第3話 妖獣の靴職人の子ダビ 3

 ダビが高床式の家の入口の梯子段のそばまで来た時、家の前にビダルおじさんの荷台があるのに気が付き、アッと声を上げた。ビダルバイおじさんと息子のトンニが、なめした妖獣の皮を持って来たのだ。トンニはダビと大の仲良しだ。ダビは胸を弾ませながら梯子段を駆け上がった。果たして、家の中には、皮の敷物上にあぐらをかいた父さん母さん、二人の弟の他に、ビダルおじさんとトンニの姿があった。トンニがサッとダビの方を見た。父さんもダビに気が付いた。

「どうした、泥だらけじゃないか」

「そこでうっかりして転んだんだ」

 ダビは答えた。あの憎たらしいチビの小鬼に突き飛ばされたなんて、口が裂けても言いたくなかった。母さんが顔をしかめた。

「そんな格好で部屋に入らないで。下で体を洗ってらっしゃい」

「はい」

 ダビは梯子段を降り、床下に置かれた腰の高さの水がめのそばに寄ると、腰巻とシャツを脱ぎ、柄杓で水を汲んで体を洗った。裸のまま部屋に上がると、急いで部屋の片隅に行き、棚に入っている腰巻を身に着けた。皆のいる所に戻ると、トンニがダビの泥で汚れたカサン語の本を、小さく切った妖獣の皮で拭いてくれているのに気が付いた。それがどんなに大事な本かを知っている友の手つきはしなやかで丁寧だった。ダビは少しの間友の長い指に見入っていたが、やがて彼のそばに寄った。

「だいぶ汚れは落ちたよ。でも染みまでは消えないな」

 ダビは頭を抱えた。

「シム先生に怒られる。マルがいきなり寄って来て触ろうとしたから、びっくりして落としたんだ」

「マルが?」

 トンニは少し驚いたように目を見張った。そしてすぐに

「マルもよっぽど本が見たかったんだね」

 と言って笑った。そしてさっそく本を開いて中を見始めた。学校に行っていないトンニはもちろんカサン語が読めない。しかしそこに描かれている絵や図が面白いらしく、いつまでも見入っているのだった。

「この辺りにも、川向こうと同じようにちゃんとした石畳の道を作らなきゃならんな」

 ダビの様子を見ていた父さんが、おもむろに口を開いた。

「そりゃあなかなか難しいと思うね」

 とビダルおじさん。

「お前さんは靴の商売で儲けてこんな立派な家も建てなさった名士だ。村役人とかけあって『森の際』に石畳の道を引かせることも出来るだろうよ。だが、川向うの連中が黙っちゃおるまい」

「川向うの連中が何だ! 平民様が何だ! 今、この国のご主人様はカサン人だ。カサン人は妖獣の皮で出来た靴を喜んで履くし、どんどん買ってくださる。カサン人さえ味方に付ければ、何も恐れる事は無い。ダビ、そうだろう? 学校でシム先生は、お前の事を『卑しい妖人』だのとバカバカしい事は言わんだろう?」

「カサン語さえ出来れば平気さ」

 ダビは答えた。

「ダビはカサン語がよく出来るんだろうねえ」

 ビダルおじさんがダビに向けた目を細めた。

「カサン語だけじゃないよ。他の教科だって、三番から下になった事は無いよ」

 ダビは胸を張った。三番より上になったことも無い、という事は明かさなかった。実は、どうしても勝てない奴が二人いるのだ。

「ダビはこのところ学校の勉強ばかりで靴作りはさっぱり覚えようとしない。それでもよかろう。靴作りは下の子供達に覚えさせる。これからはカサン人とうまくやっていく事が大事だからな。あんたんとこの息子も一人位学校に行かせたらどうかね。金はかかるがその価値はあるぞ。トンニ、どうだい、うちのせがれと学校に行かないか」

「トンニはあんたの息子に比べて気が弱いからね。川向うのもんと勉強させるのはどうも……」

 ビダルおじさんが言った。ダビはこの時、トンニがダビの本のあるページを開いて、そこに描いてある図を食い入るように見入っているのに気が付いた。それはまるで、人間を頭から足の先までスッパリ切り取ったような、体の内側の様子を描いた図だった。ダビには、トンニの普段静かな目が、急にページを焼き尽くすかのように熱を帯びたように見えた。しかし、それはほんの短い時間だった。トンニはパタリと本を閉じると、

「ねえ、納屋の方に行ってみない? 父さんが珍しい妖獣の皮を持って来たんだ。見に行こうよ?」

 と言った。

「行こう」

 とダビは答えた。ダビは靴作りの仕事にも靴作りに使う妖獣の皮にも大して興味は無かったし。ただ、ダビはトンニと二人っきりで話したかったのだ。ダビが自分の家の仕事について知っている事といえば、自分達が妖獣の皮を扱っているせいで川向うの「平民様」から穢れている輩だと蔑まれている事、それに反して新しくアジェンナ国のご主人になったカサン人は妖獣の皮で作った靴を重宝がり、大量に買ってくれるということ、そしてそのために数年前から家の羽振りが急に良くなったという事位だった。ダビがうんと幼かった頃の記憶にある竹を組んだ小さな家はいつしか香木を削った板を組んだ立派な家になり、床下で飼われている豚や鶏はだんだん増え、祝い事の度につぶされ、食事に供された。これ程ぜいたくをしている者は川向うの平民様にもそういないだろう。それでもダビは、妖獣の皮を使った靴作りの仕事に興味を持つ事はなかった。この仕事をする限り、川のあっち側に住む事は出来ない、という事も分かっていた。

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