第15話 妖怪ハンターの子ナティ 7

 やがて、水田の広がるその先に立派な建物が見えてきた。

(あそこだな!)

 ナティは、その家に近付く間、次第にあんぐりと口を開けていた。とてつもなく大な家だった。姉ちゃんの嫁ぎ先のアッサナック家もでかいが、それよりもまだ大きい。ナティはじっくりと端から端へと、舐めるように地主様の大きな屋敷を見た。壁はツルツルに磨かれた板で出来ている。屋根はピカピカした固い焼き物の板のようなものが敷き詰められ、その上には橙色の魔除けの獅子の彫り物が乗っている。高床式の家の床下には、他の家のように家畜はおらず、きれいだった。ナティは、屋敷から少し離れた位置に立ち止まり、その全体を見渡している父ちゃんの方をチラリと見た。こういう時の父ちゃんの目は、いつものだらしない様子とは違って真剣そのものだった。

「さあ、行くか」

 父ちゃんがそう言って、手にした竹やりで地面をつきながら再び歩き出した時だった。家の中から物音がして、扉が開いた。サビル兄ちゃん位の年頃の少年が、姿を現した。ダビみたいなきれいな格好をしている。少年はすぐにナティ達に気付いたようだった。サッと家の中の方に振り返り、こう言った。

「父さん、うちの庭に妖人の親子が入り込んでるんだけど」

 ナティは、その言葉を聞くやいなや、ビリッと体を震わせた。

(あいつ、俺らの事をバカにしてやがる)

 ナティは手にした竹やりをギリギリと握り締めた。あれだけ、ナティに対しては威張っているサビル兄ちゃんが、阿呆のような顔で突っ立っている。

「エルメライ、あれは妖怪を掃除しに来た者達だ。さあ、早く学校に行きなさい」

 少年はそのまま高床式の家の梯子段を下り、どこかへ行ってしまった。その間、再びナティ達の方を見ようとはしなかった。ナティは、少年の後姿を見ながら隣のサビル兄ちゃんに囁いた。

「ㇸッ! 地主の子ってのは、さすがにキザだな。足音までキザ! キザ! て音がしてらあ」

 しかしサビル兄ちゃんは相変わらずぽかんと口を開けて突っ立っている。ナティは、自分の持っている竹やりでサビル兄ちゃんの脚を叩いた。

「何するんだ!」

「兄ちゃんの口、げんこつが入りそうな位開いてるぜ! 何なら突っ込んでやろうか?」

「何を!」

 サビル兄ちゃんの手がナティの腕をつかみかけたその時だった。一人の男がナティ達の方に近付いて来た。

「お前たちが仕事をするのはこっちだ。早く来い!」

 どうやらこな家の使用人の男らしかった。男についてしばらく行くと、やがて家の裏手に出た。そこには、高床式の小さな小屋があった。小さいといっても、ナティ達の家より遥かに立派だったが。

「ここに妖怪よけを作るんですね?」

 父ちゃんは、家では決して見せないかしこまった表情で言った。

「失礼ですが、屋根の上に上がらせていただきます。奥様はもうこの中にいらっしゃるのですか?」

「まだだ」

「分かりました。それではさっそく取り掛からせていただきます」

 使用人の男が行ってしまうと、ナティは父ちゃん、兄ちゃん達と一緒に高床式の小屋のすぐ下までやって来た。

「このちっちゃい小屋の方に妖怪よけを作るのか?」

「そうだ。奥様がここでお産をなさる」

父さんは小屋を見詰めながら言った。

「でも、なんででかい方じゃなくて、離れた小屋でお産するんだ?」

「お産の時はいろいろな妖怪が集まって来て汚らわしいからだ。身分の高い方ほど、妖怪のような汚いものは遠ざけなさる」

 父ちゃんが不機嫌そうに言った。

「へええ。金持ちってのはいちいちやることが面倒くせえな。穢れも何も、てめえらみんなお産で生まれてきてるんじゃねえか」

 父ちゃんとブーマ兄ちゃんは、背負ってきた竹を地面に下した、竹は全て鋭く斜めに切られている。これらはすべて吸血女よけの材料だ。吸血女ってのは、夜になると自分の下半身を切り離し、背中についたコウモリのような翼で飛び回る。そして家の隙間から細い管のような舌を下して生まれたての赤ん坊を喰らうのだ。吸血女は尖ったものが苦手なので、竹を斜めに切った仕掛けを付けると効果てきめんだ。ナティは父ちゃんや兄ちゃん達と一緒に、竹を組む作業をした。

「尖った先はいろんな方向を向くようにしろ。それから隙間がが無いかよく調べろ。吸血女ってのはちょっとした隙間からも入り込んでくるからな」

 父ちゃんは臆病で腰抜けで働くのが大嫌いなくせに、いろんな妖怪の好みや弱点などをやたらと知っていた。酒に溺れ賭博にかまけている父さんが、一体いつそんな知識を仕入れているのか不思議な程だった。

 床下の妖怪よけを取り付け終わると、次は屋根の上の作業だった。父ちゃん、続いてブーマ兄ちゃんが、組んだ竹を背負ってそろそろと梯子で屋根の上まで上がって行った。ナティはそれを見ているうちに、突然、体の中に、何か熱く激しいものが駆け巡るのを感じた。

「父ちゃん! その上に俺も上がらせてくれよ!」

 父ちゃんは振り返ってナティの方を見た。

「ダメだ! お前はまだ小さいし、危ねえ!」

「どうしても上がってみてえんだよ! なあ、いいだろ? 父ちゃん!」

 ナティは足を踏み鳴らし、はしごをガタガタ揺らした。父ちゃんは、しばらくナティの顔を見下ろしていた。だがやがてプイと顔を逸らした。「好きなようにしろ」という合図だった。ナティは無我夢中で梯子をよじ登った。上るんだ! 上るんだ! 今なら! 誰よりも高い所へ! ナティが屋根の上にたどり着くと、父ちゃんとブーマ兄ちゃんは早くも下を向いて吸血女よけの仕掛けを取り付ける作業に夢中になっていた。ナティは屋根の上に立ち上がって、ぐるりと回りを見渡した。ナティの今いる場所は、スンバ村の中でも小高い場所だ。だから屋根の上に上ると、田植えをする農民達の様子や鋤を引く牛の様子がよく見えた。ナティはそれらを見ながらぐるりと回った。とても良い気持ちだった。普段過ごしている地べたに近い位置には重苦しい熱がたまっている。しかしここでは、どこか遠い所から届く風がしきりに頬を撫でる。

(ああ、マルも一緒だったらなあ……)

 しかし次の瞬間、怖がりで手足の不自由なマルはここまで上って来れないだろう、と思った。

(まあ、マルはここに上らなくたって、いつでも好きな所に行けるんだ。天界の宮殿でも海の底の魔物の世界でも……)

 マルは、まるで本当に見てきたように、それらの世界についてナティに話すのだ。父ちゃんがサッと顔を上げて言った。

「さあ、もういいだろう。いい加減早く下に下りてサビルを手伝え」

「父ちゃん、そうせかすなよ! 屋根の上の仕掛けを付けるとこ、もうちょっと見てえ!」

 ナティはブーマ兄ちゃんの器用な素早い手つきを見詰めながら言った。そうだ。これから俺は妖怪よけの仕掛けの付け方を覚えて何度でも屋根の上に上るんだ!

「だんだん、ダニーみたいに意固地になりやがって。早死にするぞ!」

 しかし父ちゃんはそれ以上何も言わず、下を向いて再び手を動かし始めた。

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