第98話 小さな怪物 1

 ヒサリがスンバ村で子供達を教えるようになってから4年が過ぎた。この間、実に多くの子ども達が学校を訪れたが、継続して来ているのは十二人、ダビ、トンニ、ラドゥ、シャールーン、ミヌー、テルミ、メメ、アディ、ニジャイ、カッシ、ナティ、そしてマルだった。

一番年上のラドゥはすっかり大きくなり、大人と変わらない体つきである。彼はどの教科もまんべんなく出来る、理想的ともいえる生徒だった。農民らしいがっちりとした体格の持ち主だったが、ノートの取り方は最も几帳面できれいだった。他の生徒達もそれぞれ成長した。体が成長しただけでない。成績の伸びも、それぞれ得手不得手はあるもののヒサリの予想以上だった。皆、カサン語を通じて得られる知識や物語を知りたがっているか、カサン語を学ぶ事で自分の将来の道を切り開こうとしていた。

 マルはというと、ダヤンティの作る料理で栄養状態はすっかり良くなっているはずなのに、相変わらず体は小さいままだった。

(この子の口にした栄養は全て頭に回っているに違いない)

 ヒサリがこう思う程、マルのカサン語の上達は目覚しかった。彼の書く程の作文を書ける同じ年頃のカサン人の子どもがいるとは思えなかった。奇妙なことだが、ヒサリにとことん盾突くナティもカサン語の作文が上手だった。しかしマルとナティの書いてくる作文の内容は全く違っていた。しかしマルが自分の見聞きした出来事や「妖怪から聞いたお話」を詩情あふれる生き生きとした文章で描いてくるのに対し、ナティが書いてくるのは主に自分の考えや主張であった。作文の内容はどこからどこまで生意気だった。しかしヒサリには、ナティが賢い子であることは分かったし、たとえ反抗的な内容であっても自分に思いをぶつけてくることにいくらか愛おしさも感じた。

 ヒサリはある日、ナティの作文のこんな一文を読んでハッとした。

「妖人と平民様の間の区別が無くなったって、それがカサン人の命令なら意味が無い。俺達の心が変わった事にはならないのだから」

(命令? 私は命令してるんじゃない! 教育を通じて、この子達の心を変えようとしているのよ!)

 しかしこの日、ヒサリは寝るまで悶々として仕事に手が付かなかった。

 どうしようもなく愚鈍に思えたカッシも、マルが根気よく宿題に付き合ってやるせいか、カサン語もアマン語の読み書きも少しずつ上達していった。ヒサリは、マルの勉強に差し障ってはと、初めはなるべく二人を長いこと一緒にさせないように努めていた。しかしマルの成績はカッシにつられて落ちることは無かった。二人は成長と共に、遅くまで遊びふけることも無くなった。マルはカッシとお喋りしながら夕食を食べ終わると、自然に本を開いたり作文を書いたりし始める。するとカッシもふらっと外に出て水煙草を吸ったりしながらぼんやりと遠くを見つめて座っている。かといってとりわけ寂しげでもない。カッシにはどこか孤独を好むようなところがあった。

 ヒサリある時から、あと三、四年したらマルをアジェンナに駐在するカサン人の子ども達が通う上級学校に通わせられないだろうか、と思い始めた。マルのカサン語力は他のどの子にも負けないはずだ。周りはどれ程驚くだろう、と思うとワクワクしてきた。しかしイボイボ病を持つ彼にそれは難しい。それに加えておっとりした彼には上級学校のカサン式の厳しさにもついて行けないのではないか。また上級学校に通うためにはたくさんの金がいる。

 ヒサリは毎週送る大量の報告書に、マルの作文を書き写した物を「子ども達の学習の成果」として添付した。マルの才能に気付いた人が、彼が高等教育を受けるための妙案を考えてくれないだろうかという願いを込めて。マルにその事は伝えていなかった。彼はきっとそれを喜ばない。マルは明らかに、ヒサリのためだけに作文を書いてきている。それは百も承知だった。

(マルがこの事を知ったらがっかりするだろう。でもあの子の才能は私だけに捧げられるべきではない。カサン帝国のために、みんなのために使われるべきなのだ。あの子もいつかそれが分かってくれるはず)


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