第76話 踊り子シャールーンとミヌー 10

 その時だった。いきなり教室の外から老婆のしゃがれた声が聞こえてきた。

「ヘヘヘへ、ここに暮らしていた前の巫女は小さかったが、今度のは随分背が高いね」

 マルはギョッとして声の方に顔を向けた。

(ジャイばあさん!)

 それは紛れも無く、見世物小屋でシャールーンをいつもいじめている鬼ばばあ、ジャイばあさんだった。

(どうしてジャイばあさんがここに?)

「私は巫女ではなく教師ですよ」

 そう言いながら教室に戻って来たオモ先生の口ぶりは、どこか愉快そうであった。ジャイおばさんの後ろには、以前ロロおじさんの見世物小屋の前でマルのことを「バケモノ」とからかった女の子、さらにその後にはシャールーンの姿があった。マルはシャールーンを見るなり興奮の余り思わず机の上によじ登った。

(ひょっとしてシャールーンもおら達と一緒にここで勉強するのかな!?)

 ジャイばあさんは、まるでオモ先生に噛みつかんばかりの勢いで言った。

「ここではタダで子供達に役に立つ事を教えてるって聞いたが本当かい?」

「本当です」

「女の子でもいいのかい」

「もちろん。けれども私はやる気のある子だけに来てほしいのです。授業を邪魔するような事は認めませんよ」

「邪魔なんかしないさ。何しろ喋らないんだからね。図体がでかくて力があるだけのぼんくらでね、まるで役に立たない子だから、ここで何か仕込んでもらえないかと思って連れて来たんだよ」

「ぼんくらなどと決めつけることはありません。子どもは誰でも無限の可能性を持っています。しばらく一緒に勉強しながら、この子の可能性を探ってみましょう」

 それを聞いたとたん、マルは嬉しくなって机に乗ったままその縁をトントン叩いた。しかしシャールーンはそんなマルに気付くこと無く、ただじっと下を向いていた。

「こっちのちっちゃい方はまあ多少頭はいいし気が利いてるよ。この子は自分から来たいって言い出したんだ。まあ男の子と遊びたいとでも思ったんだろうね。何しろ年がら年中遊ぶことばかり考えてるから」

「来てもかまいませんが、勉強の邪魔は許しませんよ。ここの子達はみんな勉強熱心ですからね」

「言う事をきかなきゃ鞭でひっぱたいてやっておくれ。この子達がカサン語が出来るようになって、カサンの旦那のお相手が出来るようになればこっちとしたらありがたい」

「私は鞭は使いません。けれども出来る限りの事はしましょう」

「それじゃ頼んだよ。ああそうだ、ちっちゃい方がミヌーリー、大きい方がシャールーンってんだ。ああ、そういえばここは妖人の子のための学校だったね? この子達は妖人じゃなく奴隷だからね、妖人と同じ扱いをするとへそを曲げるかもしれない。大きい方は特にね」

 マルはジャイおばさんのその言葉を聞いたとたん、ちょっぴりがっかりした。奴隷の子に妖人は声をかけたり触れたりしちゃいけないんだ。なぜなら奴隷は誰かの財産で、もし妖人に触れられたら「人の財産を汚した」ことになるから。

シャールーンが体を固くしじっと下を向いている一方で、小さい子の方は早くも周りに笑顔を振り撒き始めた。教室の少年達は皆、突如出現した、かわいらしい女の子に釘付けになり、体をモゾモゾさせた。マルだけがシャールーンを見詰めたまま、こう念じていた。

(笑って……笑って……!)

 しかし、シャールーンの顔は岩のように無表情だった。オモ先生が二人に質問すると、ミヌーリーばかりが答えた。時には聞かれた以上の事を喋った。そしてその度に首を傾げたり髪に触れたりする。シャールーンからフッとミヌーリーに視線を移したマルは、

(なんだかお人形さんみたいな子だなあ)

と思った。ミヌーリーはサッサッと教室じゅうに視線を走らせたかと思うと、アディの隣の空いている席を指差し、

「私、あそこに座っていい?」

 と言ってちょこちょとこ歩いて行って勝手に座り込んだ。かと思うと隣の席のアディの顔を下からぐいっと覗き込み、ニッコリと笑いかけた。アディはひどく戸惑った様子で急に顔をあちこちに向け始めた。一方、立ち尽くしたままのシャールーンに向かってオモ先生は教室の一番端、マルの横の席に座るように指示した。マルは嬉しさのあまり机を抱きかかえるようにガバッとうつ伏せになった。

「何をしてるんです!? マル! 机から下りなさい! あなたは先輩なんですから、ちゃんとしたお手本を見せないといけないのですよ! ……さあ、あなた達、これからはバダルカタイ先生のアマン語の時間です。この学校ではカサン語とアマン語の両方が学べます。アマン語はあなた方の言葉ですから、しっかり勉強しましょう」

 バダルカタイ先生が教室に入って来ると、オモ先生は教室の後ろに回った。バダルカタイ先生は椅子に座っても落ち着きの無いミヌーリーに向かって、

「女の子がそんな風に男の子の顔を覗き込むんじゃない!」

 と言った。ミヌーリーはたちまちクシュンとした顔になって肩をすくめた。しかし、その後バダルカタイ先生に名前を問われると、またしてもペラペラと喋り出した。

「あたし、ミヌーリー。あの子はシャールーン。でもあの子は口がきけないわ。あたし達、踊り子なの。でも踊りはた~いへ~ん。すぐ疲れちゃう! あたしね、アマン語の読み書きちょっと習ったことある。その方がいいダンナのお相手が出来るからって。でもカサン語を勉強すればもっとお金持ちのいいダンナのお相手が出来るんでしょ!?」

 マルには、ミヌーリーの話を聞くバダルカタイ先生の顔がだんだん曇っていくのが分かった。しかし怒ることはなく、ただミヌーリーの顔をじっと見返してからおもむろに口を開いた。

「それは誰が言っているのかね?」

「みんな言ってる。ロロおじさんも、他の大人も。みーんなよ!」

「情けない! それこそ奴隷根性というものだ! カサン人に媚を売るために言葉を学ぶとは!」

 教室はシーンと静まり返った。マルは、隣でシャールーンがそっと顔を上げたのに気が付いた。バダルカタイ先生はシャールーンの方を見て言った。

「君は口がきけないのかね」

 シャールーンは頷いた。

「生まれた時から話せないのか、それとも途中から話せなくなったのか」

 シャールーンは空中にアマン語で「途中から」と書いた。

「なるほど。しかし、おしにさせられているのはお前だけはない。いくらお追従のための言葉を覚えて喋ろうとも、それはおしである事と変わりないのじゃ」

 教室の子ども達は黙りこくっていた。マルは、全身のイボがヒリヒリ痛むのを感じた。穏やかなバダルカタイ先生がこんなに強く言うのを聞くのは初めてだった。先生がとても大事な事を言おうとしてるのは分かった。しかし、オモ先生の語る「カサン帝国の精神」と同様、その意味がマルにはやはりよく分からないのだった。

「心がおしになる事、それこそが問題なのじゃ。それを避けるためには、我々の言葉、アマン語をしっかり学ばなければならん!」

 マルはシャールーンを見ながら思った。

(シャールーンはアマン語の読み書きが出来るみたいだ! それならアマン語で手紙を書いてみよう! 奴隷の子には触れることも話しかけることもしちゃいけないっていうけれど、手紙を書くのはきっといいよね、うん、きっといいはず!)



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