第60話 生の子死の子 4
マルはそれからしばらく歩いて、葬儀屋のメメの家にたどり着いた。そこにはメメとメメの母ちゃんのネビラおばさんがいて、互いにカーン、カーンと音を立てながら薪を割っている最中だった。
「おお、マルかい。今夜もここに泊まっていくかい?」
「うん」
ネビラおばさんは母ちゃんと仲良しだった。母ちゃんは色が白かったけど、ネビラおばさんは色が黒い。母ちゃんが話し好きだったのに比べて、ネビラおばちゃんはぶっきら棒で必要な事しか喋らない。それでもマルはネビラおばさんに会うと、母ちゃんといる時みたいに何だかほっとした。ネビラおばさんは母ちゃんと同じようにだいぶ年をとっていて、物知りだからかもしれない。
「あ、マルだ!」
家の裏からひょっこり姿を現したのは産婆の家の子のテルミだった。ネビラおばさんは、産婆のメームおばさんの一家とも付き合いがある。ネビラおばさんの家は、メメより先に生まれた子がみんな死んでしまったので、メームおばさんの家に男の子が生まれたらもらい受けて葬儀の仕事を教えることになっていた。ところがメームおばさんの家でたった一人生まれた男の子のテルミが女の子みたいな性格だったので、メームおばさんはテルミを産婆の仕事をさせようって決めてしまった。それでネビラおばさんは結局メームおばさんの所の子どもを預かることが出来なかったのだ。ネビラおばさんは薪割りの手を止めて言った。
「マル、また新しい本を持って来たのかい。ここに座って読んだらいいさ。それがお前の仕事なんだろ」
マルは頷いて、木陰の、テルミが座っている横に腰を下ろした。そしてカサン語の本を開き、声を出して読み始めた。知っている言葉の中に知らない言葉が出て来る。これはどういう意味だろう、と思いながらゆっくりと読み進めた。しばらく読んでいると、テルミが、
「ねえ、マル」
と言った。テルミは男の子だというのに、ぱっちりした目で、まるで女の子みたいな顔をしている。それから男の子はたいがい腰布だけ巻いて上半身裸なのに、テルミは女の人がするみたいに胸を布で覆っていた。テルミが男の子でナティが女の子だなんてすごく愉快だ、とマルは思った。もっとも、テルミが男の子なのはみんな知ってるけど、ナティが女の子だって事は誰も知らない。
「マルはどうしておら達の分かんない言葉の本を読むの?」
「母ちゃんの代わりにいろいろ教えてくれることになった人がカサン人だから、カサンの言葉を勉強してんの」
「カサンの言葉でいろんなお話するの? でも、それだとおら、マルの言ってる事が分かんないなあ。おら、もっとマルの話が聞きたいのに」
テルミが残念そうに言った。イボだらけのマルを嫌がらず、一緒に遊んでくれる友達といえばナティとメメ、そしてこのテルミしかいない。しかしメメは歌物語にさっぱり興味が無いようで、歌物語を聞かせてくれとせがんでくるのはナティとテルミだけだった。そのテルミに自分が覚えたカサンのお話をしてあげられないのは残念だ、とマルは思った。しかしマルはこの時、ふとある事を思いついた。
「テルミも学校に来て、カサンの言葉の勉強しない?」
「おら? おらにはマルみたいなこと、無理だよ」
この時、ずっと黙って薪を割っていたネビラおばさんが言った。
「テルミ、行ってみたらいいよ。なにもあんたがカサンの言葉で歌物語をするわけじゃない。それにカサン語が出来ればカサン人の所に行ってお産婆の仕事も出来るからね。それはお前にとっていい事さ。どうだいメメ、お前も行ってみたらどうだい?」
「行かねえよ」
メメは、薪割りの手を止める事無く言った。
「おら、葬儀の仕事を覚えなきゃいけねえし」
「急いで仕事をみな覚える事も無いさ。それよりいろんな事を勉強しておく方がいい」
マルはネビラおばさんの言葉を聞きながら、ああ、きっと母ちゃんも生きていたら同じ事を言っただろうな、と思った。
「靴屋となめし屋のせがれも行ってるんだろう?」
「うん。ダビとトンニも来てるよ。テルミやメメも来てくれたら、おら嬉しいなあ」
マルは言った。
「おら、マルやダビみたいなこと絶対出来ないよ」
「そんなことないよう!」
マルは必死に言った。ネビラおばさんもマルに加勢した。
「カサン語の勉強はきっと役に立つよ。カサン人ってのは大したもんだよ。カサンの兵隊達は、我々葬儀屋に手間賃と薪代を配って、洪水で死んだ人を皆火葬にするように言ったんだ。火葬なんて、これまでは薪代が払える金持ちしか出来なかった。我々は死んだらみんなと一緒に穴に放り込まれて軽く土をかぶせられるか石を付けて川に沈められるのがせいぜいだったからね。それより酷いのはろくに弔いもされず森に投げ込まれて妖怪どものに魂ごと食われる事さ。このたびの洪水であんまりたくさん死んだから、みんな危うくそうなる所だった。死体にゃ邪悪な妖怪がたくさんむらがってる。メメ、お前の兄さん達もみんな死体にむらがる悪い妖怪に噛みつかれて死んだんだ。けれども火葬にすればそいつらはみな退散する。カサン人はそういう事も知っていて、良い事を命令して下さった」
普段無口なネビラおばさんが、珍しく饒舌だった。マルは、メメが学校に行く気になってくれないかと期待を込めて友を見た。しかしメメは母親の話など耳に入らないかのように無表情のまま切った薪を集めて縛った。浅黒く長い腕は実に素早く束ねた薪を荷車に放り込んだ。
「今日は川向うで仕事だよ。新しい橋は見たかい?」
とネビラおばさん。
「ううん。まだ。一緒に見に行ってもいい?」
テルミに続いてマルも
「おらも行きたい」
と言った。
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