第24話 物乞いの子マル 1

 マルは、泥だらけの道に半分足を埋めながら、母ちゃんと兄ちゃんの背中をせっせと追いかけた、それでもどうしても自然に足が止まり、その度に心が体からクルクル踊り出しそうになる。なぜなら、今日は川の市に行く日だから。川の市に行く日には必ず女神様の祠に立ち寄り、お祈りを捧げることになっている。

(ヒサリ……ヒサリ……女神様は、おらにこっそり名前教えてくれた)

 いまだにあの時の事を思うと、体じゅうがカーッと熱くなる。

(あの人を見た時、あんまりきれいなもんだからびっくりして笑っちゃった!  本当は、きれいな女の人を見たら用心しなきゃいけない。魔女か恐ろしい妖怪ってことが多いからね。でもあの人は絶対、妖怪や魔女なんかじゃない。だってちっとも怖くなかったもん。そして、あの人がおらをギューッと抱いた時分かったんだ。この人は女神様なんだって! だって目の形が、女神様とおんなじだもの! おらが一生懸命歌を覚えたから、女神様がご褒美におらを抱いてくれたんだ! それなのにナティときたらあんまりだ! 女神様に石をぶつけるなんて! それにナティは母ちゃんに、おらがぼんやりして魔女にさらわれそうになったのを助けてやったんだってやいやい言った。おらがいくら魔女じゃないって言ってもムダだから黙ってたけど。でも、今日は女神様に会ったらちゃんと謝らないと!)

 マルが下を向き、思い出し笑いをしながら歩いていると、緑色の体で赤い目と尖った耳を持った赤ん坊くらいの妖怪がピョンピョン跳ねるようにマルのそばに寄って来た。チビ鬼という妖怪だ。

「おい、イボイボっ子! お前何笑ってんだ!」

 マルの顔全体を覆ったイボはうまい具合にマルの泣いたり笑ったり怒ったりする表情を人間から隠してくれる。しかしおせっかいでいたずら好きなチビ鬼は見逃してくれない。マルはサッと顔を手で覆った。

「笑ってないってば!」

「マルや、マルや、ちゃんとついて来てるだろうね!」

 母ちゃんの声に、マルは慌てて

「はあい」

と返事をした。

「あんまり離れるんじゃないよ。お前もサーミのようにさらわれやしないかと気が気でないよ」

「母さん、マルはサーミと違ってみっともない子なんだ。さらわれやしないよ。人さらいもサーミだけ連れてってマルは置いてったじゃないか。それより母ちゃんはマルを甘やかし過ぎだ。おらがマルの年にはちゃんと母ちゃんの手引きしてたぞ」

 オムー兄ちゃんは言う。

「そうは言ってもマルは手足が悪いからねえ。その代りマルは人よりたくさん歌を覚えてるよ」

「母ちゃん、おらはマルに何か手足を使う仕事を覚えさせたほうがいいと思う。おらもそうしたいよ。だって分かるだろ? 歌物語を聞く人はだんだん少なくなってきてる。金持ちはみんな、『話をする箱』を持ってる。それから最近は『話をする染みの付いた紙』なんてのもあるそうじゃないか。染みを見ていたら頭の中にいろんな話が聞こえてくるっていう」

(お話する染みの紙! それならおらも見た!)

 マルは兄ちゃんの話を聞きながら思った。

(女神様が持ってたんだ! 白い紙の上にお行儀よく行列を作って並んでた。ああこれが『お話する染み』なんだなってすぐ分かった。だからおら、じーっと染みを見てたけど、ぜーんぜん、なんにも聞こえなかったな。女神様ならきっと、染みのお話の聞き方を教えてくれるだろうに……)

 マルはやがて、母ちゃんと兄ちゃんにくっついて、木々に挟まれた狭い曲がりくねった小道を登っていった。もうすぐだ! もうすぐだ! この向こうで女神様が待ってるんだ! 今日はどんな顔でおらを待っててくれてるだろう……。

さて、緑の神殿の奥にたどり着いてマルが目にしたのは、人形遣い達の捧げものらしいたくさんの人形に囲まれた祠の中に座っている女神様の姿だった。手先の器用な人形使い達の作った人形はどれも美しく愉快な表情をしていて、女神様を楽しませていた。マルはそれを見るなりわっと泣き出した。

「マルや、どうしたんだい、何を泣いてるんだい?」

「だって、だって……」

 マルはイボだらけの手を自分の膝に打ち付けながら言った。

「だってだって……人形達に囲まれて、女神様、すごく楽しそうだよ。それなのに、おら、女神様にあげるものがなんにもない」

「マルや、お前の歌を女神様に聞かせておやり。女神様はそれを一番喜ぶよ」

「やだやだ、おらの歌なんかつまんないよ」

「マルや、真心を込めて歌ってごらん。女神様は真心のこもった贈り物ならなんでも喜んで受け取ってくださるよ」

 マルは祠の前に座り、目を閉じ、習い覚えたばかりの鳥娘と人間の美しい恋物語の一節を歌った。歌い終えてそっと目を開くと、女神様の顔がほんの少し微笑んでいるように見えた。

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