第73話 踊り子シャールーンとミヌー 7

 学校は五日通うと一日が休みになる。その一日を使って、マルはロロおじさんの所で絵解きをやろうと思った。「サンドゥ婦人地獄巡り」の話は、「悪い大人の話」だから母ちゃんからは教えてもらえなかったけど、だいたいの話の筋は知っているし、あのおどろおどろしい絵を思い出しながらじっと目を閉じていると、自然に、自分でもびっくりする程おどろおどろしい言葉が次から次へ頭の中に浮かぶのだった。

マルは学校が終わり、オモ先生の馬小屋に戻ると、床に広げたたままのカサン語の絵本を読みたいのをぐっとこらえてサンドゥ婦人の物語を語る練習をした。絵解きなんてやったことないけど、見たことはある。なんとかやれそうな気がした。ロロおじさんからお金をもらったら、市場できれいな白い布を買って醜いイボをすっかり隠してしまおう。それから「オモ先生、これは学校への寄付です」と言ってお金を渡そう。そうすれば先生は、

「まあ、すごい! あなたにこんな事が出来るなんて!」

と言って、おらをあの時みたいに抱きしめて……。マルはそんな様子を思い浮かべ、興奮の余り藁の上に寝そべり、体をよじった。それから起き上がると、しばらく楽器のスヴァリを広げた巻物に見立てて指し示しながら「サンドゥ婦人」を語った。そのうちお腹が空いてきた。

(いっぱいお話するとお腹が空くんだな……)

 そんな事を思っていると、不意に扉を叩く音がした。

(ダヤンティおばさん、歌を歌うとお腹が空くってことが分かって、いつもより早くご飯持って来てくれたのかな!?)

 しかし、扉の向こうから姿を現したのはオモ先生だった。マルはヒッと息を飲み込んでオモ先生を見詰めていた。オモ先生が直接馬小屋にやって来るのは久しぶりのことだった。そしてその表情はとても厳しかった。マルは思わず下を向いた。オモ先生の沈黙が床に溜まっていくみたいだった。やがて、オモ先生の言葉がマルの頭の上に落ちてきた。

「あなたは今、アマン語で歌ってましたね」

「あの、あのう、学校がお休みの日に、ロロおじさんの所でお仕事しようと思って」

「アマン語で歌や物語をする事が悪いとは言いません。けれどもあなたのような十にも満たない子どもが仕事をするのは感心しません。あなたはお金がいるのですか? 何が欲しいのですか?」

 マルは俯いたまま、自分の体がカッと燃え上がるのを感じた。ああ、自分はなんてバカな事を考えたんだろう! イボイボを布で覆ってオモ先生にもう一度抱いてもらおうだなんて! オモ先生がおらを抱いてくれないのは勉強が進んでないからじゃないか! おらは一番年下だけど、他の子のように家で父ちゃんや母ちゃんから仕事を教わらず、勉強ばかりしているから本当は何でも一番じゃなきゃいけない。でもおらはカサン語は一番だけど、算術はトンニやラドゥにかなわない。まあトンニとラドゥは「すごく算術の才能がある」ってオモ先生が褒めるくらいだからしょうがないけど、ナティにもかなわないのだ。それからオモ先生が「一番大事」って言う「カサン帝国の精神」の勉強に今一つ身が入らない。その事にオモ先生は怒ってるんだ……。

「質問にはきちんと答えなさい。そんな風にはっきりしない所があなたの悪い所ですよ」

「お金はいりません。ただ頼まれたから……」

「自分に必要無い事ならきっぱりと断ること。あなたから搾取しようとする人間や勢力がこの世にはたくさんいます。そういったものを撥ねつける強さをあなたは持たなくてはなりません」

 マルは黙って頷いた。「搾取」という言う言葉は初めて聞いたけど、自分から何か大事なものを奪い取る事だということはなんとなく分かる。(でも、おらは一体何を奪われたんだろう?)

 オモ先生がいなくなると同時に、部屋の奥から女の子声が聞こえた。

「いやーね、怖い女の人!」

 マルはハッと振り返った。しかしそこに人影は無い。

「お馬さん、喋った!? それとも家に住む精霊かな?」

 マルがじっと目をこらしていると、

「ここよここよ」

 スヴァリがポロンと鳴った。

「ああ、君!」

「あんたのお友達がちゃんとお弔いしてくれたおかげで、父ちゃんと姉ちゃんは無事に川向うに渡っていったわ。でもあたしだけここに残されたちゃった!」

「どうして?」

「あたしは末っ子なのに、末っ子の務めを果たさずに早死にしたからよ。川を渡るためには末っ子の務めを果たし終えた人の背中におぶってもらわなきゃいけないの。だからあたし、あんたにおぶってもらうことに決めた!」

そうだ。末っ子はなるべく長生きして、親や師から教わった事を若い人達に伝えなきゃいけない。それを果たせず死んだ魂は「川の向こうの光のあの世」に行けず、この世に残り続けるのだ。

「でも、おらが川を渡るのはすごく先の事だと思うよ」

「いいの! あんたと一緒にもうちょっとこの世が見たいんだもん!」

「おらの背中はイボだらけで乗り心地悪いよ」

「ねーえ、どうしてそんな事言うの? 分かった! あたしが邪魔だって言うのね! ひどい! ひどい! カサンの意地悪女の方がいいのね!」

 スヴァリはボロンボロンと弦を震わせて鳴き始めた。マルは困ったなあと思った。

「分かった、分かったから。おらが死んだ時は君をおんぶして川を渡るから、ただ、今はちょっと静かにしててくれる?」

「ほんと、嬉しい! ねえ、約束のしるしにあたしをギューッて抱いて! 一緒にサンドゥ婦人ごっこしましょうよ!」 

 この子うるさいし困ったなあ、死ぬまでこの子一緒についてくるのかなあ、と思うとマルはまた一つ大きなため息をついた。

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