第101話 小さな怪物 4
ホテルの奥から騒々しい足音と声とが近付いて来た。
「あら、姉ちゃん!」
そこに姿を現したのは、ほぼ二年ぶりに出会う妹のランだった。
年の離れた妹のランはちょうどマルと同い年である。もともと気の強いわがままな子であったが、その尊大な様子はヒサリを驚かせた。十歳で早くもおしゃれに目覚めたらしく、髪に派手なリボンをつけ、耳飾りも付けている。子どもが耳飾りを付ける習慣はカサン本国には無い。恐らく、アマン人の習慣がアロンガに住むカサン人に伝わったものだろう。ランはヒサリを見るなり、
「ああー、クソ暑い!」
と言い、ロビーのソファの上にバサッと座るとその上であぐらをかいた。お行儀の悪いことの上無い。そしてべらべらと自分がここに来るまでに見てきたことを話し始めた。その中に何度も「土人の奴らが」という言葉が飛び出した。「土人の奴ら」。これはカサン人がアジェンナの民を侮蔑的に言う言葉だ。それを幼いランが口にしているのだ。たった十歳の彼女にアジェンナの民に対するこれ程ゆがんだ優越感を抱かせたものは何だろう、と思うとヒサリは怒りに震えた。
「ラン! 『土人の奴ら』なんて言葉は使ってはだめ!」
「でもみんな言ってるよ」
ランは叱られてもものともせずに顎をしゃくった。
「私は今、アジェンナの民の中でもとりわけ貧しい子ども達を教えているけど、彼らはとても優秀よ。それに比べてあなたはとてもまともに勉強してるようには見えない!」
「おいおい、久しぶりに会ったっていうのに、いきなり喧嘩かい? ヒサリもヒサリだよ。ランちゃんに向かってそんなきれいごと並べ立てても」
「きれいごと? どういう意味よ」
「つまりここの人間もカサン人と変わらないとかさ」
「これは綺麗ごとじゃないわ! 紛れも無い真実よ!」
ヒサリはアムトに向かって言った後、ランの方に向き直って言った。
「あなたは今すぐに現実を見るべきよ! 私と一緒にスンバ村に来なさい!」
ランはツンと顔を横に向けた。
「嫌よ! 姉ちゃんの学校なんてどうせ汚い所にあるんでしょ!」
ヒサリはとっさに妹の顔を打ちそうになったが、ブルブル震える手を握り締めて堪えた。
「私は……あなたを恥ずかしいと思う」
ヒサリは二人に背を向け、ホテルの外に出ようとした。しかしその時いきなり、ヒサリは叔父の妻であるユラおばさんに出くわした。
「あら、まあ、久しぶりね、ヒサリ」
ユラおばさんは笑いながらヒサリに言った。
「ああ、おばさん、私、今、ランと喧嘩になったんです。あの子の口のきき方があんまりひどいもんだから」
「ええ!?」
ユラおばさんは人の良さそうな顔に急に険しい皺を寄せた。ユラおばさんは、ヒサリとランの両親亡き後、幼いランを引き取って母親代わりに育ててくれた人だ。自分の育て方の悪さを指摘された気がして気分を害したらしい。
「私はあの子にちゃんと礼儀を教えてますよ。あなたのお父様やお母様の言われた通りに」
(そうじゃない、そうじゃないのよ……)
ヒサリはそんな思いを抱いたままその場に立ち尽くしていた。
「ホテルのレストランを予約してあるけれど、あなたも一緒に行くでしょう?」
そう言うユラおばさんの声はいくらか怒気を含んでいた。
「分かりました……行きます……」
ヒサリは、自分があまりにも大人げない行動を取ってしまったと思った。程なくやって来た叔父と挨拶を交わした後、ヒサリは皆の後についてホテルの廊下を奥に進んだ。
叔父夫婦とラン、アムトと話をしながら、ヒサリは自分だけが蚊帳の外に置かれたような気がしてならなかった。アムトは巧みな話術と明るさで叔父夫婦とランの笑いを誘った。ヒサリは時々四人の会話に口を挟む以外、ほとんど黙っていた。四人の会話を聞きながら、ヒサリは妹のランが頭の回転の速さと要領の良さを兼ね備えた子で、必要な場面では良い子のふりが出来るということを悟った。同時にヒサリは、叔父やユラおばさんがアマン人の使用人の話をする度に自分の心がざわつくのを感じた。二人共さすがに「土人の奴ら」などという下品な言葉は使わない。しかし「あいつらは何度も同じ事を言わないと出来ない」「しっかり見張っていないとすぐさぼる」などとさらりと口にする。ランのアジェンナの民に対する蔑視感情は周りの大人の態度に影響を受けたものだと感じずにはいられなかった。しかも彼らはそういった会話を楽しんでいる風ですらあった。ヒサリは口を挟むことも出来ないまま、黙ってダヤンティのことを考えた。自分は彼らのようにダヤンティを見下してはいないだろうか? 自分はダヤンティのことをとても有能だと思っている。しかし気になることはいくつもあった。その一つが、出来ないことをはっきり「出来ない」と口にしないことだった。何でも「はい、分かりました」と言うのに後で出来ていないのが分かると、ぐずぐずと言い訳をするのだ。アマン人には物事に黒白付けず曖昧にする傾向があった。ダヤンティに対し「それでは困る」と強く叱責するとひどく困惑したような目でヒサリを見返すのだった。自分にはダヤンティを見下す感情が無いと言えるだろうか……? そんな事を考えているうちに、いつしかヒサリの耳に四人の言葉が入らなくなっていた。食事を終え、それぞれテーブルを立ったところでランがナプキンで口を拭きながら思いがけない事を口にした。
「あたし、お姉ちゃんの働いてる所、行ってみる。どうせ暇だから」
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