第8話 妖獣の靴職人の子ダビ 8

 数日後、ダビは夜中にハッと目覚めた。目の前がうっすらと白い。そして息が苦しい。

(何だ……?)

 このところ思い悩む事が多くて疲れているのか。妖怪にでも取りつかれたのか? 肝食いばばあのような不吉な妖怪に……? そう思いつつどうにか手足を動かし、上半身を持ち上げた。この時だった。

「キャーッ」

 という闇を裂くかのような金切声を聞いたのは。

「早く、早く逃げるのよ!」

 ダビは飛び上がるようにして立ち上がった。

「ティー! ルーン!」

 隣で眠ってる二人の弟の名を呼びながら揺すり起こして入口の方に追い立てた。

「父さん、母さんはいる!?」

 父さん、母さんと手を取り合いながら、家の外に出た。既に家の片側は炎に包まれ、炎から生み出される闇よりも濃い煙が天まで一直線に立ち昇っていた。納屋の方にまではまだ燃え移ってはいなかった。

「父さん! 早くしないと皮が!」

「そうだそうだ!」

 父さんとダビとは急いで納屋に向かって走った。ダビが真っ先に両腕に掴んだのは黄金獅子の皮だった。不思議とひんやりとしたその感触は、ダビに落ち着きをもたらした。その間、その時、まどろみの中で闇の奥に聞いた言葉がはっきりと脳裏に蘇った。

「あんまり調子に乗るからこうなるんだ!」

 火事の時に鳴らされる半鐘の音が響き渡り、またたく間にダビの家の周りは人だかりが出来た。……覚悟はしてきたことであった。半年程前にもパンジャの家から火の手が上がった。妖人のくせに裕福な暮らしをしている一家への妬みだ、という噂は聞いていたが、いざ自分がその標的になった事のショックは大きかった。何も考えることが出来ないまま、目の前に繰り広げられる光景をぼんやりと見詰めていた。

それは火事の度に繰り広げられるお馴染みのものだった。体に刺青を施した妖怪ハンターや妖獣使いらがたくさん集まっていた。妖獣使いらは、川に住む龍蛇を飼いならし火事の際に消火を手伝うように教え込んでいる。既に三匹もの龍蛇が長い長い体を川から伸ばし、口から燃え盛る家に向かって水を吐きだしていた。子供達も大勢集まって来ていたが、彼らはほとんど物見遊山の様相を呈していた。祈祷師のニャイおばさんまでいて、何やら呪文を唱えながら松明を掲げている。ニャイおばさんの目の前には四角い籠が置かれて、中では蜘蛛の精がニャイおばさんの呪文に合わせてたくさんの足を動かし、雨ごいダンスを踊っていた。

(ニャイおばさんは雨を降らせて火を消そうってつもりなんだ……)

 この時、ダビの心を捉えていたのは、恐怖ではなく黒々とした後ろめたさだった。家に火を放ったのは、学校でアマン語を喋ったことを散々密告されて俺に恨みを持った連中の家族だろう、と思った。

「ひどい事だ……誰が一体こんなことを……」 

 父さんが隣で声を震わせている。ダビはそれに答えることが出来ないままうなだれた。家族をこんな目にあわせた責任は自分にある。

 その時、ダビはひどく耳障りな甲高い声を聞いた。それはまるで、夜中に屋根の上でキャーキャー叫ぶ吸血鬼の声のようだった。ダビがサッと振り返ると、そこにナティがいた。

「誰だ! 誰がこんな事しやがるんだ! クソったれ! 俺は妖怪ハンターだがこんな事する人は妖怪以下だ! とっちめてやる!」

 こう叫びながら顔を真っ赤にして竹の棒を振回している。

(こいつ、何そんなに怒ってるんだ……? いつもみたいに俺に向かって、ざまあみろ!とでも言ったらいいじゃないか)

 ダビの気持ちがフッと冷めた。ナティの横にはマルもいた。イボで半分つぶれた目が、今は恐怖のためか大きく見開かれ、夜空を飲み込まんばかりにに見えた。

(そんな目で見るなよマル、くだらねえことだ、ほんとにくだらねえこと……)

 火事は三匹の龍蛇の吐きだした水によってすでに下火になっていた。人々の掲げる松明が、龍蛇の体の鱗をキラッキラッと銀色に輝かせていた。それを見ながら、ダビはある種の陶酔感覚に浸っていた。ダビの家はやや小高い丘の上にあるのに、龍蛇の長い長い体は川からそこに届いているのだ。それは美しい光景だった。月光に照らされ、龍蛇の姿はさながら丘の上から川へ流れ下る水のようであった。

 火が消え、父さんと母さんが建てた家が黒々とした残骸だけを残して立ち、煙の匂いがゆっくりと鼻腔を満たし始めた時、ダビの胸に初めて嗚咽が込み上げた。ダビは天を仰ぎ見て、満天の星を目に焼き付けつつ、吹き出す涙を手にした黄金獅子の皮で激しく拭った。

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