第17話 ヒサリ先生 1

 ヒサリは子馬に揺られながら、森の間のぬかるんだ、道とも言えぬ道を進んでいた。

このまま小高い丘を登るとぽっかり開けた広場があり、その真ん中にバニヤンの巨木が立っている。木は腕を大きく天に広げ、この地の強烈な日差しを遮る優しい陰を作ってくれている。そしてそこには、小さいながら新しい教室と自分が寝泊りする小屋がある。今夜は初めてここで夜を過ごすのだ!

 アジェンナに派遣されている教師仲間はみなヒサリのことを心配した。スンバ村などという辺鄙な田舎の、しかも「森の際」地区ですって!? あんな不潔で貧しい所に行くなんて! 野蛮な土人に身ぐるみ剥がされるかもよ……! 中にはヒサリが女学生時代から反抗的だった事がアジェンナ総督府の教育関係者に知られ、こんな嫌がらせのような配属命令が出たのだ、と勘ぐる者もいた。特に、ヒサリの恋人アムトは憤りを露わにした。女学校時代から常にトップの成績を維持し、「天才少女」とまで謳われたヒサリだ。カサン本国の小学校勤務でもいいものを、植民地アジェンナ国のそれも遅れた南部、しかもよりにもよって、田舎の妖人達の住む地区だとは! しかしヒサリは恋人の言葉を一笑に付した。裕福な家の出の彼は何も分かっていない! 内地の学校に勤務しようと思ったら大学卒業の資格が要る。早くに父と母を亡くし、幼い弟と妹を養わなくてはならなくなったヒサリに、大学進学は望むべくもなかった。そして、高等女学校を出たての若い女にとって、新しくカサン帝国内に編入された「外地」の学校勤務は最も稼げる仕事と言えた。そしてアジェンナ国内でも比較的進んでいると言われる、首都タガタイがある北部に勤務するのは、ほぼ男子と決まっている。女子はほとんどが南部に派遣されるのだ。 

 アジェンナ国は、北部はアジュ語を話すアジュ人、南部はアマン語を話すアマン人が住民のうちの多くを占め、その他多くの山岳少数民族、他国からやってきた労働者、旧宗主国のピッポニア人などが存在する。北部と南部ではかなり文化も異なり、また人々の生活レベルも南部は北部に比べ百年遅れている、そして南部の特に下層階級の民は、文明以前の生活をしている、とまで言われていた。ヒサリ自身、女性教師ばかり南部に派遣する帝国の方針について、差別だと思わないではなかった。しかし同時に、こんな風にも思った。

(女性の方が柔軟性もあるし偏見も少ない。女性の方が南部の勤務に向いてるんじゃないかしら?)

さらにヒサリ自身も、アジェンナ国の、特に南部の勤務を切望していたのである。なぜなら、今は無き祖父が昔ヒサリに言った言葉が、ヒサリの頭に焼き付いていたからだ。

「アジェンナ国の、特に南部の人々は、今でも妖怪や精霊と暮らしているのだよ。こっちの方じゃあんまり見なくなった不思議な妖怪達と一緒にね」

 著名な民族学者であった祖父は、特にアジェンナに関する知識は随一といってよく、アジェンナがカサン帝国支配下に入るより前、ピッポニア帝国支配下だった頃から度々アジェンナに渡り調査、研究を続けていた。

幼い頃のヒサリの心を強くとらえた一冊の本がある。それは祖父が書いた「南の国のふしぎな物語」という本であった。それはアジェンナに伝わる物語のや伝説の数々を、カサン人の子供にカサン語で易しく絵付きで紹介した本だった。ヒサリは心躍らせながら読んだ。表紙がぼろぼろになる程何度も何度も読んだ。この国に住む恐ろしくも時に愛すべき妖怪達、変わった風俗や異国情緒あふれる生活や風習、深い森や美しい川、妖怪と人間の波乱万丈のやり取り……。全てがヒサリを夢中にさせた。そして見た事の無い遥か南の国に思いを馳せた。そしてこの度も、六歳の時に祖父に渡された本を、まるでお守りのように鞄の中に入れてアジェンナにやって来たのだ。

(おじい様、見てて……私、この地でしっかりやるから……)

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