第131話 それぞれの進む道 1

 ある日、ヒサリが授業を終えると、ダビがすかさず立ち上がり、ヒサリの前に進み出て言った。

「先生、少し話があるのですが」

 ヒサリはそれが何の事が薄々気付いていた。 

授業が終わると、皆が帰って行く中、ダビとトンニが教室に残っていた。

「さあ、話を聞きましょう」

 それはヒサリが予想した通り、二人の話は高等学校への進学の相談だった。

「知っていると思いますが、高等学校に通うためにはここと違ってお金が必要です。あなた達のご両親はこの事を分かっていますか?」

「はい」

 二人は頷いた。

「父と母には負担をかけますが、その分きちんと後で恩返しするつもりです」

 ダビは言った。

「そうですか。それなら安心です。あなた達の成績なら十分高等学校を狙えるでしょう」

「あの……」

 トンニが口ごもりつつ言った。

「本当に私達が入れるんですか?」

 ヒサリにはその言葉の意味が分かっていた。「妖人でも平民達の通う高等学校に入れるのか」と尋ねているのだ。

「カサン帝国の学校では、人を区別しません。カサン帝国の民は誰もが平等です」

 ヒサリはきっぱりと言い切った。二人は少しばかり安堵の表情を見せた。

「明日からあなた達の受験勉強のために補習の時間をもうけましょう」

「そんな! 先生にそんな事までしていただくなんて!」

 ダビが目を見張った。

「いいのですよ。この小さな学校から高等学校進学者が出る、これは私にとっても大変な名誉です。私の努力が大輪の花を咲かせた証ですから」

 ダビとトンニは黙ったままヒサリの話を聞いていた。ヒサリが話し終えてから、ダビはゆっくりとこう言った。

「……先生、オモ先生に会えて、私は本当に幸せです。あのまま川向うの学校に通っていたらどうなっていたことか。あちらの学校の先生は、私がいくら頑張っても地主や役人の子のように評価してはくれませんでした。私達を劣った人間だと見下していたんです。でもオモ先生は違いました! 私はこの先を思うと心配です。高等学校に行ってもオモ先生のように立派な先生には会えないんじゃないかと」

 ヒサリはダビの告白に息が詰まりそうになった。嬉しさと苦々しさの入り混じった感情が込み上げた。ヒサリは、自分の感情を務めて抑えながら言った。

「恐れる事はありませんよ。立派なカサン人、あなたをきちんと評価してくれるカサン人はたくさんいます。けれどももし立派なカサン人に出会えなければ、本を読みなさい。それもなるべく古い本を。時代を超えて残っている本には価値があります。本の中では、いつでもあなたは立派な人々に会う事が出来ます」

 ダビとトンニは真剣なまなざしでヒサリの顔を見詰め返しながら頷いた。

「それからもう一つ」

 ダビはくっきりとヒサリの目を見ながら言った。

「私は靴屋の仕事を継ぎたくありません」

 思いがけない告白ではあったが、決して意外なものではなかった。ダビが靴作りの仕事について語る事はほとんどしなかったし、親からその技術を教わっている様子も無かった。

「靴作りの仕事は儲かりますが、妖獣の皮を扱う卑しい仕事と皆に蔑まれます」

「靴を作る事は立派な仕事ですよ」

「分かってます! ただ私はどうしても好きになれないんです!」

「カサン帝国の子どもは決して親の仕事を継ぐことを強制されたりはしません。誰もが自分の能力と希望に従ってやりたい仕事に就くことが出来ます。高等学校を出たら、可能性も広がるでしょう」

 ヒサリはトンニの方を向き直って尋ねた。

「あなたには何か将来の希望はあるの?」

「私は家の仕事が嫌いではありません。ずっと両親と一緒に妖獣を解体して皮を取り、それをなめす仕事をしてきました。ずっとその仕事を受け継ぐものだと幼い頃から思ってきました。けれども、今では、他に夢もあります……医者になりたいんです。村にも病気を治す呪術師はいますが、そういうのではなくて、もっと科学的に体や薬や治療について学び、医師の免許を取りたいんです」

 ヒサリは頷いた。彼がそういう方面に興味を持っているということはずっと前から分かっていた。ただし、正式な医者の免許を取ろうとしたら高等学校よりさらに上の大学まで行く必要がある。カサン帝国では誰も差別されないなどと大見栄を切ったものの、辺境の村の、「妖人」と呼ばれる彼に本当にそんな事が可能なのか。前例を聞いたことが無い。

「まずは高等学校に行き、しっかりと勉強すること。そうすれば道も開けるでしょう」

 こう言うのが精一杯だった。

 二人が行ってしまった後、ヒサリは生徒達一人一人の顔を思い浮かべながら考えた。高等学校への進学を希望しているのはダビとトンニの二人。大変な成果である。ここで教え始めた時は、この貧しい村の、壁も無い小さな学校から高等学校進学者が出るなど予想だにしていなかった。子供達はみんなよく勉強している。あれ程愚鈍に見えたカッシも、マルの影響か、カサン語やアマン語の読み書きがだいぶ出来るようになっている。反抗的なナティもなぜかカサン語の習得は早く、作文はマルの次に上手だった。ただ一人、心配なのはニジャイだった。幼い頃から何を考えているのか分からない、薄ら笑いを浮かべた気味の悪い少年だったが、年を重ねるに従って目つきはどんどん悪くなっていった。彼が不良化している事は父親のビンキャットからも聞いていた。

「あれの考えてることはよく分かりませんね」

 そう言うビンキャットが一体息子についてどう思っているのか。その表情からは伺い知れなかった。学校にはあまり来なくなり、たまに顔を見せたかと思うと、生徒達に「女とやりたくねえか」とか「いい儲け話あるぜ」などとよからぬ話を吹き込んでいる。いっそのこと来ないでくれたら……ヒサリはそう願わずにはいられなかった。

 そして、なんと言っても気がかりなのはマルだった。マルには何度か「高等学校に行きたいと思わないか」と尋ねた。しかしマルは「はい」とは言わなかった。

「高等学校に行くためにはお金がいるそうですが、そんなお金はないし、イボイボの私が行っても嫌がられるだけです。先生の学校を卒業したら、自分でお金を稼いで本を買って勉強します」

 と言った。彼がそう考えるのは無理も無かった。しかしヒサリは、何としてでも彼を進学させるつもりでいた。マルには黙ったままカサン軍文化部隊長のテセ・オクム他、考えつくありとあらゆる人にマルの作文の写しを送り、才能あふれるアマン人の少年のイボイボ病を治す特効薬の費用と高等学校に進学するための奨学金を援助してもらえないかと頼み込んだ。当然ながら、なしのつぶてだった。

(あの子がたった一言、自分から『高等学校に行きたい』と言ってくれさえしたら、私はあの子のために何だってするのに……!)

 ヒサリはマルを呼んでもう一度しっかり話をしてみよう、と思った。


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