第33話 農民の子ラドゥ 2
やがて、雨音がやや小さくなると、今度は川のゴウゴウと流れる音と、人々が激しく言い争う声が聞こえてきた。
「何だろう、やけに騒がしいねえ」
母ちゃんは立ち上がって、扉を開けて外を見た。ラドゥも母親の後ろに立って外を見た。真っ暗な中に松明の明かりが揺れている
のが見える。それを持つ村人たちの姿が見えた。そして松明に照らされている川は、いつもの様子とは一変していた。川幅は、いつものあるべき所をはみ出して大きく膨らんでいる。そしてその真っ黒なうねりの中から、大勢の妖怪じみた異様な姿の人々の群れが這い出して来ている。それを村人たちが必死に追い返そうとしているのだ。ラドゥは恐ろしいという気持ちを抑えつつじっとその様子に目を凝らし、さらに耳を傾けた。異様に見えた黒い一群は妖怪ではなく、人間であることが分かった。そして恐ろしさの真の原因はその川から沸き出したかのような妖怪じみた人間達の姿ではなく、その恐怖に満ちた叫び声とそれに対する村人の怒号だということも。
「母ちゃん、橋も流されてる!」
ラドゥは母親に言った。
「本当だ。ひどい水だよ」
母ちゃんが呆然として口にした。
「あそこにいる人達、向こう側の川べりにいた妖人達じゃねえか! 金貸しの所に行った時、川べりに小屋がずらっと並んでて人が住んでるのを見た」
「そうだ。その妖人達がみんなこっちに流されてきたんだ」
「あそこで何してるんだろう?」
「村のもんが妖人達を村に入らせないようにしてるんだろうね」
ラドゥはただちにその意味を理解した。妖人達に汚された田畑は作物が出来なるなると言われている。だから村人達はあれ程必死に川の方へ、川の方へと追い返そうとしている。
「でもあんな事したら、あの人達、水に流されて死んぢまう!」
「そうだよ。こんな時位入れてやったらいいのに。妖人のせいで作物が出来なくなるなんてそんなことありゃしないんだよ。地主様だって妖人を屋敷に入れて妖怪退治させてるんだから!」
母ちゃんは忌々しそうに言った。ラドゥはしばらく息を潜めていた。妖人達の怒号はしばらく止まなかった。ついに母ちゃんはしびれを切らしたように言った。
「まったく! 妖人達に死ねっていうつもりかい! 入れてやればいいじゃないか! あたしゃ今からあそこに行ってくるよ!」
「母ちゃん、そんなことしちゃダメだ!」
部屋の奥で、兄ちゃんが弱弱しい声で言った。いつも後先考えず行動する母ちゃんの引き止め役が兄ちゃんだった。
「そんな事したら俺達は村八分だ……そうなったらどうなる……ラドゥもスンニもちび達も……」
母ちゃんは唇を噛み、怒ったようにそのまま扉を閉じた。妖人達には気の毒だが、自分達にはどうする事も出来ないのだ。あそこに行ったところで、村人達の残酷な行いを制止する事は出来ない。どうさしても。ラドゥは重苦しい気分で家族の方を向き直り、座った。
「とりあえず、腹に何か入れようか」
母ちゃんが言った。ラドゥは竹筒で蒸した米と干し魚と野菜の食事を配った。わずかな食事はあっという間に底をついた。まだ欲しいとせがむ一番下の弟の背中を撫でてやりながら、こういうときに彼らの気を紛らす事の出来る楽しい話でもしてやれないか、と思ったが、何も浮かんで来なかった。外の怒号や叫び声は激しい雨音に紛れ、いつしか聞こえなくなったいた。妖人達がみな濁流に押し流されてしまった光景が一瞬の脳裏に浮かんだ。そのとたんラドゥはゾッとして拳を握り締めた。
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