第102話 小さな怪物 5

 ヒサリは、アムトや叔父夫婦とギクシャクした表情で別れの挨拶を交わした。その後、ホテルの前でオート三輪の横で客待ちしている男に声をかけた。ランをオート三輪に乗せると、自分は馬で先に行くのでついて来るようにと運転手に告げた。オート三輪はスンバ村では見ることは無いが、アロンガでは既に市民の足として定着していた。馬を走らせながら、ヒサリはなぜランが突然スンバ村に行ってみたいと言い出したのかといぶかった。スンバ村の賢い生徒達を見て欲しいのは事実だが、それを見る前に貧しい村の様子を見て汚いだの野蛮だのと騒ぎ出さないかと思うと心配だった。

 アロンガからスンバ村までは、すでに石畳の道が敷かれている。ヒサリはなるべく早足に馬を進めたため、日が暮れるよりかなり前に村にたどりついた。しかし村の中心部を抜け、妖人達の暮らす「森の際」地区と平民の暮らす地域を隔てる川の手前まで来た時、オート三輪の運転手が背後からいきなり叫んだ。

「おうい、そこから先は行けませんぞ!」

 ヒサリは思わずカッとした。

(この人は、穢れた妖人達の地域には入れないと言ってるんだわ!)

 しかしヒサリはすぐに気が付いた。川の向こうは舗装された道が無い。あんな所を走ったらオート三輪がすぐに駄目になってしまうだろう。ヒサリは馬から降り、オート三輪の運転手にここまでの駄賃を払い、ランに下りるように言った。オート三輪が去った時、ヒサリは四方に広がる田んぼの間にぽつぽつと立って自分達を見ている農民達の姿を見た。聞きなれないオート三輪の音に驚いてやって来たのだろう。ヒサリはランを馬に乗せ、自分は手綱を引いて橋を渡り始めた。

ランはさっきまでのヤンチャぶりはどこえやら、見慣れぬ景色に気圧されたかのように黙りこくっていた。「森の際」地区に入って、これまでとは全く異なる粗末な家やボロをまとった人の傍を通り過ぎても、「汚い」などと騒ぎ立てることなくおとなしくしていた。恐らく騒いでもどうにもならないことを悟ったのだろう。あるいは相当負けず嫌いな子のようなので、自分の弱みを見せないようにしているのかもしれない。しかし時折堪え切れなくなったのか、「ウエッウエッ」という下品なうめき声を上げている。

(未開人の暮らす場所に来たと思ってるのね。でもあなたの態度の方がずっと未開人のようよ……」

 二人はやがて学校に続く丘にさしかかった。

(さあ! もうすぐだわ!)

 馬に乗らず徒歩で移動するのは久しぶりだ。ヒサリの全身から汗が吹き出し、服は気持ち悪く体にひっついている。学校を覆うように枝を広げて立っているバニヤンの木が見えて来た時には、もう倒れそうな程であった。その時だった。

まるで疲れ果てたヒサリを癒すように、涼しい風のような澄んだ歌声が耳元に届いた。ヒサリがハッと顔を上げると同時に、ランが

「ああっ!」

 と声を上げた。それはマルの歌うカサンの童謡だった。マルはラジオを通じてカサンの歌を既に沢山知っている。幼い頃から母親から歌を聞き覚えて育ったマルは歌が上手だ。しかもカサン語の発音が正確なため、聞いた人は誰もがカサン人の子が歌っていると思うことだろう。実際、ランは興奮したように馬の腹をトントン蹴った。

「カサンの子! カサンの子がいる!」 

と言った。気の強いランも、さすがに周りにカサン人のいない場所に連れて来られて心細くなっているのだ。

「いないわよ」

 ヒサリはきっぱりと言った。その時、ヒサリはふと不安にかられた。ランはイボだらけのマルを目にしたらパニックになってどんなひどい事を口にするか分からない。自分だけ先に行きマルに馬小屋の中に入っているように言おうと思った。しかしすぐに考え直した。「そんな考えは間違ってる」。ランをマルに会わせるべきだ。そして彼女が騒ぎ立てたらきっちりと叱ろう。マルの歌声は、不意にピタリと止んだ。ヒサリが戻って来たことを察知したのだろう。

「でもあの歌は、絶対カサンの子よ!」

「あれを歌っていたのはアマン人の子です」

「嘘! 絶対嘘!」

「あなたがいくら否定しようと、すぐに現実を知ることになるわよ」

 程なく、目の前に茅葺屋根の吹き抜けの教室が姿を現した。

「あそこが私の教えている学校よ」

「エー!!!! あんなボロ家が!? だって壁が無いじゃない!」

「壁なんか必要無いの。その方が風遠しがいいからね」

 次の瞬間、ヒサリは教室の向こうからそっと姿を現すマルを目にした。同時にランがギューッと声を張り上げ、ガツガツ馬の腹を蹴った。

「イヤダー! ヤダヤダヤダあそこにバケモノがいるぅぅぅ!!」

 マルはサッと踵を返し、教室の向こう側に走り去った。それでもランの大騒ぎは収まらない。

「イヤ! イヤ! イヤー! あっち行け~~~~!」

「あの子はバケモノなんかじゃありません。イボイボ病よ。別に怖い病気じゃありません」

「イヤ! イヤ! 気持ち悪い! 吐き気がする! こんな所イヤー! こんな野蛮な国イヤよー!」

 ヒサリはこれ程泣き叫ぶ妹をただ呆れかえって見詰めていた。マルの姿を目にしたものは、誰でも初めは嫌悪感を示し、ある者はあっちへ行けと言い、ある者は顔を顰め、ある者は顔を横に向ける。しかしランのような下品で失礼な反応は見たことがない。妹は何ゆえにこんな怪物になってしまったのか。

「イヤイヤ! こんな野蛮なとこ! 早く帰りたい! 帰して~~!」

「だったらあなた一人で帰ればいい!」

 ヒサリは吐き捨てるように言ってランに馬から降ろし、彼女をそこに残したまま馬の手綱を引き、馬小屋に向かった。本当にランが一人でアロンガに向かい、迷子になっても構わない、そんな気分だった。


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