第127話 人面獅子退治 6
「やめなさい! ナティ! その怪物に近寄ってはだめ!」
マルがサッと振り返ると、ヒサリ先生が人面獅子に怯えて動こうとしない馬から飛び降り、髪を黒い煙のようになびかせてこっちに向かって鬼のような形相で駆けて来るところだった。
「カサンの軍隊に出動を要請しました! あなた達は離れていなさい!」
鋭い声に反応したのか、人面獅子は大きく尾を振った。毒矢がヒサリ先生の横をかすめた。
「先生!」
マルは悲鳴を上げてヒサリ先生の方に飛んで行き、その体にしがみついた。
「離しなさい! ナティが死んでしまう!」
マルの力では興奮するヒサリ先生を抑えることが出来ない。
「トンニ! メメー!」
マルが悲痛な叫び声を上げると、トンニが駆けつけ、ヒサリ先生の腕を掴んだ。
「先生! ナティは妖怪ハンターの子だから妖怪と闘わないといけないんです。大丈夫!あの子はそう簡単に食われやしません」
「あの子はまだほんの子どもじゃないのっ! あんなことさせて平気だなんて、大人達は何をしてるの!」
そんなやり取りの間も、ナティはマルの頭巾を被って農民達の運んで来た荷車の上の樽によじ登って、その縁に足の指を引っ掛け、すっくと立った。そしてその場からマルとヒサリ先生の方を振り返り、怒鳴った。
「うっせえ! あんた達カサン人には妖怪退治は出来ねえ! この村を守れるのは俺達だけだ!」
ナティが言い終えるのも待たず、人面獅子がこう吠えたてた。
「肉を食わせろー! 生きた若い女の肉を食わせろー! 処女の肉を食わせろ~! そしたら一年は何も食べなくてもいい!」
人面獅子がそう言いつつダラリと唾を滴らせている様は、あまりにおぞましいものだった。人面獅子が辺りをえぐるように見渡している。
「お、おおおおいおい、あいつ俺らを食う気だぜ」
集まった妖怪ハンター達が恐ろしさの余りサーッと離れる。しかし逃げる訳にはいかない。竹槍を構えて人面獅子を取り囲んだ妖怪ハンター達の輪は、一度ちりぢりになりかけたものの、また少しずつ小さくなる。
「な、なあマル、人面獅子はイボイボの人間を食うと死ぬって言うじゃないか。お前の小指一本でもちぎって食わせてみるってのはどうだ?」
「おい!」
ナティが樽の上からわめいた。
「お前ら! こんなちっちゃいマルを犠牲にしようなんて恥ずかしくねえのかよっ!」
そしてすかさず人面獅子の方を向いて言った。
「ようっ!、お前、若い女だと! 処女だと!? ぜいたく言うな! 肉ならどれも同じだろうが! あいにくお前にくれてやれるのは俺しかいねえ。食えるもんなら食ってみな!」
人面獅子はいきなり前足を持ち上げ、泥のたまった爪を樽の縁にガシッとひっかけ、ぬうっとナティの体に顔を近付けた。
(ナティーー!)
マルはナティを助けようともがくヒサリ先生に覆いかぶさるような姿勢のまま祈るような気持ちだった。ヒサリ先生がいなければ自分だってナティのそばに飛んで行きたかった。妖怪や妖獣は決してイボイボ病の自分を食べない。食べたら体が腐って死んでしまうから。実際、昔、森の中で妖怪に食われかけたのに吐きだされた。しかし自分の匂いの付いた頭巾を付けただけのナティが大丈夫だっていう保証はない。
しかし人面獅子の反応は想像以上だった。ナティの顔に鼻づらを近付けたとたん、さっとその顔を下に向け、ゲーゲーと今まで食べたものを吐き出すかの勢いで喉を鳴らし始めた。
「お前はイボイボだな! そんな腐りかけの肉なんか食えるか!」
「そんなら若い女の肉を食わせてやるよ! でもその前に、ちょっとこの樽の中の酒で口をすすいだらどうだ」
「酒などいらん! それより肉だ! 肉をくれー!」
マルは、人間獅子が再び伸び上がってあちこちに顔を向けたとたん、ヒサリ先生を視線に捉えたのが分かった」
「おおおおおお女だああああ!」
マルはヒサリ先生を人面獅子の視界から遮る格好でその場に這いつくばり、ヒサリの腕をきつく掴んだまま目を閉じた。
(ヒサリ先生、ヒサリ先生! 動かないで!
おらに抱かれていたら、人面獅子はヒサリ先生を襲えない、だから! だから! )
そんなマルの背中に、ナティの声が降りかかる。
「待て! あの女は処女じゃねえ! 食うんなら俺を食ったらどうだ!」
マルは、自分の背中に自分の頭巾が投げ落とされたのが分かった。
「俺は本当はイボイボじゃねえ。あの女より十は若い女だ! 食いたいんなら食ってみな!」
マルがさっと振り返った。人面獅子がナティの体を嗅ぎ回している。
「これはこれは! 今まで食った中で一番活きのいい若い肉だ! うまそうだぁぁぁぁ!」
まるで地割れのような舌なめずりの音。人面獅子の口が大きく開く。
(ナティーーーー!)
マルはその時、ザブンという水の音を聞き振り返った。樽の縁に立っていたナティの姿が消えていた。次の瞬間、人面獅子は樽の中に飛び込んだ少女を貪り食おうと樽の中に頭を突っ込んだ。
「ナティ!」
マルの手が一瞬緩んだ隙に、ヒサリ先生はマルを押しのけ、樽に向かって突進した。マルもすぐにそれに続いた。マルが荷車によじ登り樽の縁に手を掛けた時は既に、酒の中に頭を突っ込んだ妖獣の周りにはごぼごぼと臭い泡がいくつも上がっていた。
「誰かーーーー!!!! マルが叫んだ直後、マルの顔にまるで激しいスコールのように真っ赤な血がドシャッと飛び散った。シャールーンが人面獅子の上に飛び乗り、首に斧を打ち下ろしたのだ。
「今だ! 行けー!」
ラドゥの声が響き渡った。周囲で固唾を飲んで見守っていた人達が、いっせいに竹やりや斧や鎌を持って人面獅子に向かって押し寄せた。
「誰か、ナティを助けてー!」
みんなが人面獅子に襲い掛かっている間、マルは必死でナティの沈んだ樽を倒そうとするがビクともしない。そのうち人面獅子が樽の中に頭を突っ込んだまま、みるみる力を失いぐったりとなるのが分かった。マルは樽の中の酒をバシャバシャと手ですくって出した。それに気付いたラドゥが叫んだ。
「荷車を壊して樽を倒せ!」
農民達は今度はわっといっせいに荷車の方に集まり、手にした鋤や鍬でいっせいに打ち壊し始めた。またたく間に樽は地面に落ちてひっくり返った。人面獅子の頭も地面に落ちた。樽から酒がザアーッと流れ出す。マルとヒサリ先生は樽の中からナティの腕と肩をつかんで引っ張り出した。ヒサリ先生はナティを背中から抱え、口や鼻から入った酒を吐きださせた。
「大丈夫。息はある。トンニ、メメ、ナティをあそこの木陰まで運んでちょうだい」
木影に横たえられたナティの肩には人面獅子に噛まれた大きな傷が付いていて、赤い肉が剥き出しになっていた。トンニはナティの横で大きな革の鞄を開いた。中にはたくさんの瓶が入っていた。それはおそらくどれもトンニの家族が妖獣の肝から採取して調合して作った特別な薬なのだろう。トンニはそのうち一つを手に取り、ナティの傷に塗り付けた、ナティは顔を歪め、
「ううっ」
とうめき声を上げた。見るだけでも叫びたくなるような痛々しい傷だった。マルはナティをじっと見詰めた。深い傷の次に、その体。ナティの体をこんな風にまじまじと見つめるのは初めてだった。その胸や腰や太腿あたりの、少女らしい微かな膨らみも。トンニもメメも、きっとこの時初めてナティが女の子だということに気付いたのだろう。しかし、余計な事を口にすることの無い二人は黙って自分のするべき仕事をしていた。
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