第16話 神学論争(3)
「いやー、死んじゃったねー」
総督の館を見渡せる通りの手前に僕達はいた。髭モジャの中年男性が呑気に語りかけてきた。僕達の緊急避難時のプラン1は成功したようだ。
「なかなか迫真だったよ、オメー。『僕がついていながら、くそ……天野さん……』」
仁王立ちをして芝居がかった調子で
僕達の緊急避難時のプラン1は単純だ。どちらか一人が行動不能になったら、即座に体に取り付けている視聴覚デバイスを剥ぎ取ってゲームを強制終了する。そして近々のセーブポイントから再開する、というものだ。そのために僕達は複数のサブアカウントを作った。
大元のアカウントに紐ついてさえいればセーブデータは共通で使える仕組みを利用したのだ。各デバイスを少し緩めに装着することで、強制終了しやすい状態でプレイしていた。
「どうやら背面はわざと警備を薄くしているようだね。侵入者をあぶり出して狙撃とは、性格の悪いことだ」
「もう捕捉されてるのかな」
「その可能性は考えておいた方がいいね。さあどうするオメー」
ニヤニヤと楽しそうに笑いかけてきた……確かに妙なスイッチが入っているとはいえ、中身は本当にあの美女と同じ人物なのだろうか。
「やっぱりやめようよ。いくら仮想世界とはいえ、人が殺されるところは見たくない。嫌な予感がする」
精一杯反抗すると、おじさんがまたしかめ面でぷくっと頬を膨らませた。ああ。中身は本当にあの美女と同じ人物なのだろうか。
「却下だね。いよいよ核心に迫ってきたのに。やはりこの事件は絶対にちはるの件に関係がある。そんな直感があるんだ」
それは確かに感じる。恐らくこの事件はイタズラではない。牧歌的なゲームのクラッキングにしては度が過ぎている。だからこそ、もう大人に任せればいいのでは、そう言いそうになったが僕は堪えた。どうせそんなことを言ってもアニキは行くだろう。
「プランBかC……Cにしよう。どうだい? アニキ」
「よしわかった。全く、君はそういうのが好きなのか」
そう言うとアニキの体から白煙が上がり、モグラの着ぐるみを着た幼女の姿になった。
僕達の侵入プランCは単純だ。地上がダメなら地下ならどうだ、という発想だ。気分が盛り上がるのだろうか、アニメキャラのようなモグラの着ぐるみを着た、三歳くらいの可愛らしい幼女に天野さんは変身した。手には水鉄砲のように安っぽいハンドガン型のドリルを持っていた。
「よし、ミスタードリラーばりの採掘で連中のケツの穴を二つにしてやろうぜ、オメー」
可愛らしい声で不穏な台詞をはきながら、幼女アニキが地面を掘り出した。水鉄砲型ドリルの性能は凄まじく、ドイツ製の大型掘削機のような轟音を響かせながら、丸型の皿に向けて勢いよく蛇口から水を出した時のような飛沫を上げて地面が
そのまま五メートル程も掘り進めた後、総督の館の方向に向きを変えてさらに掘った。このゲームでは土を掘ってもプレイヤーに当たると土砂が消える仕様になっているため、思いのほか順調に掘削は進んだ。僕は生まれて初めて爪先から頭の端まで大量の土砂を叩きつけられながら彼女の後に続いた。
ややあって、幼女アニキは止まった。鼓膜が破れる危険を察知してミュートにしていた音量を慌てて上げた。
「建物の下に着いたの? 」
幼女に訊ねると、少し不機嫌そうな声で
「うん」
と答えた。
「……まったく、手下なのに全部親分にやらせるなんて」
「ごめん。アニキ。余りに頼もしくてつい頼ってしまったよ」
「まったく、しょうがないなあ」
満更でもなさそうだった。
「さあ、ついに奴らのアジトの下だ。ここからは階段型に掘りながら進もうか」
そうして
薄暗い玄関ホールを
円の中心から静音モードのドリルが絨毯を貫いて姿を現した。それが空けた穴はみるみる広がり、ちょうど人ひとりが通れるほどの大きさになった。穴から、小さな女の子と気弱そうな男の影が、辺りを注意深く見回しながら姿を現した。辺りには誰もいない。
「思った通りだ。奴らの注意は建物の外に向いている。灯台もと暗しとはこういうことだね」
僕達が出たのは巨大な階段の裏だった。二階まで吹き抜けの玄関ホールの中心には正面階段があり、ホールを囲うように二階部分にロビーがあった。僕達は周囲を警戒しながら階段の正面に回った。二階ロビーに窓を向いた人影がピクリとも動かないで立っていた。僕達は反対側の壁にも注意しながらそろりそろりと中央階段を上った。反対側のロビーにも窓を見張る警備兵の姿が見えたが、やはりピクリともしない。アニキは僕に振り返り、妙だというリアクションをした。
確かに妙だ。呼吸による身体の揺れみたいなものがあってもいいだろうに、まるで古いCGのように本当にピクリともしない。人形のようだった。音もなく忍び寄ったアニキが、突如巨大な斧を片手に出現させ、後ろから豪快に振り下ろした。警備兵の身体は真っ二つに裂かれ、どす黒い体の断面からヌメリとした液体が溢れ出た。半身が床に崩れ落ちてアサルトライフルと弾が音を立てて床に散らばった。派手すぎる! 僕は死を覚悟した。
しかし、しばらくしても何も起こらない。アニキは黒い液体を滴らせた野蛮な武器を持ちながらしばし佇んでいた。そして思い通りという顔で僕に微笑みかけた。
「フフ、やはりな。こいつらはハリボテだ」
「……NPCか」
「うん、それもとびきり質の低いやつだ。多分視覚も聴覚も非常に低い。後ろのロビーのヤツらを見てみな。こっちに気づいた様子もない」
振り返ると、反対側のロビーにいる狙撃兵も微動だにせず、ずっと窓の外に銃口を向けていた。
「よし、奥に進もう。総督室は右手を突き当たった先のようだ」
階段の上には、観光用だろうか、ご丁寧に右向きの矢印の看板があり、「総督室はこちら」と、書かれたプレートが貼り付けられていた。
百メートルはある通路には何人かの兵が相も変わらずピクリともせずに窓の外を監視していた。最初こそ怯えながら音を立てないように
「どう思う? 助手」
軽く息を弾ませたアニキが問う。
「何が? 」
「この警戒の甘さだよ。正直これは」
「敵は少数」
「その通り。下手したら単独犯かもね。おっと、止まって」
長い通路の突き当たりが見えるとアニキが速度を落とした。壁の影から奥を伺う。見るからに豪華な扉が見えた。総督室だ。周りには、事切れた使用人や役人の死体が転がっていた。
見張りの姿は他に見えなかった。
「よーし、行くぞ」
アニキの姿が幼女から髭モジャの中年に変わる。その変身は今必要だろうか、と僕は心の中で突っ込んだ。
「気分さ、気分。この様子だと総督室の警備も薄い。一気に行くぜオメー! 」
見透かしたようにそう言うと、アニキは嵐のような勢いで総督室の扉まで走り出した。警備兵から剥ぎ取った銃を構えて、僕も後を追った。
重厚な扉からは何の音も聞こえてこない。異様にせっかちなアニキは、予想通りやはりどかんと大きな音を立てながら扉を蹴破った。十メートル四方の総督室は一面大理石張りで、床にはきめ細やかな模様をあしらった絨毯が敷かれており、所々血痕が滲んでいた。
接客用のソファとテーブルは荒らされ、総督がいつも座っているであろう書斎机には誰もいなかった。その代わりに部屋の側面にある本棚の下に数人の死体が転がっていた。調べるためにアニキと僕はその死体に近づいていった。男が二人、女が三人だ。いずれも
「これは総督かな? 」
一番身なりのいい男性の体をアニキが指でつんつんと突っつく。
「撃たれてるな。この力の抜け方、殺されてログアウトしたみたいだね」
教会にあった死体の山を思い出した。思わずえづきそうになった。死ぬとログアウトするが、ゲームキャラは生気を失った人形のようになる。
「あ、この人生きてる」
ほかの四人に守られるように一番奥にいたメイドが僅かに息をしていた。
「……ああ、どなたか助けに来てくれたのですね」
メイドが取れかけた猿轡の中からかろうじて声を漏らした。
「助けてください。このロープ、縛られるとログアウト出来なくなるのです。もう一日以上食事もできていません」
僕はアニキに目で許可を取り、猿轡とロープを剥ぎ取った。メイドは伸びをしてひと息つくと、
「ありがとうございます」
と僕達に礼を述べた。
「食事も取れていないという所で申し訳ないが、何があったか最低限のことを教えてくれないか。そしたらログアウトして体を休めてくれていい」
そうアニキが言うと、メイドが頷いた。
「私はここで使用人をしている者です。昨日早朝頃、ゲーム機に繋がったまま寝ていた私の体に痺れるような感覚が走りました。思わず飛び起きると、ゲームのメニュー表示やカーソル操作がおかしくなっていて、思い通り動かせなくなったのです。それは他のユーザーも同じようでした。」
恐らくメッセージが来る前の日の朝だ。なるほど、その頃から事件は始まっていたのだ。
「プレイヤーは全員、自分の意思に反して足が勝手に動きました。行先は中央の教会です。あの人数は、多分ログインしていないユーザーも含めてです。私は恐ろしくて、急いでログアウトしようとしたのですが、うまくメニュー画面が操作できなくて……そうこうしているうちにお屋敷の大扉から何人も銃を持った者が現れて、ロープで縛られて総督室に投げ入れられました。その後、使用人三人と総督がやはり連れてこられて部屋に入れられました」
「なるほど、ということは君は脅迫文を見ていないのかな? 」
アニキが質問した。
「脅迫文……? やはりテロリストか何かだったのですね奴らは。そう言えば屋敷の前の教会からものすごい爆発音がしたのですが、あれは? 」
「教会は今や半壊だ。どうやってか知らないけど。大変な数の人達が犠牲になったよ」
メイドの顔が蒼白になる。
「信じられません……銃や火薬とは無縁のゲームだと思っていました。きっとあのとき夢遊病患者のように集められた人達は皆……」
沈んだ様子でそう答えた。僕は痛ましくなり、
「そうですね。見ないほうがいいですよ。ありがとうございます色々と答えてくださって」
と彼女の肩に、手を当てた。
「もう十分です。どうぞ休んでください」
そう言うと、彼女は泣きそうな笑顔をこちらに向けてきた。
「はい、ありがとうございます」
彼女の身体がログアウト前の点滅を放ち始めた。キラキラと鮮やかな粒子をまといながら徐々に薄れていった。薄らとその姿が見えなくなっていく。
「このご恩は必ず返します」
そう言って彼女は旅立っていった。
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