第1話 妖獣の靴職人の子ダビ 1
ダビは、暗い水面すれすれに、まるで川面に浮かんでいるかのようにかかっている木の橋が見える位置までたどり着いた時、ふと足を止めた。そして振り返った。学校から今彼の立っている位置までは、ずっと石畳の道が続いている。人は誰もいない。ただ、灰色の道とその両脇の灌木の連なりだけが見える。
ダビは再び前を向いた。あの橋を渡った先にあるのは、ここまでとはうって変わってぬかるみだらけの道だ。うっかり足を踏み外すと、サンダル履きの足元からずぶずぶと沈んでしまう。ダビは少しの間、その場に佇んでいた。いつの日か、あそこに戻らなくてもすむ日が来るのだろうか、そんな思いが脳裏を駆け巡った。物思いはしばらく、ダビの体をその場に引き留めていた。
どの位そうしていただろう。ダビはハッと振り返った。背後に何かが近付いてくる気配を感じたのだ。ダビがここまで歩いてきた石畳みの上を、小馬に乗った人がやって来るのが見えた。
(カサン人だ!)
ダビはとっさに思った。馬に乗って移動するのはカサン人で間違い無い。しかし、男か女かは分からなかった。ダビはその場に固まったまま、大きく目を見開いていた。カサン人と馬とは、そのままみるみるダビの方に近付いて来た。そして目の前で止まった時、ダビは自分の心臓がグイと伸び上がるように感じた。ダビは、勇気を振り絞って馬上の人の顔を見上げた。相手はまだ若い女性だった。そして、その切れ長の瞳から放たれる強い視線が、ダビの体を貫いた。
(よし、カサン語で話しかけられたら、カサン語で返そう!)
そう思いつつダビは身構えた。これまで学校で習い覚えたカサン語が、素早く頭の中を駆け巡った。しかし、意外にも女性の口から出たのはダビ達が普段話している言葉だった。
「妖人達が住んでいる地域は、あちら?」
その言葉は抑揚が無く、ダビの耳には少しばかり奇妙に感じられた。多分それは、「よそから来た人の話す言葉だから」というだけではない。日ごろから耳にする「妖人」という言葉に込められた侮蔑的な響きが、女性の言葉から感じられなかったからだ。ダビはとっさに返事が出来ず、ただ、自分がこれから向かおうとしている橋の先を指差し、頷いた。
「ありがとう」
女の人と馬とは、ダビが指さした方向に向かって動き出した。その瞬間、ダビはとっさに声を上げそうになった。あの人が橋を渡り切ってあっち側……「森の際」地区に入ったとたん、ほとんど道とは言えぬ道を踏み外し、馬と一緒にずぶずぶとぬかるみに沈んでしまうのではないかと思った。ダビはまるで魔法にかかったようにその場に立ち尽くしていた。女性と馬とは、粗末な、今にも壊れそうな木の橋を難なく渡り切った。
ダビが目を見張ったのはさらにその先だった。まるでぬかるみだらけの道の上を浮かんでいるかのように、先へ先へと進んで行くのだ。そしてその姿が灌木の向こうに消えた時、ダビは思った、
(あれは人ではなく本当は妖怪では!?)
そのとたん、背中に微かな寒気を感じた。「これまで見えたことのない妖怪が見えるのは災いが起こる前触れ」と周りの大人は言う。
ダビは、夢のような物思いからふと我に返った。
(ぼうっとしている場合じゃない!)
早く家に帰ってカサン語の宿題と予習をしなければ! ぬかるみだらけの道はうんざりする。だがそれ以上に、自分の意志までがだらしなくぬかるんで行く事の方がもっと嫌だった
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