでしょう。即興競詠バトルが。あれと同じゲームだと思ってるんです」

「ええっ?! あの子が自分で詩を作ってるのか? あの場で?」

 テセ・オクムは驚きの余り言葉を失った。

 競技はカサン第三学校と第四学校の一騎打ちだった。札が読み上げられる度にほぼ同時に二本の矢た飛ぶ。他の学校の生徒は全く手も足も出なかった。サンが素早く抑揚の無い口調で詩を読み上げるのに対し、マルはいくらか間を取りながらゆっくりと答えた。当たり前だ。自分で考えてその場で詩を作っているのだから。カサン語が分かっても詩をよく知らない者は、少年が正解を出しているように聞こえるだろう。なぜならきちんと韻を踏んで、内容も前の二行とつながっていてちゃんと詩になっているから。そしてサンに比べてマルの声はゆったりとして詩情にあふれていた。

「いやはや、大したものだ……」

 テセ・オクムは腕組みをしたまま首を振った。

「あんなことが出来るのはカサン人でもそういないだろうね。オモ先生が送ってくれた作文を読ませてもらったが、あれを書いたのが小さい土人の子どもとはとても信じられなかった。わしだけじゃない。みんなそうだ。オモ先生はなんでそんな嘘をつくのか。頭がおかしくなったんじゃないかと言ってね。アッハッハ。しかし、あの子なら書けただろうね」

「あの子にしか書けませんよ」

 ヒサリはじっとマルを見詰めたまま言った。テセ・オクムに話したい事は山ほどあった。あの子の進学費用やイボイボ病の治療費をどこかから出してもらえないか相談したかった。しかしマルとメメから一瞬も目を離すことが出来なかった。メメは持てる力を振り絞って弓を射て、マルは必死に即興詩を作っている。そんな二人から目を逸らすことなどどうして出来ようか。マルを揶揄する者は既にいなかった。観客は……カサン語が分かる者もそうでない者も固唾を飲んで競技の行方を見守っていた。メメは恐ろしい程疲れ知らずに見えた。一方、エルメライの方は腕が揺らぎ始めた。交代のために控えているらしい生徒がエルメライに声をかけたが、彼は首を振った。メメに対する対抗意識が燃え上がっているのだろう。そんなエルメライに対して、ヒサリはどこかいじらしさを感じた。マルはマルで、時折言葉が浮かばないのか頭や体を叩く仕草を見せた。ヒサリはすぐに飛び出して行って、「これはあなたが詩を作る競技ではないのよ」と言ってやりたかった。しかしそんな事は出来ないのだ。ヒサリは歯がゆい思いで柵を握り締めるより他無かった。

「なんてこった! あの物乞いのチビはすげえな」

「なあに、魔女があの子の頭に知恵を吹きこんでるんだ」

 そんな囁き声が、ヒサリの背後から聞こえてきた。……そうだ、こんな才能さえも「魔女の入れ知恵」などと言われてしまうのだ。あの子がイボイボ病で妖人である限り! なんとしてもあの子の病気を治し、上級学校に進学させ、立派なカサン帝国市民にして誰からもばかにされないようにしてやらねば。そんな思いを拳に握り締めていた。

 ついに最後の札がメメによって射落とされた。「いばらの道を裸足で行く私の脚はいつしか血の赤色に染まっているだろう」、という意味の詩だ。マルは少しの間考えた後、「あなたのために流した血の靴は特別だから何日も脱がないでおこう、という内容をつなげた。

それは情熱的な愛の詩だった。ヒサリはその瞬間、どういうわけか息が止まった気がした。一瞬の静寂の後、パラパラと拍手が起こった。マルを蔑む者も、この激闘を耐え抜いた少年達を称えずにはいられなかったのだ。

 

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