第42話 再会 5

 ヒサリは、アジェンナ南部で急ピッチで建設が進められていたシル殿下ダムが決壊し、下流の村に大きな被害が出たという一報を、スンバ村から少し離れた南部最大の都市アロンガで聞いた。

ヒサリはこの時、カサン軍南方文化部隊においてかなりの地位にあるテセ・オクムと面会しているところでだった。彼はヒサリの祖父や父とも懇意にしていて、ヒサリ自身も幼い頃から彼に可愛がってもらっていた。酒好きな豪快な人物でありながら、文学や芸術にも理解があり、どこか浮世離れした学者肌のヒサリの祖父や父ともよく顔を合わせ、酒を飲み交わしていた。ヒサリは、誰にも理解してもらえない妖人の子ども達への教育の意義もテセなら分かってくれるのではないか、と思った。そしてテセに対し、妖人向けの学校への予算の確保を働きかけるつもりだった。そんな折に、最悪のニュースが飛び込んで来たのだ。テセは言った。

「どうも聞いた話によると、この国特有の小競り合いがあるらしいんだなあ。住む家をなくした妖人と平民との間に。こういう時に一致団結出来んところが、この国の人間の我々との違うところだ。しかしまあ、今回の件は我々カサン側の失態でもある。ダム建設を請け負った会社はいろいろ問題があってね。しかしこっちの人間は頭に血が上ってるからね。カサンは災いをもたらす、カサン帝国憎し、という感情に突き進むかもしれん。放っておいたら平民と妖人の間のいざこざまでカサンのせいにされかねん。だから今が重要なんだよ。カサン軍は速やかに事態を収束させるために全力を注いでいるところだよ」

 テセ自身は被災地となったスンバ村やその周辺の村を訪れたことはない。そのためだろうか、テセの言葉はどこか他人事のようにヒサリには感じられた。

「人はたくさん死んだのですか!?」

「相当の死者が出たらしい。しかも困ったことに、ここの農民連中は妖人の死体に絶対触ろうとせん。死体の片付けは死体を片付ける仕事の人だけがするときている。しかしそれで人が足りるわけがない。死体があちこちで放置されて腐り始めてるっていうじゃないか。だから死体を処理する人間もアジェンナ全土から引っ張って来てるらしいね」

「私、すぐにスンバ村に戻ります! 私はあの村の何人かの子ども達と知り合いになったんです!」

 ヒサリは飛び上がらんばかりの勢いで言った。テセの妻はヒサリの様子がおかしいのか、微笑みを浮かべながら言った。

「カサン軍がそこまでしてやらなきゃいけないの? この国じゃしょっちゅう水害で人が死んでるじゃない。それに死んだのはそれこそ、獣同然の『妖人』とかいう輩でしょ?」

「アジェンナの貧しい民の命は軽いとでも言うんですか!」

 ヒサリは激高して叫んだとたん、しまった、自分は目上の人間に対しあまりに失礼な口をきいたと思った。実際、テセの妻は目を剥き出しにして驚いた顔をした。テセはそんな妻の肩をポンポンと叩いてなだめた。

「ヒサリ君は本当にこの国とここの人間が好きなんだよ。相手が貧しかろうとなんだろうと構わん位に。それだけ彼女はまっすぐで理想が高いんだ」

 そして直ちに出立の準備を始めたヒサリに対し、テセは十分気を付けるように言った。さらにそっとこう言い添えた。

「油断はならんぞ。あの辺りはダム建設の事もあるから。ゲリラがかなりいて住民に反カサン感情をあおっていうということだ。女一人の身では危険だ。必ず武器を体から離さないようにしなさい」

 ヒサリはテセの忠告もそこそこに子馬にまたがりスンバ村に向かって駆け出していた。

 あの子達は無事なのか。そんな思いでヒサリの身はちぎれそうだった。馬上に揺られつつ、少しずつ、テセの言葉を吟味するゆとりが生まれた。確かに、カサン帝国皇太子の名が付けられたシル殿下ダムの建設には、多数の地元住民が動員されたと聞いている。しかし彼らはピッポニア帝国時代のように搾取されることもなく、十分な食料と給料を与えられ意欲的に働いていたはずである。ゲリラ活動も住民の自発的なものではなく、ピッポニア帝国が潜入させた工作員の扇動によるものだろう。だとしたらより危険だ。ゲリラはピッポニアの高性能な武器を提供されているかもしれないから……。しかしそんな思いの間も、絶え間なくヒサリの頭にスンバ村で出会った子供達の顔が次々と浮かんだ。とりわけヒサリの脳裏にくっきりと浮かんだのは、この胸に抱いたあのイボイボの小さな子だった。かわいそうなあの子は、妖人達の住む地域の中でもとりわけ貧しい人達が集まる川べりに住んでいたのではないか。あの子が悲しい悲鳴を上げながら流されていく様を思う度に、ヒサリは何度も何度も汗をぬぐった。

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