第15話 神学論争(2)
無人の市街地を僕達はそろりそろりと歩いた。テロリストグループに見つからないように慎重に進んでいたので、牛歩の前進だった。
碁盤の目のように整備された市街には、やはり見張りが何人かいるようで、所々に軍靴の足跡があった。
ずんぐりした体に似つかわしくない俊敏な動きで天野さんは全ての交差路で周囲を注意深く見回し、安全と判断するとこっちへ来いと人差し指をくいくいと曲げて僕を先導してくれた。どちらが男なのかわからない。
先に進みながら僕達は作戦を練っていた。敵はもしかすると学校関係者で、こちらのことを知っているかもしれない。そんな懸念から、考えられる危機的な状況を想定して多くの仮説を立てた。敵に見つかった時の逃走ルートや秘密の合図、果てはコードネームまで、入念な準備を積み重ねた。
いくつかの交差路を越えた先で開けた土地が見えた。中央の広場だ。広場の中心にはイエズ教会の建物があり、その後ろに荘厳な装飾が施された総督の館が微かに見えた。日本属州は日本の標準時に合わせてあるので今はもう深夜だった。
日本属州のイエズ教会は広大な建物だ。一辺百メートルはある正方形の敷地に、これまた百メートルの高さの尖塔が無数に並び、中央の尖塔は一際高く大きく、威厳を湛えていた。全ての尖塔の頂きには十字架と金星を重ねたオブジェが施され、色とりどりのステンドグラスが月明かりに虹色の輝きを反射していた。
しかし、今や屋根と高窓以外の壁や扉は
「どうしようか、天野さん」
毛が少しはみ出た耳元で囁くと、
「名前を呼んじゃダメ、コードネームでって言ったでしょ」
と返されたので、
「……どうしようか、アニキ」
と言い直した。現実の外見に似合わず、天野さんは意外と牧歌的なセンスだった。
「ヨシ、俺がまず様子を見てくるから、オメーはここで待ってな」
ノリノリで答えてくる。因みにオメーは「お前」ではなく、僕のコードネームで、天野さんの考案だ。適当にも程がある。
散乱した
「見てみなよ」
そう促されたので恐る恐る中を伺う。
建物内には、無数の死体が重なっていた。異常なのはその積み上げられた高さだった。信じがたいことだが、犠牲者二万五千人がこの百メートル四方の建物の中に全て詰め込まれていた。まさにそれは人でできた山であった。いずれも目に光はなく、絡み合うような腕と足から虚空を見る男の子や幼女の顔が見え、いたたまれなかった。犯人たちは間違いなく異常者だ。クラッキングが完了しているのならばこのような死体の山を放置しておく道理がない。にもかかわらず、こいつはわざと死体を残している!
「ひどい……」
思わず怒りを露わにして呟いた。
「異様な様子だ。この有様にはとても深い怨恨を感じる。イエズ教会に相当な恨みを抱えているね」
淡々とアニキが答える。確かに、かなりの憎悪がなければこのような所業はできない。だが、今や国民の六割を超える信者を持つイエズ教にそこまでの憎しみを向ける人物とは、どんな人物なのだろうか。そんな僕の思考を見透かすようにアニキは続けた。
「なぜイエズ教なんてメジャーな宗教にここまで恨みがあるか。それが二つ目のポイントだね。犯人の要求、覚えてる? 」
思い出しながら僕は答えた。
「<皇道>とかいうものの復旧。あと、要求を満たせないなら、現実でも同じことを起こすぞ、だったよね」
思い返すとシンプルな脅迫文だった。だからこそ今起きている現場の凄惨さが胸に響いた。果たしてこのような
僕はアニキに気になる言葉を訊ねた。
「皇道ってなに? 」
しばらく沈黙する。
「……かつてこの国には王がいたんだ。唯一無二の王が。だが、王の血統は途絶えた。今やこのこと自体を知らない人が大多数だ。教科書にも載っていない。皇道とは、王の治世の道のことだよ。テロリスト達はその復権を望んでいる」
なぜアニキはそんなことを知っているのだろう。そんな疑問がもたげてきたので続けて尋ねてみた。
「大王とか豪族とか呼ばれている人達のこと? すごく古い話だ」
僕の質問を受けて、少し寂しげな顔で彼は俯いた。
「違うね。日本という国全体を統べる王であったとともにローマ皇帝に匹敵する権威を持つ存在だった。王であり、教皇である。そんな存在だ。彼はこの国の象徴であり偶像であり、国民全体の祖父であった」
その厳粛な言い様に僕は気圧された。
「……天野さんはどうしてそんなことを知っているの? 」
またしばし静寂が訪れた。
「俺の家系は少々訳ありでね。そういう情報が嫌でも入ってくるんだ。……よしオメー。無駄話もここまでにしよう。奴らの本拠地に行くぞ」
そう言うとアニキは空を見上げ先を促した。視線の先には月明かりを怪しく照り返す日輪と楔が見えた。僕はこくりと頷き、その逞しい背中を追った。
イエズ教会の背面の壁穴から、アニキと僕は覗き込んだ。一辺二百メートルはあろうかという荘厳で
「銃だ」
「銃!? ローマだよねここ!? 」
思わず問い返す。
「しっ……驚くのも無理はないけど、俺は最悪の可能性を言っているだけだ。教会の有様を見ただろう。あの数のプレイヤーを山のように積むなんて普通のクラッキングじゃない。それに、建物の壊れ方を見たかい? まるで爆発があったかのような壊れ方だった。腐ってもこの建物は石造りだ。支柱ごと吹き飛ばすなんてプレイヤーの武装じゃできっこない。どう考えても火薬に類するものが使われている。だとしたら、奴らに銃火器があってもおかしくないよね」
僕は仰天して目を剥いた。古代ローマという設定もあり、この世界の武器防具はほぼ全て精錬の甘い鉄製だった。そもそもプレイヤー同士の殺し合いを楽しむようなゲームではない。
「……痛いことになるのかな? 」
しばらくじっと僕の顔を見つめたあと、
「男の子なら大丈夫だろ? 」
と、ばっちりウインクをしてみせた。
広場の円周をぐるっと半周し、総督の館の裏を見渡せる通りに僕達はいた。裏口から中に潜入する算段だった。僕はこのままだと対テロリスト特殊部隊のような侵入と制圧を求められる気配を切に感じていたが、あえて何も言わなかった。というよりも、あの天野さんとこんな経験を共有できていること自体が嬉しかった。多少痛い思いをしても仕方あるまい。多分明日の朝会うときはまた素っ気なく挨拶されるんだろうなという予感があった。それでもまあいいかと思っていた。
「アニキ、結局どこまでやるんだい? 」
「え、そんなの謎をすべて解くとこまでに決まってるだろ! 」
予想通りだ。完全にスイッチが入っている。
「はい」
「ところで見てごらん、オメー。さすがに裏口は少し警備が薄いようだよ。窓から見える銃口の数が少ない。一気に行くぞ」
そう言うとアニキは獣のような速度で飛び出した。僕は一瞬呆気に取られていたが急いで後を追った。
その瞬間、アニキの背中から噴水のように液体が飛び出した。ふらりと大きな
「アニ……」
そう言いかけたとき、僕の耳に刺すような熱が走った。僕も狙われている! 目の前に倒れたアニキの背にさらに複数の風穴が空いた。
弾が当たる度、人形のようにビクビクと背中が反り上がった。僕はその体を守るように仁王立ちした。
「あ、アニキ、アニキー!! ……なんてことだ、僕がついてながら、くそ……天野さん……」
呆然とその後ろ姿を見下ろす僕の体を、何発もの弾丸が着弾する衝撃が貫いた。数秒後、僕は意識を失った。
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