第4話 妖獣の靴職人の子ダビ 4
ダビとトンニは母屋を出て納屋の入口に立ち、扉を開けた。天井に渡された何本もの竿には、ビダルおじさんが持って来た何十枚ものなめした皮が掛かっていた。それらは熊猫や森鯨と言ったダビもよく見慣れた妖獣達のものであった。しかし、この日、
「ほら、見て」
いつも落ち着いたトンニには珍しく興奮したように、納屋の奥を指差した。そこには、ダビが今まで見たことのない、淡い金色の光沢を湛えた皮が下がっていた。ダビはアッと声を上げそうになった。特別な皮であることは一目瞭然だった。一年で一番暑さが和らぐ頃の優しい夜明けの光を集めたかのような、繊細な柔毛で覆われていた。
「これ、何だと思う? ……黄金獅子だよ!」
「本当!?」
ダビは目を見張った。黄金獅子。それが、森に住む邪悪な吸血鬼を食べてくれる善獣だということは知っているが、数はとても少ないと言われている。ダビは生きた黄金獅子を見たことが無いのはもちろん、その皮すら見るのはこれが初めてだった。二人は黄金獅子の皮の近くまで寄り、しげしげと見入った。
「触ってごらんよ」
ダビはそっと金色の皮に触れた。皮はまるで本物の光で出来ているかのように柔らかかった。
「狩人が倒したのか?」
「倒しゃしないよ。黄金獅子は人間にとって良い獣だからね。黄金獅子って、死ぬ時が自分で分かるんだって。それでね、その時が来ると低い唸り声を出して人に知らせてくれるんだ。真面目に働いてるおら達へのごほうびだって父ちゃんが言ってた」
物静かなトンニの言葉はどこまでも落ち着いていた。しかしダビは、友の褐色の顔にいつしか赤味がさしているのに気が付いた。
「いい皮だよ。もし赤ちゃんがこの上で寝かせたら、一晩中泣くことも無くゆっくり眠るだろうよ」
「すごく高く売れるだろうね」
「それはどうかな。川向うの連中は、妖獣はどれも汚らわしいって思ってるから。たとえ黄金獅子の皮でも」
「カサン人に売るんだよ。カサン人ならきっとこの皮の価値が分かるよ!」
ダビはこの時、友に向かってずっと言いたいと思っていた事を口にした。
「トンニ! 一緒にカサン語学校に行こうよ!」
トンニは少し俯き、繊細な口をキュッと曲げて言った。
「行きたくないな……どうせ川向うの奴らはおらのことを臭いとか、卑しい妖人、とかいうんだ」
「大丈夫だよ! 勉強さえ出来れば!」
しかし、トンニはほっそりした首をくねらせ、黙っていた。ダビは少しの間、黄金獅子の皮をゆっくりと撫でているトンニのしなやかな指を見詰めていた。
「……ねえ、パンジャはもう学校行くのやめたんでしょ?」
「ああ、あいつなら!」
パンジャはダビと同じく靴職人の息子だ。パンジャの父さんは、いつも卑屈な様子で手を撫でさすっている腰の低い男だが、商才に長けているのだろう。大変な金持ちで、ダビ達よりも遥かに立派な家に住んでいる。
「パンジャはまるでカサン語が出来ないからね。先生に当てられてもバカみたいに突っ立ってるだけだし。こっちだと偉そうにマルを怒鳴りつけていじめてるくせに、あっちでは逆にみんなにいじめられても怖気づいてなんにも言い返せないんだ」
「やっぱり、あっちの子達は意地悪なんだね」
「そんな、怖がることないよ! パンジャが腰抜けなんだよ!」
トンニはぱっちりと目を見開き、ダビの顔を見据えたまま思いがけない事を口にした。
「おら、昨日母ちゃんと市場へ行ったんだ。そしたらね、マルの兄さんが一人で木の下で歌いながら物乞いしてるの、見たんだ」
「…………」
ダビは、なぜここでマルの兄さんの話が出て来るのかといぶかしがりながら話を聞いた。
「それでね、マルの兄さんの歌を聞いてる人達の中に、すごく一生懸命、何か書いたりしながら聞いてる女の人がいたの。それがね、カサン人なんだよ」
「!!」
この時ダビの脳裏にふと浮かんだのは、たった今帰りがけに出会った馬上の女の人の姿だった。
「一曲終わった所でその女の人、マルの兄さんに近付いて言ったんだ。今度妖人達のためのカサン語学校が新しく出来るから来ないかって」
「何だって!」
「それでね、母さんと買い物をして戻った時にはもうそこには女の人もマルの兄さんもいなくて、代わりにこんな紙が落ちてた」
トンニが腰巻から出して広げた紙には、川と橋、そして森……スンバ村の「森の際」地区と思われる図が描かれていた。トンニは、丘と大きな木の描かれた下の✕印を指差しながら言った。
「ここ、バニヤンの丘だよね、きっと。ここに行けば何か分かるんじゃないかと思うんだ……」
「物乞いなんかと一緒に学校に行くってのか!?」
「マルの兄さんは多分行かないと思う。でもたとえそうなったとしても妖人のための学校行く方がおらは気楽だな」
ダビはその言葉を聞きながら、驚きの余り口がきけないでいた。そうだ! 確かにシム先生は言っていた。カサン帝国の臣民となったあまねく者に、カサン帝国の恩恵は下る、と。本当なのか!? 妖人達も皆学校に行けるというののか? そんな馬鹿な! 妖人達の中で、どれだけ学費が払える者がいるっていうんだ? 物乞いをしているマルの兄さんなんて一文無しのはずだ。そして、ダビの内にある向上心が、彼に強い言葉を吐きださせた。
「俺は妖人達のための学校なんかには行かない! 川向うの連中と正々堂々と競争して、勝ってやるんだから!」
しかし、トンニの性格を知っているダビにはこれ以上何も言えなかった。確かに川向うのカサン語学校では散々嫌がらせを受けてきた。トンニをそんな目に遭わせるのは確かに気の毒であった。
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