第44話 再会 7

 避難所に付くやいなや、ヒサリはマルを抱えて馬から降ろし、避難所の入口に立っているカサン兵に近付き敬礼をすると相手もサッと敬礼を返した。

「私は川向うの学校で教えることになっている文化部隊所属のオモ・ヒサリです。この子に食べ物と寝る場所を」

 兵士は、ヒサリの少し後ろにくっついて立っているマルに気付くやいなや

「うっ」

 と言って顔を顰めた。

「食べ物はみなあそこに並んで順番にもらっている。それからそんなみっともない病気持ちの子は木の下にでも寝たらいい。どうせ今までそうやって暮らしてきたんだろう」

(この男、何も分かってない……!)

 ヒサリは憤った。アジェンナの事を何も分かっていない、無知な愚か者だ! 自分の任務の意味も何も……! 迷信深いアジェンナの民にとって、妖人やイボイボ病のような病気を持った者は単に見苦しいというだけではなく、禍々しい力を持った存在で、災いをもたらすと信じられているのだ。彼らを野放しにしていれば大混乱が生じ、暴動すら起こりかねない。だからカサン軍は必死になってこの度の被災者を囲い込もうとしているのだ。しかしそんな事をこの無教養な兵士にくだくだと説明しても無駄だと思った。

「どの子にも分け隔て無く寝床を与える事はカサン軍の方針です」

 ヒサリはきっぱりと言った。相手の兵士が軽く舌打ちしたのが分かった。

(文化部隊所属の小娘だと思ってバカにしてるんだわ!)

 ヒサリは思った。しかしここでひるんでなるものか、と相手の目を睨みつけた。その時だった。マルがヒサリの横で小声で言った。

「おら、川のそばに行く。母ちゃんの声が聞きたい」

「いけません!」

 ヒサリはそう言って、マルの腕を取った。カサン兵士は

「うわっ」 

 と呻いた。そんな汚い子どもによく触れられるものだ、という響きと嘲りが声に滲んでいた。その時だった。

「マル! 何してる!」

 ヒサリがサッと声の方に顔を向けた。十三、四歳位の少年が少し離れた場所からヒサリの方を睨んでいるのが分かった。ヒサリはすぐに、その少年には以前会ったことがある事に気が付いた。市場で、椰子の実を半分に割って弦を張った楽器を弾きながら物乞い歌を歌っていた少年だ。

「あ、兄ちゃん」

 マルが言うのを耳にして、ヒサリは仰天した。

(彼がマルの兄さんですって!?)

 この少年の態度は、ヒサリに向かって両腕を伸ばし甘えるような仕草をして見せたマルとは対照的だった。あの時、市場で歌い終えた少年は、ヒサリがいくら話しかけても短い言葉しか返さず、視線を交わすことも無かった。そして今初めてヒサリの方にまっすぐに向けられた視線を目にするやいなや、ヒサリはゾッとした。その真っ黒に燃えるような目は、憎しみを湛えているかに見えた。

「でもこの人はトゥラの話の続きを教えてくれたんだよ! 母ちゃんが、これからはこの人に何でも教わりなさいって、この人の所に連れてってくれたんだよ!」

「バカな事を言うな! 行くぞ!」

 兄にグイッと腕を取られた瞬間、マルは腕に抱えていた本を落した。マルはしゃがんで本を拾い上げた。そしてそのままグイグイと兄に引かれて雑踏の中に消えた。ヒサリは、しばらくの間二人の消えた方を見詰めながら動けずにいた。

(あの目……恐ろしい目……)

 この瞬間、ヒサリの脳裏にとっさに横切ったのは「ゲリラ」という言葉だった。この地域では、カサン帝国によるダム建設によって現地の住民が多数動員された。難工事であったために死者も出たと聞いている。そのため反カサン感情を抱く者もいるらしい。残念ながらそれは紛れも無い事実だ。しかし、カサン帝国の悪行をことさら誇張したりねつ造して流言を振り撒くゲリラが組織されているとも聞く。もし本当ならその存在は極めて危険だ。そして仮にもし、マルの兄さんがゲリラの一味に取り込まれたら? 無邪気なマルに誤った考えを吹き込んでしまうのではないか? そしてこの時、ヒサリの耳の奥にはマルの言葉が熱く響いていた。

「母ちゃんがこの人の所に連れてってくれたんだ!」

(そうよ! その通りよ!)

 ヒサリはすぐにでもマルの後を追いかけたかったが、そうすることは出来ず、思いはヒサリの体から炎のように立ち昇っていた。

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