第2話 妖獣の靴職人の子ダビ 2

 ダビが橋を渡り切ってからいくらも行かないうちに、道の先に小さな二つの人影を見た。それを目にした瞬間、ダビは思わず顔をしかめた。二つの人影の主……マルとナティは、この貧しい「森の際」地区の中でもとりわけみすぼらしく汚らしい格好をした二人だった。

(うわっ! マルなんて、蠅がたかってるじゃないか!)

 マルは皮膚病によって、顔も体も至る所醜いイボに覆われ、一目見るだけでギョッとささせられる。ただマルはおとなしい子で、一人でいる時も物乞いの母親や兄と一緒にいる時も、誰かとすれ違いそうになると必ず邪魔にならないよう自分からそっとよけるのだった。

厄介なのは、もう一人のナティの方だった。この小鬼のようなガキの視線につかまった以上、何も無く解放されるという事はまず無かった。ほら、今も真っ黒な顔をグイと捩じ曲げ、真っ白な尖った歯を剥き出しにし、ケケケケと甲高く笑っていやがる! あの歯は、目に付くありとあらゆるものにかみつこうとする妖怪の歯だ! ナティはそのまま腰に手を当て、通せんぼするかのように道の真ん中に立った。しかしダビは、こんな小鬼ごときに挑発されて怯むような少年ではなかった。

「邪魔するな!」

「通りたきゃてめえが泥ん中通れよ! こっちは二人でおめえは一人じゃねえか! 二人と一人はどっちが多い? ああんっ!? その洗濯板頭でも分かるだろうが!」

 ただ土が固められただけの道は細く、一歩踏み外すと脛までズブズブと沈んでいきそうなぬかるみだ。「洗濯板頭」と言われてダビはムッとした。確かにダビの後頭部は平たい。

「服汚すのが嫌だっていうのか? へっ、何だよ、気取った格好しやがって! 雨乞いの時の『降れ降れ人形』みてえだな! 後ろから見りゃかかしだな! クルッと後ろ向いてみろよ、やい、かかし! そんなん着たって妖人が治るわけじゃねえぜ!」

 その言葉を耳にした瞬間、ダビは心臓の辺りの血が爛れたように膨れ上がるのを感じた。いくら憎たらしいこのチビでも、自分の頭でこんな事を考えつくわけがない。恐らく周りの連中から吹き込まれたのだろう。ダビは自分と家族に対して囁かれている腹立たしい噂については気付いていた。妖人なのに身の程もわきまえない、金があるからって平民様の真似なんかして……等々。ダビは息を吸い込み、ナティを睨みつけながら言った。

「俺がこんな格好してるからって、何か文句あるか!?」

 案の定、ナティはそれに答えずに、口をくにゃっと捻じ曲げた。相手がどかないなら、しょうがない。新しいサンダルを汚してでもぬかるみを通るより他無い。これ以上こいつらと関わっていたら……と思ったその時だった。ダビは、いつの間にか自分のすぐそばにマルが来ているのに気が付いた。膿とイボに覆われた醜い顔を間近に見て、ダビは思わず身震いした。しかもあろうことか、この物乞いの子は汚らしい手を伸ばし、草の蔓で縛った大切なカサン語の本に触ろうとしているではないか!

「これ、なあに?」

「触るな!」

 マルはサッと手を引っ込め、そのままヨタヨタと後ろに下がった。その時だった。

「言ったな、テメー!」

 ナティが黒い弾丸となって、ダビに飛び込んできた。ダビは声を挙げる間も無く、あっという間にぬかるみの中に倒れていた。その瞬間、ダビは自分の手がちぎれたかと思った。蔓で縛って大切に抱えていた本が手を離れ、宙を舞ったのだ。次にダビが目にしたのは。本の束が無残に泥の中に沈んでいる光景だった。

「!!」

 ダビは数秒間、言葉を失っていた。

「てめえが悪いんだぞ! てめえのせいだ! 百回でも言ってやる! て・め・え・の・せいだー」

 ナティの憎たらしい声が遠ざかって行く。ダビは体を起こし、ナティの小さくなって行く背中を見ながら、あのガキをつかまえて首をへし折ってやれたらどんなにいいか、と思った。しかし、ダビが立ち上がった時、マルがいまだ泥の中に小動物のようにうずくまっているのが分かった。マルと目が合った瞬間、ダビの心はフッと冷え込んだ。

(俺は一体何をやってるんだ、こんな所で……)

 家に着くまでの間、ダビの胸には怒りがとぐろを巻いていた。

(ナティの奴をいつか叩きのめしてやる……)

 しかし、家に着く頃には、なんとなく自分にも非があるんじゃないかという気がしてきて、胸に微かな痛みを感じた。

(そもそもマルにあんなに怒鳴りつけることはなかった。マルがあんなにみっともない病気なのも貧しいのも、別にマルが悪いわけじゃないんだ)

そんな事を思っているうちに、何となく気分が重くなってきた

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