第26話 物乞いの子マル 3

 オムー兄ちゃんが竿で筏をこぎ出すと同時にマルに向かって怒鳴る。

「早くそのイボイボの顔を頭巾で隠せ! これから人がたくさん集まる所に行くんだからな!」、

 マルは渋々頭巾を取り出して頭にすっぽり被った。本当はこんな物大嫌いだ。暑苦しいし、周りがよく見えなくなるから。

 筏が川の面を滑り出すと、母ちゃんがゆっくりと歌い出した。勇者エデオンが川を下って旅立つ場面で、ちょうど今のマルの気分にぴったりだった。マルも母ちゃんの歌を追いかけるようにして歌った。川の両岸の木は大きく川を覆いかぶさるように枝を伸ばしているため、まるで巨大な緑の怪物の喉の中をくぐっていくみたいだった。緑の森の奥からは、鳥や妖怪のツピー、ツピー、とかヒョロロロといった鳴き声が盛んに聞こえてきた。母ちゃんがふと歌うのをやめて言った。

「マルや、あの鳥が何て言っているか分かるかい?」

「ううん。分かんない」

 よく耳を澄ませてごらん。そして何て言っているのか分かったら教えておくれ。妖怪や動物の言葉がお前程分かる人は他にいないんだからね」

 マルはしばらくの間、筏の揺れと木々の間から降りかかるさまざまな声をただただ心地よく身に浴びていた。するとその時、赤と緑の美しい羽根を持った鳥がギャアア、ギャアア、と叫びながら飛んできたかと思うと、いきなりマルの分かる言葉で言った。

「やあやあ、そこのみっともないイボイボっ子!」

 マルはムッとして答えた。

「そんな事言わなくたっていいじゃない。いくら自分がきれいな色してるからって」

「ギャアオ! きれいだからいいとは限らねえさ! おれはこの羽根のせいで何度も命を狙われてんだ。お前はそのイボイボのお陰でいろいろ助かってんだぜ」

「助かってるって!?」

「隠してくれてるからさ。お前がピッポニア人みてえな顔してるってこと!」

「それって、いけないことなの?」

「そりゃそうさ! だってこの国のご主人様は白いピッポニア人から黄土色のカサン人になったんだぜ! カサン人はピッポニア人を心底憎んでるからなあ」

 鳥は再びギャアア、ギャアア、と鳴きながら飛び去って行った。マルは、急に自分の心に影が差した気がした。母ちゃんは以前マルに「家族の歌」を教えてくれた。それによれば、母ちゃんはもともとピッポニア人から産まれたんだけど、目が見えないせいでゴミ捨て場に捨てられたのだ。そしてたった一人泣いていたところ、物乞いしてきた帰りにたまたま通りかかったじいちゃんとばあちゃんに拾われた。だから母ちゃんの肌はピッポニア人みたいに白い。オムー兄ちゃんは普通の赤褐色の肌の色をしているけれど、マルのすぐ上のサーミ兄ちゃんは真っ白だった。マルの肌はイボで覆われているため、何色なのか分からない。でももし自分の肌が白かったらどうしよう、と思った。それはなんだかとても良くない事のように思えた。

「マルや、何か話が聞こえたかい? 母ちゃんに教えておくれ」

「ううん。なんにも聞こえない」

 マルは言った。せっかく鳥の話が聞こえたのに、それを母ちゃんに話せないのは寂しかった。そのままマルはぼんやりと水面を見詰めていた。すると、水の中をユラユラと、長い、乙女の三つ編みのようなものが漂っているのが見えた。

「母ちゃん、すごい! すごい! 龍蛇のうんこだ! 長いよ! ずーっと、ずーっと続いてる!」

 筏が行けども行けども龍蛇のうんこは途切れなかった。あんまり長いもんだからマルはついにお腹を抱えて笑い転げてしまった。母ちゃんはゆっくりと言った。

「龍蛇のうんこというのはね、やがて雨季が来て川の水が溢れ出したら田畑に運ばれて肥やしになるんだよ。そして土地を豊かにするんだ。川に沈んで死んだお前の一番上の兄ちゃんもだよ。魂は川向こうの光の国に行ったけれども、体はここの土地に恵みを与えてくれる。おらもいつかそうなりたいねえ」

 マルは、母ちゃんが死ぬなんて話をするから悲しくなった。

「母ちゃん、おらより長生きしてよ」

「何言ってんだい。子供は親よりも長く生きるもんだ。特にお前は末っ子だからね。母ちゃんが死んだ後もずーっと、ずーっと長生きするんだよ」

「やだやだ、母ちゃんがおらより長生きしてくれなきゃやだよう。おら寂しいよう」

 マルは筏の上で足をバタバタさせてべそをかいた。

「マル、泣くのはやめろ! ほら、もうじき市場に着くぞ!」

 オムー兄ちゃんに叱られて涙をぬぐって前を見ると、川幅が開け、両方の川岸には果物を乗せた舟、色とりどりの布を載せた舟などがびっしり並んでいた。マル達を乗せた筏は、川の真ん中をゆるゆると進んだ。マルは、イボに押しつぶされそうな目を精一杯見開いて、頭巾の薄い布ごしに舟に積まれた物や色々な肌の色や格好をした人たちの様子を興味津々に眺めた。そして何か面白い物を目にする度に顔を覆う頭巾を脱ぎ捨て、声を上げたくなるのをグッと我慢していた。市場に来る度にたいがい何か新しいものが見つかる。そしてそれらがどうやってここまで運ばれてきたのか、あれこれ想像しているうちに、何だかわくわくしてくるのだった。

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