第71話 踊り子シャールーンとミヌー 5

 マルとナティは「特別席」に入った。すると、マルの足はいきなりベチャベチャした柔らかい物を踏みつけた。かと思うと、それはぐわんぐわんと大きく動き出した。

「うわあああああ!」

ひっくり返ったマルが体を起こしてすぐ横を見ると、マルの背丈程の顔だけのおばけがいた。舌長おばけだ。長い舌を出して休んでいたところを、マルはうっかり踏みつけてしまったのだ。舌長おばけはクルクルと舌を丸めて引っ込めた。

ほっとしたのも束の間、別の方向からは「シャーッ」という叫びと共に生ぬるい息が顔にかかった。

「何? 何?」

そちらに顔を向けると、熊猫が目をピカピカさせながら毛を逆立て、マルを威嚇している。マルはびっくりして再び尻もちをついた。見世物小屋の妖獣達はたいがい妖獣使いによって飼い慣らされている。しかしこの熊猫はここに来てまだ日が浅いのだろう。

「シーッ! おとなしくしやがれ! てめえの歯の隙間からこいつをぶち込んでやるぞ!」

 ナティは熊猫に向かって、竹槍を振りかざした。

「ナティ、やめて! ひっかかれちゃうよ!」

 マルがナティにしがみついたその時だった。マルの背後でドサリという音がした。その瞬間、熊猫がマルの目の前からサッと消えた。振り返るとそこには! いつも小屋の前で薪割りをしていた、あの体の大きな女の子!

(シャールーンだ!)

彼女はちょうど、籠いっぱいの餌を抱えて持って来たところだった。シャールーンが籠を床に置くと、熊猫は籠に飛びかかり、ものすごい勢いで餌をがつがつと喰らい始めた。あまりの勢いに、マルはただただ目を丸くしてその様子を見詰めていた。ナティは腕組みしてその様子を見詰めていたが、やがて言った。

「ははーん、こうやって家畜と同じ物を食べさせて妖獣をおとなしくさせるんだな。そうだ。食い物ってのは大事だからな」

 空っぽになった籠を持ち上げた時、シャールーンはチラリとマルとナティの方を見た。その時、マルには彼女が微かに笑ったように見えたけれども、彼女はそのまま何も言わずに出て行ってしまった。

 ちょうどその時、ジャンジャンジャジャーンというすさまじく賑やかな銅鑼を鳴らす音が地面から沸き上がるように響き渡った。

「始まったぞ!」 

 マルとナティは二人で絡み合うように妖怪小屋の突き当りに突進した。竹を組んだ壁にはござが掛けられていたが、それを少しめくり上げると舞台や客席の様子をすっかり見る事が出来る。そこには、大人の腰の高さ程の檻らしきものが二つ、黒い布をかぶせられて置いてあった。その横で、ロロおじさんが口上を述べ立てている。

「さあさあ、これより始まるは悪逆非道の吸血鬼と見る者を石に変える恐ろしい蛇女の世紀の決闘! え? 蛇女を見たら我々もみんな石に変わるんじゃないかって? なあにこのロロ様がチチンプイプイノプイ! と呪文をかければその邪悪な力はどこへやら。さあ安心して両者の対決、ご覧あれ!」

 そこへナティの兄ちゃんのサビルが登場してきた。その歩き方はいくらかふらふらしている。

「やれやれ、えらく緊張してるぜ!」

 ナティが言った。サビルが一方の布を取ると竹の檻の中には吸血鬼が、もう一つの布を取ると頭髪の一本一本が全て蛇でウネウネ動きながら舌を出している蛇女の姿が見えた。観客がどよめいた。サビルは竹の檻の扉を開いた。しかし吸血鬼は身動き一つしなかった。そこでサビルは竹の杖を檻の中に突っ込んで吸血鬼をつっついた。すると吸血鬼はいきなり檻から飛び出し、観客に向かって大きくジャンプした。観客から一斉に恐怖の悲鳴が上がった。しかし吸血鬼は体をブルブル震わせたかと思うと、いきなり動かなくなった。まるで吸血鬼の方が大勢の観客にびっくりしたかのように。サビルはというと、蛇女の方もつついて檻から出そうとしたが、女は蛇髪を檻に絡ませるばかりで一向に外に出ようとしない。サビルは真っ赤になってしきりに杖で蛇女をつついたが、今度は蛇女の方が機嫌を損ねて、いきなり蛇の髪の毛でサビルの手にしていた杖を奪い取り、振り回し始めた。一方吸血鬼の方は観客に尻を向けていたが、やがてキューッ、キューッといびきをかき始めた。たちまち観客席から野次が飛んだ。

「おいおい、サビル、何やってんだ!」

「それでも妖怪ハンターの子か? 二匹とも戦う気無しじゃねえか!」

「あの怠け者で飲んだくれの父親にしてこの子ありだな!」

「……ねえ、吸血鬼って、昼間はいつも寝てるんでしょ?」

マルはナティにそっと尋ねた。

「寝かせといてあげたらいいのに」

「そうはいかねえさ。みんな金賭けてんだから」

「え!」

「親父が近頃、賭け妖怪レスリングにはまっちまって、サビルがここで仕事して、親父の賭ける方をいつも勝たせるようにすりゃいいって思ったみてえだ」

「でもナティの父ちゃんは妖怪の事よく知ってるから、どっちが勝つか分かるでしょ?」

「妖怪どうし決闘なんか普通しねえよ。決闘させてどっちかが勝つように仕込むのは人間さ」

 野次だけでなく、バナナの皮や果物の芯までが次々舞台に投げ込まれた。ロロおじさんが慌てた様子で両腕を振りながら現れた。

「はいはい皆様、誠に、誠に申し訳ございません。今日は吸血鬼も蛇女もご機嫌ななめでございまして、決闘ショーは中止といたします。代わりに少しばかり愉快な演奏をお楽しみ下さいませ!」

 三人の楽師がそれぞれ楽器を持って舞台に現れ、演奏を始めた。この間、ロロおじさんがサビルの首根っこをつかまえ舞台の奥に引っ張って行った。

「さっさとこの役立たずの妖怪を連れて行っちまえ!」

 という声がマルとナティのいる所まで聞こえてきた。ナティはうんざりしたように言った。

「サビルは妖怪の事なんかなんにも分かっちゃいない。決闘なんていきなり出来やしねえ。長いこと訓練して食べ物も工夫して、決闘用に育てなきゃなんねえんだ。俺ならもっとうまくやれる」

「それならナティがしたら?」

「しねえよ。だってそれだけ手間かける分の餌代や手間賃をロロのおっさんが払ってくれるか? ここで雇われてる奴はみんなバカだ。儲かってるのはおっさんだけだってこと、分かってねえ」

 ナティは溜息をついた。

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