第17話 神学論争(4)

 そう思った瞬間、アニキがメイドの腹に可愛らしい熊の描かれた携帯電話を押し付けた。


瞬間、視界が歪むほどの光がそこから放たれる。


メイドは壊れたロボットのようにピクピクと身体を震わせ、直立不動のまま動かなくなった。輪郭が薄れていた身体が色を取り戻していく。これは……プランGだ。


 「くっ……あ……一体、何を」

辛うじて言葉を発することができるようだった。アニキは透徹した瞳でその様子を見ていた。


「お前がテロリストのボスだな」

メイドも僕も驚愕する。

「そ……そん……な、はずがないでしょう。私は、と……らわれていた。とさきほど申した……ではないです、か」

途切れ途切れになりながらメイドが反論した。


「そうだよ。明らかに捕虜みたいに両手を塞がれていたじゃないか! 身体だって身動きひとつ取れないくらいにグルグルに! 」

思わず僕も同調した。


 「ひどい……ご、誤解です」

目に涙を浮かべてメイドが答えた。だが、アニキは表情一つ変えなかった。

「まず、お前がテロリストを見た時、彼らが持っているものは銃だと答えたね。ありえないのだよ、このゲームの世界にそれは普通にあるものじゃないのだから。そして教会の破壊の原因を火薬と言い切った。これも普通のプレイヤーの発想じゃない。ここまではまあただの類推だ。


 しかし、ひとつ墓穴を掘ったね。今、触覚デバイスを外したな? 俺が突きつけたスタンガンは、人間なら十五分は身体の断続的な振動が止まらなくなる。無論、舌もだ。いわば呂律ろれつが回らない状態になる代物だ」

あの可愛らしい携帯電話はとんでもないものだったようだ。


 「それにもかかわらず今お前は普通に喋ったね? それがふたつ目の疑念。さらにもう一つの疑念は、触覚デバイスを取り外す逃げ方を知っていたにも関わらず、ずっと縛られていたということだ。このタイミングで、触覚デバイスを外したということだ。なあ、オメー。もしも今まで起きたことのないようなテロが突然目の前で起きたらどうする? 」


「……逃げるね」 

「そう、それが普通のプレイヤーの発想だ。逃げる、つまりログアウトさ。そしてそれが出来なかったなら、強制終了。セーブポイントから再開できるけれども、よっぽどの物好きでなければしばらくログインしないで動静を見守るだろう。さっきお前は、縛られたロープがチートアイテムで、ログアウトができなくなって逃げられなかったと言ったね? だったら強制終了すればいい。そうしてさっさとこんな仮想現実から逃げてしまえばいい。


だがお前はしなかった。ここまではいい、『強制終了の仕方がわからなかった』のであれば理屈は通る。


 だが、今お前は触覚デバイスを外す強制終了の仕方を知っていたよね。だからこそ、この危機から逃げるためにまずは舌のデバイスを取った。そこから考えると、つまり、テロリストに捕らわれたとき、強制終了という方法で逃げることが出来たにもかかわらず、そうしなかった。それはなぜか? お前がクロだからだよ」

メイドの顔が青ざめ怯えたような表情になった。


 「ち、違います。今たまたま、痺れにびっくりしてつい手で舌のデバイスに触れてしまって、接続が切れたんです。ごめんなさい、勘違いさせるようなことをしてしまって」


アニキは試すような瞳でメイドを凝視した。メイドは無実を訴えかけるように視線を逸らさなかった。



しばらくして、アニキから嘆息が漏れた。


「確信した。やはりお前がクロだ。なぜなら通常、舌に装着するデバイスの上から視聴覚マスクを被る。今、被っていない可能性を考えたが、その訴えかけるような視線が、お前が視聴覚マスクを被って実際に俺を見ているいることを裏付けている。観念したまえ」

そう言って、名探偵はにっこりと笑った。

 

 メイドの顔から色がなくなった。能面のような無表情で僕たちを睨めつけた。

「見事だ。よく看破した」

メイドを装ったヤオヨロズのボスが感嘆の声を上げた。アニキは満足気に話しかけた。


「なかなか面白い趣向のゲームだった。ヤオヨロズのボス君、なんと呼べばいい? 」

「そんなことはどうでもいい。何か情報が得られるなどと思うな。私の怒りは何者にも屈しない」

ボスは黙秘を貫くつもりのようだった。


 「フフ、そんな時間稼ぎをしても無駄だよ。強制終了を試みているのだろうがそれはできない。今の君の状態はいわば無限ループのアルゴリズム。わかりやすく言えば身体の半分が壁にはまってどうにもこうにも動けなくなっているゲームキャラさ。私達はこのまま朝までだって粘ることができる。そうなれば国家権力が介入してくる。詰みなんだよ。現実の身体は、上半身以外は痺れて動かないだろう。そういうチートアイテムだからね! 」

なんて恐ろしい携帯電話だろう。メイドは観念したようだった。


「……アカツキだ」

「よしアカツキ。それじゃあ楽しい会話を始めよう。君の目的は皇道の復活だと言ったね。それはつまり、歴史の闇に葬られた日本の絶対王、その治世を復権させろということでいいかな? 」

「……そこまでお見通しなのだな。しかしこの社会で王のことを知っているとは、相当な知識があると見た。歴史学者か? 」


アニキは何も答えなかった。

「まあいい。とにもかくにも、我々が望むことは王権の復古。発端は日本を席巻したイエズ教に対する怒り。それが全てだ」

思わず僕は口を挟んだ。

「なぜそんなこと……イエズ教会が一体何をしたって言うんだ。日本の国教だよ。その歴史は数百年というレベルだ。日本人と言えばイエズ教だろ」


 「それが大きな勘違いだというのだ! 我々の王政はそれが続けば千年、いや二千年の治世だったのだ。お前のような一般人にはわかるまい、この俺の怒りが」

メイドが目を剥いて反論した。アニキが庇うように横から割って入る。

「……そんなことを一般人に言っても伝わらんよ。お前、いったい何者だい」

「出雲の宮の守人と言えば伝わるか? 私の家系は唯一神道を後代に伝えてきた家系だ。もっとも、俺自体はグウジでも何でもないがな」


 全く聞き慣れない言葉に僕はついていけそうになかった。シントー? グウジ? 出雲だけはわかる。昔の地名だ。アニキは訳知り顔でアカツキを見た。

「そうか……君は……」

なにかに気づいたようだった。そしてちらりと僕を見た。


「ここにいるのはまだほんの子供だ。彼にもわかるように説明してくれ。君は古代日本のアニミズムを継ぐ家系のものだね」

アカツキがアニキと僕を一瞥して答えた。


 「そうだ。かつてこの国には八百万の神、すなわち無限の神がいた。全てのものに神が宿り、そしてそれらを統べる皇帝がいた。我々はすべてその皇帝の子であり、孫だった。我々はそうして千八百年もの間平和に暮らしてきた。奴らが侵攻してきたのは、十三世紀の終わりだ。最初は船で、我々は二回それを撃退した。だが、三度目の侵攻で奴らは本土を席巻した。


 まさに鏖殺おうさつだった。我々の平和な世界は、蹄で蹂躙じゅうりんされた。この痛みがわかるか? 妻子が犯され、目の前に一族の首が並ぶ光景が」

アカツキの目は地獄の業火ごうかに灼かれた星のような煌めきを宿した。

「許せるはずがない。許せるはずがないのだ。我らの王は、我らの国は犯された。それにも関わらず、その蛮族どもは百年もせずに滅亡した。


 その後、我が物顔で跋扈ばっこしたのがイエズ教だ。ケトウ共はさも親友のように我らに寄り添った。そして刷り込んだのだ。彼らの信仰を。傲慢な自我を化粧した欺瞞ぎまんを。まるで野良犬に餌を与えてやるように。その時から、我々は家族でなくなってしまった。失ったのだ。


奴らがいなければ、今も六千万の国民は家族だったのだ。私は、我々は、六千万人の家族を失った。何をもってあがなえるというのか。この怒りは、消えるはずがない」


 怒りに満ちたアカツキの表情は、だが、聖者のそれであった。余りにも桁が大きすぎて、僕には想像がつかなかった。

「……君はそれを恨んでいるのかい」

アニキが無表情でアカツキに訊ねた。

「当然だ」

その瞳は憎悪に揺れていた。


ここまで凄まじい憎しみに今まで出会ったことがない。どれほどの期間、どれほど煮詰めればこのような瞳になるのだろうか。僕にはわからなかった。

 

 その次の瞬間、アカツキの姿が消えた。アニキがその様子を見て呟いた。

「……電源を抜いて物理的にシャットダウンしたな」

「どうしよう? 問題は何も解決していないし、学校の事件との関連も聞けなかった」

「まあそうだな。……奴は俺達を消そうとするだろう。間違いなく俺達は奴の触れてはいけない傷に触れた。俺は古い傷をえぐったかもしれない。明日の登校時は気をつけたまえよ」


「アニキこそ、何なら一番危ないよ。か弱い女子だろう? 」

「フフ。わかっていないなあ。さっきの鮮やかな推理、見ただろう。俺はやる時はやる奴なのさ。そしてもう色々と、見当がついた」

そう言うとまた探偵のように顎を指でさすりながら、もじゃもじゃの髭をグリグリ回した。……女子高生が入っているとはとても思えなかった。


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