第29話 物乞いの子マル 6
やがて、大きな立派な家が木の生い茂った向こうに見えて来る。マルが右から左へと首を回さなきゃいけない程でっかい家だ。そしてその家の入口に、一人のがっちりした体格の少年の姿を見た。マルはそれを目にするやいなや驚いた。彼は川向うで見かけたことのある農民の少年だった。田んぼで水牛を引いて働いている所を何度か見たことがある。とても働き者なのだろう。彼の熱心に働く姿はとても目についた。川向うの平民様が橋を渡ってこっち側に来るなんて! マルとナティは、息を潜めたまま赤い花をつけた火焔樹の後ろから、少年とこの家の主人とが話している様をしばらくじっと見詰めた。でっぷりと太ったアッサナック家の主人は、赤ら顔に笑みを浮かべながら「坊ちゃん」などと猫なで声を出している。卑しい妖人が平民様に話しかける時の見かけはへりくだった、しかしどこか尊大な態度で。それに対し、少年の方はくぐもった声で、しかしひどく真剣な様子で話し込んでいた。何か、見てはいけないものを見た気がして、マルは途中から下を向いた。しかしナティは最初から最後まで興味津々な様子で、マルの横で荒い息を吐きながら二人を見詰めていた。
「あ……帰ってったぞ!」
ナティは、少年がいなくなったのを見届けるやいなや立ち上がり、玄関に向かって駆け出した。マルがその場にじっとしているのに気付くと、振り返って
「来いよ!」
と促した。マルは気が進まないながら、のろのろとナティの後を追った。
「おっさん、来たぜ」
「おい! ちょっと待った!」
太った主人は、家の奥にずんずん入りかけたナティに声をかけた。
「お前か。相変わらず汚い格好だな。あんたの父親に金は渡してあるはずだが着る物も買えんのか」
「みんな賭け事ですっちまったよ。ところで姉ちゃんは?」
「プシーは奥の部屋だ。……ちょっと待て、そんな泥だらけの格好で入らんでくれ。話があるなら今から呼んで来る」
主人は太った体を揺すりながら奥に行きかけたが、ふと立ち止まり、もう一度振り返った。
「お前の家には確か、もう一人女の子がいなかったか?」
「ああ、女の子なら、とっくの昔に死んぢまったよ」
「そうか。残念だ。もしプシー程の美人がいるなら、うちの下の息子にもらってやるんだがな」
そのまま主人は奥へと消えた。
「へっ、どこの女が間抜けなパンジャの嫁になるってんだよな! 妖怪とでも結婚しやがれ!」
やがて、家の奥から現れたのは、ナティの姉ちゃんのプシーだった。まるでお祭りにでも行くみたいに派手な服を着て、顔にはおしろいを塗り頬や口に紅を差している。きれいだけどもちょっぴりおっかない、と思いながらマルはプシーとナティを交互に見ていた。二人の声はいつしか小さくなったまま、終わることなく続く。その間、プシーが笑っているのに対し、ナティの方は何だか怒っているようだった。そして時折足でドンドン床を叩いている。マルはしばらくその様子を見詰めていたが、自分がそんな所に突っ立っているのは何だか悪い気がしてそっと歩いて家の裏側に向かった。そして大きな家をぐるりと見上げた。薄く削った木の板を並べた壁も屋根も、まるで輝くように白くきれいだった。屋根の上には魔除けの黄金獅子の木彫りが乗っている。まるで生きているみたいに上手に彫られた木彫りを見詰めていると、それはいきなり
「ホーーーー!」
と低くうなり声を上げた。
「イボイボのチビッ子、ここの嫁さんを見たか?」
「見たよ。とてもきれいだった」
「しかしあんな風に着飾って、何か変だと思わなかったか?」
「うん。あんなに着飾らない方がきれいなのにって思った」
「彼女があんな風に着飾っているのは、金持ちの家に嫁いでも少しも幸せじゃないからじゃ。金持ちになっても心が満たされんのじゃよ」
「どうして?」
「あの一家の者は心に『からっぼ』という真っ白な妖怪に胸を喰われておるからじゃ。『お前らは金持ちだが、どうせ穢れた妖人さ』人のそんな言葉を聞く度に、『からっぼ』はどんどん大きくなってゆく」
「おらは平気だよ。だって母ちゃんもナティも兄ちゃんも同じ妖人だもの」
「お前がその胸に誰よりもたくさんのものを持っているから平気なのじゃよ。平民様や貴族様よりも。もしかしたら王様よりもな『からっぼ』も入り込む事が出来んのじゃ」
「胸の中!?」
マルは驚いて自分の胸に手を当てた。
「おら、なんにも持ってないよ。おらの胸はこんなにちっちゃいし」
「小さくてもたくさん入る胸なのじゃ。お前は自分の持っているものをなるべくたくさん人に分けてやらなければならん」
「分けてやるって? でもどうやって?」
しかし木彫りの黄金獅子はそれ以上何も言わずに黙り込んでしまった。
その時だった・
「汚いイボイボの化け物! 化け物! バーケーモーノ!」
突如、鋭い声が聞こえた。マルが慌てて声の方を向いたとたん、小さな石がコツンと額に当たった。マルはサッと顔を手で覆った。イボが潰れて膿がダラダラッと顔を伝って流れた。顔を覆った手の指の間から意地悪なパンジャが石を持ち上げて二つ目を投げようと構えているのが見えた。
「出てけ! 勝手に入って来んな!」
マルは慌ててその場から逃げようと地面を這った。その時だった。ナティが、まるで突風のように駆けて来た。
「おい! てめえ! マルに何をした!」
ナティは拳骨でパンジャの顔を打った。パンジャは勢い余って地面に尻もちをついた。
(ああ! 大変なことになった!)
マルが泥人形のようにそこに立ち尽くしていると、ナティがマルの腕をつかんでグイグイ引きながらわめいた。
「てめえなんか一生そこに転がってろ! 妖怪に食われてでかいうんこ玉になって妖怪のケツからひり出されやがれ!」
「ねえねえねえ、ナティ、やめて、ねえ、謝った方がいいよ!」
「なんで謝るんだよ! アホ! 悪いのはあのデブのクソ野郎だろうが!」
ナティはそう言ったままずんずん進んだ。マルが振り返ると、パンジャが尻もちをついたまま上半身だけ起こし、あっけに取られたようにパチパチとまばたきしているのが分かった。
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