第142話 カサン語大会 5

 八人が会場に向かって歩き始めたその時だった。

ヒサリ先生が入口から飛び出し、生徒たちの方に真っ直ぐに走って来るのが見えた。その切羽詰まった表情に、生徒達は皆一体何事かと、お喋りを止めて先生の顔を見詰め返した。ヒサリ先生は教え子たちの前に来ると、一人一人の顔を見下ろした。そして最後にマルの顔を見て、

「あなたも来たのね」

 と言った。マルの心は瞬間、喜びに溢れたが、ヒサリ先生の険しい顔にウッと息を飲み込んだ。

「実は良くない知らせです。この度の大会では、カサン語の前に弓術の競技があるんだそうです。私だけでなくみんなその事を知らずに驚いていました。カサン体育協会の偉い先生がお見えになって、急きょそのように決まったのだと。もし弓術で負けたら、それでおしまいです。カサン語の競技には出られません」

 生徒達はあっけにとられて顔を見合わせた。

弓術はカサン帝国の国技である。他の学校では体育の授業があり皆弓術を習っている、と生徒達は聞かされていた。そして同時に、貧しい自分達の学校は「実験校」だから予算の配分が少ないために弓術の授業が無い、という事も。ダビの両親から寄付を受けた際、生徒達がヒサリ先生からオルガンと弓のどちらを学校で購入するのが良いかと尋ねられた時、ほとんどの生徒がオルガンがいいと答えた。弓なんて士族階級の人が扱うものだ。自分達がこれかこれから生きていくためには関係無い。生徒達はみんなそう思っていた。

「ダビなら弓を引いた事があるんじゃないですか? 川向うの学校に行ってたことがあるから」

 ラドゥが尋ねた。

「その事をダビに確認しようかと思ったんですが、ダビの姿が見当たらないのよ。もしダビが自信が無いと言ったら、ラドゥ、あなたがやってみますか? あなたは体が大きく力がありますから」

「いいえ、おらはとても。鋤や鍬なら使えますが弓は……。ああ、そうだ、シャールーンはどうですか? 先生は見てなかったと思うんですが、シャールーンは人面獅子と勇ましく戦ったんです」

「おおそうだ! シャールーンならやってくれるぜ!」

 ナティが言った。

「シャールーン、やってくれますか?」

 シャールーンは無表情のままじっとヒサリ先生の顔を見詰め返していた。マルの目には、彼女が驚きの余り呆然としているように見えた。やがて、微かに頷いた。その時、

「待って!」

 そう言ったのは普段無口なメメだった。

「俺、やります」 

「あなたはカサンの弓を引いたことがあるのですか」

「ない。でも多分出来る」

「ああ! メメはいつも俺から妖怪退治用の弓借りて鳥打ってるからな! 弓の扱いだけは俺よりうめえよ!」

 ナティが言う。ヒサリ先生は数秒間、じっとメメを見詰めていた。

「あなたは腕も長いし、カサン弓が引けるかもしれませんね。さあ、一緒に行ってみましょう」

 ヒサリ先生についてシャールーンとメメが、さらにその後をラドゥとナティ、ミヌーとカッシ、一番後ろをマルがとぼとぼとついて行った。

マルは歩きながら以前ヒサリ先生に魔法の弓の物語を書いて贈ったことを思い出していた。その魔法の弓を使えば、どんな人でも百発百中で獲物に当てることが出来るだけでなくどんな固いものも砕いてしまう。魔法の弓を手に入れた青年は、あらゆる名誉と財宝を手に入れるが、愛しい人の心だけは手に入れる事が出来ず、悲しみと狂気の余り、愛しい人の頑なな心を砕くために弓を向けてしまう……。マル自身がカサン語という魔法の言葉を授けられたことを魔法の弓に託した物語だった。ヒサリ先生はそれを読んで「とてもよく書けています」と誉めてくれた。

(でも、弓の物語が書けるよりも本当の弓が使える方がよほどいい……)

 マルは泣きたいような思いでヒサリ先生の後をついて行った。

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