ヒサリ先生の若き情熱と
バダルカタイ先生の優しく諌め、見守る姿勢。
足して二で割ると
ちょうどイイ感じなんでしょうが(^^)
どちらの言い分も正解であると思います。
困りましたね…
名前は人を縛る、という話しは
私も聞いたことがあります。
(千と千尋の神隠しだったかな)
そして、一人一人が《真実の名》を持っている
という人もいます。
子供たちの名前の意味がわかると
たしかにヒサリ先生が言うように
もっと誇り高い名前に変更したくなりますね。
作者からの返信
遥 彼方様、ありがとうございます!
子ども達はいろんな価値観にもまれつつ、成長していきます。
そして生徒達はそれぞれの生き方を選択していきます。
植民地支配を受けた国の子ども達は、きっと支配側の国の文化に憧れつつも、土着の文化にも愛着を持っていたのでは……?と思いつつ書きました。
文化の問題はなかなか難しいですよね!
我々には野蛮で遅れているように見える他国の文化も、我々の基準で否定するべきものなのか……?と、いつも考えてしまいます。
全員の意見に、それぞれ正しい部分があるから、刷り合わせはとても難しいですね。
みんなの言い分がわかる。確かにその通り。もしこの議論の場に自分がいたとしたら何と答えるだろうかと。
先生の信念と苦悩、そして子供達それぞれの想い。
難しい問題ですが、先生なら素敵な名前を付けてくれるだろうという気持ちもありますね。
作者からの返信
そうですね!
世の中も多分こんな感じでややこしい……。いろんな人がいろんな意見を持っていて、それぞれ言い分があって……。誰が正しい、誰が間違っていると決めつけるのではなく、自分の思いを大切にしながらもいろんな意見を擦り合わせていく事が大事なんじゃないかな、と思ってます。
ヒサリ先生のカサン名の提案も、
ラドゥの
「どんな名前でも親からもらった名前は大事なもんだと思います」
という意見も、どちらももっともだと思います。
自分とは一人一人生まれ育った環境の違う生徒達に対して無関心にも過干渉にもならないように気を配り行動にうつしていくのは本当に大変なことだなと思います。
でも、ヒサリ先生ならきっと。
その本当に大変なことを実現してくれる
と期待しています😊
作者からの返信
憮然野郎様、ありがとうございます!
ヒサリ先生の行為は、良かれと思ってやった事でもその土地の文化への干渉であり、人々の恨みの原因にもなりかねません。でもそれを恐れて無関心になるのも良くない事で、難しい所だと思います。そのさじ加減にきっと正解はないけれど、ヒサリ先生はきっと一歩一歩、多様な価値観や立場を学んでいくと思います。
マルーチャイは可愛らしい響きの名前に思えても実際はひどい言葉の意味で、しかしナティやダビの本名も屈辱的な意味だったのですね……。
一方で変えてほしいという子もいれば、親からもらった名前だからという子もいる。
ラドゥはマルと出会った時は大人しい子だなという印象でしたが、はっきり先生にも自分の意見が言えるしっかりした子どもですね。彼が主人公の中編小説も読んでみたいので、シリーズを順番に読み進めていきますね。
ヒサリ先生のカサン語での名付け。どんな言葉の意味が含まれているのか、楽しみですね。
作者からの返信
朝倉千冬様、ありがとうございます!
世界には結構ひどい名前を付ける習慣があるよなあ、と思って入れたエピソードです!
日本でも「もうこれ以上子どもが生まれませんように」とトメとか付けたり、中国には女の子の名前で「次は男子が欲しい」みたいな意味の名前があると聞きました……。
マル達の親は「ひどい名前を付ける事で妖怪から身を守れる」と信じて付けました。しかしヒサリにはそれが理解出来ない。どちらも子ども達に愛情を持っている点では同じなのですが……。