第68話 踊り子シャールーンとミヌー 2

「皆さん、よく心に刻むこと。あなた方一人一人はみんな誇りを持った人間です。人間に貴賤はありません。そして人は誰かを奴隷にすることは出来ないし、誰かの奴隷になってもいけません!」

 オモ先生の声が、教室の生ぬるい空気をピリリと引き締める。マルはそっとオモ先生の顔を見上げた。「カサン帝国の精神」の授業の時のオモ先生の顔は、カサン語や文学の授業の時より怖い。だから何だか好きじゃない。

「人が他の人を奴隷にするのは恥ずべき事です。しかしそんな事が今でも平然と行われています。それどころか一つの国が他の国をまるごと奴隷にするような事も行われています。例えばピッポニア帝国がここアジェンナ国に対してしたような事です」

「カサン帝国の精神」の授業の間、オモ先生はアマン語で話をする。しかしマルにはオモ先生の話していることの意味がよく分からなかった。ただ分かるのは、オモ先生はピッポニア人のことが大嫌い、という事だった。

「狡猾な白ねずみがこの国の富を食い荒らしたのです! 今あなた方は奴隷の心を捨て去り、失われたものを取り戻さなければなりません!」

 マルは、オモ先生の声は、この授業の時だけ甲高く、刃物のように尖っている。マルはオモ先生の声を聞きながらそっと下を向き、自分のイボだらけの手を何度も引っ繰り返して見た。

(どうしよう、もしこのイボイボの下の色が白だったら……)

 忘れもしない。数年前人さらいに連れさられたというマルのすぐ上のサーミ兄ちゃんは白い肌に藁のような色の髪、青い目をしていた。オムー兄ちゃんはごく普通の褐色の肌に黒い目、黒い髪をしているけれど。マルは不思議に思ってある日母ちゃんに尋ねた。

「どうしてサーミ兄ちゃんは白いの? 病気なの?」

「病気じゃないよ。母ちゃんの肌も白いだろう? お前たちのうち父ちゃんの血が強く出たら褐色の肌、母ちゃんの血が強く出たら白い肌になるんだ」

「それじゃあ、どうして母ちゃんはみんなと違って白いの?」

「それは母ちゃんがピッポニア人から産まれたからさ。おらは目が見えないから捨てられたんだろうねえ。そしてゴミ溜めの中で泣いていた所を、運よくお前のじいちゃんとばあちゃんが通りかかっておらを拾ってくれたのさ」

 そう言って母ちゃんは笑った。母ちゃんは自分を捨てたピッポニア人の事を悪く言うどころかこう言った。

「おらは捨てられて良かったと思ってるよ。おかげで物乞いに拾われたんだから。物乞いの間じゃ目の見えない子は賢いって言われてね、そりゃあ大事にされたもんさ。きょうだい達はみんなおらに一番美味しい物をくれたしね」

 しかしマルは、オモ先生の話を聞けば聞く程、母ちゃんを捨てたピッポニア人というのはひどい奴らだと思えてきた。そしてそう思う度に全身のイボイボがたまらない程かゆくなる。それからしばらくすると、このイボイボの下の体が白かったら……という不安で胸がいっぱいになるのだった。

「マル!」

 オモ先生の鋭い声に、マルはハッと顔を上げた。

「あなたはさっきからどうして下を向いてもぞもぞしているのです!?」

「…………」

「足の指を触るんじゃありません! 下ろしなさい! あなたがいくらカサン語が出来ても、カサン帝国の精神をしっかり学ばなければあなたのカサン語には魂が入っていないも同然です。それでは学ぶ意味がありません!」

 マルはどうにか顔を上げたものの、オモ先生を見続ける事が出来なかった。

「うるせえな! 上向いてようが下向いてようが聞こえ方に変わりねえよ!」

 ナティが言った。

「お黙りなさい!」

 オモ先生は一喝した。

「この国でも相手の話を聞く時は相手の目を見るのがマナーだと聞きました。つまり相手の目を見ないで話すというのは相手に対する失礼な行為ということです!」

 マルはぼう然とした。自分がまさか、オモ先生に対し失礼な事をしているなんて! そんな事、今まで考えてもみなかった。

「オモ先生」

 一番後ろの席で授業を聞いていたバダルカタイ先生が、不意に口を開いた。

「オモ先生の仰る事は本当です。この国では相手の目を見て話をする事が礼儀です。しかしそれはあくまでも、階級が同じ者同士での事です。妖人が平民に話しかける時、また我々が貴族に話しかける時は決してまっすぐ目を見ることはありません」

「私はそんな階級の話をしているのではありません!」

 オモ先生は声を荒げた。

「カサン帝国臣民は皆平等です! ここの子達には、決して誰かに対し卑屈に目を伏せるような事はさせません!」

「私はただ、この国の慣習を言ったまでのことです」

マルは、自分のせいでオモ先生とバダルカタイ先生がこんな言い合いを始めたと思うと、いたたまれない気持ちになった。それでも必死にオモ先生の顔を見詰め返していたが、その目にはいつしか涙が溜まり、大きく膨れ上がっていた。

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