第106話 小さな怪物 9

 次第に辺りが賑やかになってきた。様々な足音が音楽のようにムシロの下のマルの耳に飛び込んできた。

(ああ、ここの人達はみんな靴を履いているんだな、ダビの父ちゃん母ちゃんや弟達が作った靴もあるのかな……)

マルは我慢出来なくなって、そうっとむしろから頭を付き出して外を眺めた。道は何台も荷馬車が行き交える程広く、石が隙間なく敷き詰められ、さらに見上げる程にそびえ立つ石造りの建物がきちんと列を作って立ち並んでいる。そして道を歩いている大勢の人、人、人。道を大きな唸り声を上げて走っている乗り物も人の格好も様々だった。髪を結い、刺繍を施した服を着た人は上流階級の人だろう。それからスンバ村でも見かける農民風の人、そして体の大きく堂々とした体つきのカサン人達……。そして、道端に座り込んだ白い布を全身に巻き付けた人達……。あれはおらと同じイボイボ病の物乞いだ! 歌も聞こえて来る! マルはとっさに頭を出し、物乞い達に手を振りかけたが、荷台はあっという間に通り過ぎた。その時、マルの鼻に、スンバ村でかいだ事の無い珍しいスパイスの香りが飛び込んで来た。マルは再びむしろの下に頭を引っ込めた。そして鼻をくにゃくにゃ動かしながらその奥に残った香りを味わっていた。ランはこの頃になると農夫にあれこれ指図しながら行き先を示していた。

(おらを一体どこに連れて行くんだろう……)

 しばらくすると、周りの人通りがだんだん少なくなって行くのが分かった。どうやら街の賑やかな所を過ぎたらしい。灌木が所々に立つ丘に差し掛かった。そのまま荷台はしばらく走り続けていたが、ランの不意に発した

「ここで止めて!」

 という声と共にそれは止まった。マルはむしろからそろりと頭を出した。大きな白い建物と、その前でボールを投げ合って遊ぶカサン人の子ども達の姿が見えた。

(ああ、ここはきっと学校だろうな)

 こんなに人が大勢いる所では、絶対降りたくない、と思った。しかし案の定、ランの

「おい、早く降りな!」

 という非情な声がマルを責め立てた。マルが恥ずかしさの余りムシロの下にじっとしていると、ランが叫んだ。

「あたしに二度同じ事を言わせるんじゃないよ!」

 マルはムシロをかぶったまま体を起こした。

「おい、そのムシロごと持って行ってくれ!」

 農夫の声が聞こえてきた。マルはムシロをかぶったまま荷台から飛び降りた。降りると大急ぎでムシロをぐるぐる体に巻き付けた。

「あんたはそこであたしらが帰るまで待ってな。金を渡すのは元の場所にあたしらを送り返してからだよ!」

 ランは農夫にそう言ってから、学校に向かってずんずん歩き出した。すぐにマルの方を振り返って言った。

「何やってんのよ! あたしについて来な!」

 マルは体にむしろを巻き付けた妙な格好でヨタヨタ歩いた。やがて、ランの割れんばかりの声が響き渡った。

「ねえちょっと! みんな来てよー! あたし、森の奥からちっちゃいバケモノ連れて来たのよ! 何でもあたしの言う事聞くのよ!」

 マルは恥ずかしくて、自分の体を覆うむしろをギューッと握り締めた。

「見てよ! すごく汚くて気持ち悪いのよ! 一目見たら眠れなくなっちゃう位! それなのにカサン語を喋るのよ! 土人の化け物のくせに!」

 ランはこう言った後、むしろの上からマルの体を蹴った。もうこうなったらやけくそだ。この女の子に逆らったってどうしようもない……こう思ったマルは心を決めて、精一杯声を張り上げてカサン語叫んだ。

「ここにお集まりの皆々様! 私は醜いイボイボ病のアマン人の子どもです! 私を一目見た者の中には、恐ろしさの余り石になる人もいるそうです! どうか皆さん、両手でしっかりと目を覆って下さいまし!」

 マルはゆっくりとムシロを外した。集まった子供達が

「キャアアア!」

 と叫んで散って行った。その様子を見てランはケラケラと笑い声を立てた。

「なんで逃げるのよう! 弱虫! 腰抜け! 臆病者! このバケモノはあたしの言う事何でも聞くのよ! 生意気にカサン語の歌も歌うのよ!」

 逃げて行った子供達が、遠くの方から興味深げに自分達を見ているのが分かった。

(なんだ、カサン人の子ってみんな落ち着いて堂々としてるんだと思ったけど、おら達と全然変わんないんだな)

 こう思ったその時、マルの頭に母ちゃんから教わったある歌物語が浮かんだ。その物語の子はまるでランそっくりなわがまま女の子だ。散々家族や友達を苦しめるのだけれど、森の魔女に懲らしめられ、ヤモリの姿に変えられてしまう。マルはゆっくりと歌い出した。久しぶりに自分の口から発するアマン語の歌の響きだった。ランはしばらくの間キョトンとしていたが、やがて大声で怒鳴った。

「そんな歌じゃなくてカサン語の歌うたえ! バカー!」

 しかし、マルは歌うのを止めなかった。母ちゃんに教わった歌がまるで川の水のように体から流れ出て来るのだ。イボだらけの醜い子どもが歌う様子が珍しいのか、遠くに散って行った子ども達がソロソロと近寄って来た。その間も、ランは絶え間なく大声で叫んでいた。

「あたしはそんな土人の歌なんか聞きたくないのよー!」

 ランはそう言ってマルの横腹を蹴った。

「や、やめてよ!」

 何人かの女の子達がそう言ったものの手を出す事は出来ず、怯えたように立ち尽くしている。蹴られても女の子の力なのでたいして痛くはなかった。それよりもランの口から出るぎゃあぎゃあというわめき声の方がよほど恐ろしかった。しかしそれも聞いているうちにだんだん賑やかな楽器のように思えてきた。マルはその声に押しつぶされないように負けじと声を張り上げた。

 どれ程の間、二人の声が絡み合い、周りに響いていただろう。カラン、カラン、という鐘の音が鳴り響いた。授業の始まりを告げる合図だろう。子ども達はみんな、マルとランの方を振り返りながら校舎へと戻って行った。

 再びマルとランを乗せた荷台は元来た道を戻り始めた。ランはマルに対して怒り疲れたのか、いつしか荷台の上でスースー寝息を立てていた。マルは再びムシロの下に体を隠したものの、その端を少し持ち上げ大きな建物や運河を行き交う船、それに通りを行く行商人や道端に座り込んだ物乞いの様子を見詰めていた。時折、草色の服を身に着けたカサンの兵士の姿も見えた。それを目にする度に、マルの体は微かに震えた。自分はこんなにカサン人に憧れているのにカサンの兵隊を見て恐いと思うなんて、自分は兵隊が嫌いなんだろうか、と思った。やがて、ランの鼾が止まった。かと思うとランはいきなりムシロを持ち上げ、中に入って来た。

「あんた生意気ね。どうしてあたしの言う事聞かずに土人の歌なんか歌ったのよ」

 その声は、不思議とどこか寂しげだった。マルが黙っていると、ランは再び続けた。

「ねえ、この馬車のおじさん、あんたに偉そうな口きいてたくせに、金見せたとたん態度変わってあんたを荷台に乗せたわ」

(…………)

 マルは黙ったまま思った。この子はとても怖い女の子で悪い子だ。けれどもこの子を憎む気持ちにはなれない、と。農夫が急に自分に哀れっぽい声を出し、荷台に触らないでくれと頼んで来た時、自分の気持ちは明らかに高鳴った。マルはいきなりギュッと自分の体に腕を回した。こんなこと思う自分は嫌だ、と思った。ランはやがて再びムシロの下ですうすうと寝息を立て始めた。いつしかマルにぴったりと体を付けて寝ているのにも気が付いていないようだった。

 周りの様子はだんだんとマルの見慣れた景色になってきた。荷台が大きく揺れると、ランがムクッと頭を起こした。

「汚い! あんたなんであたしに触ってんのよ!」

(そっちが勝手におらにくっついて来たんじゃないか……!)

 その時、荷台が大きく揺れて止まった。

「着いた!」

 ランはサッとムシロを跳ね上げ、懐から金貨を取り出したかと思うと、

「さあ、取りな!」

 と言って道の脇の泥の中に放り投げた。農夫が泥の中を這いつくばってそれを拾う間、ランは荷台の上で腰に手を当てたままけたたましい笑い声を立てていた。マルは何だかいたたまれない気持ちになり、荷台の上でじっとうなだれていた。


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