第18話 神学論争(5)

 翌朝、睡眠不足の目を擦りながら僕は登校した。さすがにゲームをやり過ぎた。正直少々寝坊してしまった。コントローラのデバイスが付いていた腰の辺りがひどく痛む。休んでしまいたかったが、アニキに何かあってはいけないと思い、心を奮い立たせた。



 久々の登校。いつもの通学路から校門に近づくと周囲がざわついているのを感じた。嫌な予感がして僕は走った。校門の周りに人混みができていた。人混みの中には警官が何十人も厳戒態勢を敷いており、人が入り込まないように円陣を組んでいた。校門内部には物々しい機動隊車輌と盾を構えた機動隊の姿が見えた。ただ事ではない様子が伝わってくる。


 「何かあったんですか? 」

人混みの後ろの方の男性に話しかけた。

「テロだよ。例の脅迫状だ。本当に現実に起こしやがった。君、生徒だよね? 屋上でなんか浮世離れした感じの女の子が捕まってるよ! 」

アニノ、いや、天野さんだ! 僕は直感した。群衆をかき分けて最前列に向かう。


 KEEPOUTと書かれた黄色いラインのずっと先、屋上に十字架が見えた。華奢な少女が十字架にはりつけられていた。衣服は所々破れ、ぐったりと項垂うなだれていた。足元から串刺しの人形を連想させる槍が、いや、アサルトライフルの銃口が少女を狙っていた。なんてことだ!


「あれは、天野ちゃんだよね? 」

隣の人が話しかけてきた。視線を向けると、光子姉だ。なんでここに?

「うん」

そう言うと、姉はふぅと深い溜息を吐いた。


 「……全く。あき、手紙を渡さなかったね。めんどくさいんだからあの人」

手紙……? 何のことだろう。思わずきょとんとしていると、姉はやれやれといった顔で僕を見つめた。

「全く、うちの家族はどいつもこいつもめんどくさい。……責任取りな。裏門から五十メートルくらい離れた所に少しだけ低い壁がある。猫の通り道。大丈夫、多分死なない」


これまでで最もきつい姉ハラスメントだ。だが、僕は行かなければと即座に心を決めた。

「わかった。姉さん、祈っていて」

「ヤオヨロズとイエズ様両方に祈っておくよ。行ってきな! 」

いつにもました気勢で、背中をめいっぱい力づくで叩かれ、発破をかけられた。僕は静かに頷き、裏門へ向かった。


 ごった返す野次馬を跳ね除けて、僕は果てしなく続くような壁沿いの道を走り抜けた。冬の道は体の芯に響くような寒さだったが、そんなことはどうでもよかった。壁を見ながら校舎を半周し、裏門が見えてきた。そこにも警官たちがたむろしていたが、人数は正門程ではなかった。目の前を突っ切るように走り低い壁を探す。


 あった! 僕は脇目も降らず一足飛びに壁を乗り越えよう……としたが、意外と高かったので慎重に上った。校舎の裏側にも何人か警官がいたが、こちらには意識が向いていないようだった。事務員用の扉に走り寄って静かに扉を開け中に入った。暖房の熱気が僕を包み込み、人心地着いた。


 屋上への行き方は何通りかある。恐らく警戒が少ないであろう四階講堂から非常階段を使うルートを選択した。階段側には幸い人影がなかったので、猫のように素早く移動した。やはりテロリストは一人のようだ。非常階段から上はなんの気配もしない。ゆっくりと避難はしごを登り、屋上の様子を伺う。機動隊はどうやらまだ到着していないらしかった。


 正方形の屋上のやや前方に、高さ三メートルはあろう十字架が刺さっていた。こちらからだと正面の様子は伺えなかった。十字架の下には男がいた。まっすぐ前を見ているため、こちらには気づいていない。男は拡声器を手に、警官隊と群衆に語りかけていた。



「……の目的は、魔女に奪われた皇道の復権! 我々はヤオヨロズ! 政府は聞き届けよ! もし私の身に何かあれば、即座にお前達異教徒がひた隠す歴史の闇をインターネットで世界中に拡散する! 日本大統領よ、上院下院の議員ども! 戦慄しろ! お前たちが右往左往する間にこの女の子は無残に痛めつけられるだろう! そう、呪われた魔女のように! さあ、早々に選べ! 」


痛めつけるだと! 今まで感じたことのない憤怒が僕の心のなかに膨れ上がった。


 足音を消し、そろりそろりと身を屈めながら十字架の側面に移動した。まだ気付かれていないようだった。段々とテロリストの姿が明確になってきた。身長はさほど高くはない。僕と同じか、僕より少し高いくらいか。中肉中背で全身を真っ黒なスーツで包んだその男は、奇怪な仮面を被っていた。


円形の仮面の周囲に波型の飾りが付いており、色は橙色だった。形容するなら太陽だ。そして太陽の中心に顔が描かれていた。その形相は憤怒に狂った神のような、もしくは昔この国で描かれた鬼と呼ばれる怪物のような顔であった。片手には学校備品と思われる拡声器を持ち、もう片方の手には先ほど遠目で見た通りアサルトライフルが握られ、十字架の少女を狙っていた。足元には黒い何かが散らばっていた。おそらく銃だ。


 こちらに気付かず演説を続けているが、その間の取り方や喋り方に既視感があった。僕は怖気だつとともに確信した。注意深くさらに目を凝らす。間違いない。この事実に学校の先生や警察は気付いているのだろうか。


ふと視線を上げると、十字架にはりつけられ、ぐったりとした天野さんの姿が見えた。遠目でも何箇所か服が破れていたことには気付いていたが、近くで見ると想像より酷い有様だった。


細い手足に何箇所も痛々しい暴行の跡があった。右肩から腕にかけて制服が破られ、細い肩から血が流れていた。反対の腰から下も剥ぎ取られ、白い太ももと下着が露わになっていた。左足にも何回か殴打された跡があった。いったいいつからこの寒空に晒されているのだろうか。僕の頭は一瞬で沸騰した。思わず飛び出して襲い掛かろうとしたとき、常に冷静だったアニキの顔が浮かび、思い留まる。


 そうだ、冷静に。どうすればいい。相手は銃を持っている。これはゲームではない。撃たれれば一発でアウトだ。強制終了してセーブポイントからやり直しなどという方法はとれない。


「サン、ニィ、イチ、」

 突然男がカウントダウンを始めた。

「ゼロ! 」

パァンという轟音と共に少女の体が揺れた。足元にポタポタと液体が溢れるのが見えた。

「天野さん!! 」

僕は思わず飛び出した。太陽の仮面を付けた男がゆっくりとこちらを向く。僕に気づいた。



「……なぜ生徒がここにいる。誰も入るなと伝えたはずだが」

その声に僕はいまだ驚きが隠せないでいた。いちかばちかだ。


 

 

 「先生。先生だろ? なんでこんなことをするんですか! 」


「……来栖明。お前が昨日VRゲームの中で聞いた通りだ」

予想はしていたが、やはり看破されていた。

「俺はな、もう疲れてしまったんだよ。これ以上生きている意味はない。皇道の復旧。それは悲願だ。だがもはや、そのような名目だけで生きていくには人生が長すぎる。生徒をまた巻き込み、それを続けていく意味も意欲も覚悟も……枯れ果ててしまった。疲れてしまった」


あれほどの精気に溢れていた先生。そして、震えるほどの怒りを向けてきた昨日のメイド。同じとは思えないほど、その姿は弱々しかった。

「来栖くん、この人の言ってることに同情しちゃ、ダメだよ。つまらない、戯言」

太ももを銃弾にかすられ血を流している天野さんが、息も絶え絶えに答えた。


「先生が、……立花先生が、ヤオヨロズですか」


僕はいまだに目の前の現実が信じられなかった。あれほど犯人探しに躍起になっていたあの先生が。毎夜毎夜、深夜まで見回りをしていた、あの先生が。そして僕はまた恐ろしい考えにたどり着いた。


「深夜の見回り……まさか……まさか、イタズラをしたのは、先生……! 」

「そうだ」

一切の感情もなく立花先生は言い放った。僕は呆然と立ち尽くした。


「俺は魔女を殺さなければいけない。俺を無間の地獄に突き落とした魔女を」

静かに立花先生はそう言った。そうだ。監視カメラ。そこには立花先生が最後に玄関を出る様子が映し出されていた。だが。だが。

 


 だが、翌朝僕が見た校門は、閉まっていた……!


 

「立花先生はあの日の夜、ずっと学校にいたって、そういう、ことですか」

言葉を詰まらせながら僕は尋ねた。

「……その日だけじゃない。その前も、その前も、その前もだ。そう、教室に人形が初めて現れる前の日から」

やはり感情なく、先生は語った。何日も? 家にも帰らず? ずっと? 


「……妄執。おかしいよ、先生」

項垂うなだれた天野さんが呟いた。明らかに常軌を逸している。一体、何なんだその魔女に対する執着は。


「俺は、俺を終わらぬ苦しみに落とし、この国をあるべき姿から程遠い国にした魔女を見つけなければいけなかった。生徒たちを巻き込んだのは、本当に申し訳ないと思っている。だが、それでも、これは為すべきことなんだ。だから、毎年、魔女の怪談を再現している。十一年間、ずっと」

立花先生が答える。


十一年間、ずっと、だって……。それは、もう、間違いなく。狂ってる。

「この十一年間、どれだけ繰り返しても、全く手がかりは掴めなかった。だが、今年は。今年はついに尻尾を掴んだ。やつの……魔女の! 弓削ちはる。申し訳なかったが、彼女のおかげだ」


血は止まったようだが、まだ青白い顔をした天野さんが静かに口を開いた。

「許せない。ちはるは、いい子だった。優しくて、友達思いで。あの子がそんな目に遭う必要はなかった……! 」

その声は静かだったが、怒りに満ちていた。


「わかっている。だから、すまないと思っている。だが、いまだなぜ彼女が死んだか、それは闇の中だ。聞けば死の直前、『世界が◻️く見える』、そんなことを家族にこぼしたそうだ。弓削紗子のときとは違う。もう少し、もう少しなんだ。だが、お前たちは知ってしまった」

 


 そうだ。僕たちは学校が終わったら警察に行こうと決めていた。アカツキと名乗る首謀者。ヤオヨロズは一人だと。国家権力に頼れば、この事件も早々に終息するだろう、と。

「わかってるんですね……もう、勝ち目はないと」

僕は立花先生にそう言った。先生は自嘲するような笑みを浮かべていた。

「ふん、まあな。ふふ、せめて、答えが返ってくれば。こんなことはしなかった」

 

 そうして僕は思い出した。姉の言葉と、その意味を。

「先生、姉から手紙を預かっています。読んでもらえますか」

僕は鞄の底で潰されて少し湿ってしまった手紙を差し出した。立花先生は戸惑った様子でそれを受け取った。指を震わせながら封を開ける。


「すみません、もうだいぶ前になります。渡すのを忘れていたんです」

僕の謝辞など聞こえないというように、先生は姉の手紙を読みふけった。


そして顔が真っ青になった。狂人のように手紙を粉々に引き裂き、屋上に雪のように振りまいた。力を失い、膝から崩れ落ちる。


 その瞬間、二箇所ある屋上の扉が一斉に開き、機動隊が怒涛どとうのように押し寄せてきた。

「確保しろ! 」

部隊長の一言に七、八人の隊員が一斉にテロリストの周囲を取り囲み、項垂れた先生の体を地面にねじ伏せた。


もはや茫然自失といった様子の立花先生は、なんの反抗も見せずあっさりと捕縛された。十字架に架けられた天野さんも引き下ろされた。銃創と打撲傷は酷い様子だったが、抱えようとする隊員の手を固辞し、立花先生の方に向かっていく。


 彼を見下ろし、あのアニキのような冷酷な瞳でこう言った。 

「こんなものだ。君は事ここに来て、未来にも過去にも見放されたんだよ。本当の罪を、君は犯した。本当に、残念だ」

 それを聞いた瞬間、項垂れていた立花先生がハッと顔を上げた。そして彼女と僕を交互に見た。



 「……そうか……! そうだった……! 思い出した……! 」



 恐怖に引きつったその言葉が、立花先生の最後の言葉だった。彼は全く抵抗せず連行されていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る