第11話 魔女狩り(5)

 気づくと僕は首を縦に振っていた。それを見て立花先生は脇に抱えたバッグから、ビニール袋に入れられた古いノートが出てきた。


「自分の目で確かめるといい」

そう言って立花先生はノートを僕に差し出した。かなり古いノートで、表紙の端が黄ばんでいる。氏名欄はかすれて判読できなかった。僕は恐る恐るページをめくった。これは……自学用のノートだろうか。


数学、社会、英語。様々な教科の、恐らく問題集の答えが書き連ねられていた。二ページ目、三ページ目とめくっても同じような内容だ。四ページ目をめくると、「期末テストやる気出ない」と丁寧な楷書体でメモが書かれていた。日々の勉強の成果の他に、日記や愚痴も書き溜めているようだった。


「その辺は普通のノートだ。見て欲しいのは、最後のページから三ページ目だ」

立花先生に促され、最後のページから三ページ目をめくった。

 


 僕は絶句した。

 


そのページは先程見た日記や愚痴を記載するページのようだった。

「ようだった」と言うのは、僕には書いてある文字が全く読み取れなかったためだ。いや、正確には読める字もある。見慣れた平仮名やカタカナ、漢字もある。だが、「て」と「ぬ」を一緒にしたような記号やカタカナの「コ」と平仮名の「と」を重ねたような記号、中国語に似た見慣れない漢字のような文字は今まで見たことがない。


 これは、日本語ではない。しかし、中国語や他の国の言葉でもない。時に読める字は先程見た文字と同じくかなり丁寧に書かれており、同一人物が書いたものであることが確信できた。ノートの最後の行に、見慣れない記号に交じって「魔女」「◽︎」が読み取れた。

 

 落ち着いていた心臓の鼓動が不意に上がっていくのがわかった。

「せ、先生……これは」

僕は必死で声を振り絞った。

「普通じゃないよな。このノートを見て、警察は彼女は正気を失ったと判断した。よって事件にはならず翌日新聞欄の隅にも載っていない。だが、彼女を見てきた親や教師達は震え上がったよ。全く、原因に心当たりがなかったから。薄気味悪がられて処分しようとしていたものを俺が頼み込んで貰ってきた」


なんでこんなものを、と目で訴えかけると、先生は悟ったのか言葉を続ける。

「俺は元々歴史の先生なんだ。大学の時の専攻は━━魔女史。文化人類学って知ってるかな? 風土や慣習なんかを研究する学問だよ。魔女史はその中のとてもマイナーな分野。まあ何の得もないし、変人かもね」

やや自虐的に先生は笑った。


「ともかく、そういうこと。これを見て、この街の魔女の噂はあながち眉唾でないかもしれないと直感した。それからは、ほかの先生にバレないように一人研究を続けてるんだよ。なかなか大変だ」

突然の告白に僕は頭が回っていなかったが、大切なことに気づいた。


「つまり、また誰かが死んでしまうかもしれない。そういう事ですか!? 」

立花先生は黙って頷いた。


 「物わかりがいいな。そう。可能性がある。言ってしまうが、君は長く学校に来ていなかったし、本当は最初君を疑ってた。でも、今朝のあの事件の話を聞いただけで教室で吐いたという話を聞いて、やはり君は犯人じゃないと確信した。……実はね、もう警備の人の話の裏もとってある。君が話したことと同じだった」


なんと周到なことだろう。立花先生に感じるオーラの強さというか、存在感の強さはこういう抜け目なさ、したたかさにあるのかもしれないな、と僕は思った。

「それに来栖、君こういう好奇心が刺激されること好きだろう? 気づいているかい? 全然どもらなくなった。」


愉快そうに先生は笑った。気づけば恐怖から来ていたと思っていた動悸は好奇心から来るドキドキに変わっていた。

「放課後、浅野先生のところに話を聞きに行こうと思う。……付き合うかい? 」

僕は強く頷いた。


  

 放課後、当直室に僕と立花先生の二人は向かった。そこには先客がいた。弓削さん、天野さん、クラスメートの津田さんの三人だ。僕たちに先駆けて浅野先生に詰め寄っていた。

「……だから、あなたですよね? 」

声を荒立てて弓削さんが浅野先生を問い詰めていた。

「警備員の人から話を聞いています。先生が今日一番最初に校門にいたって。なんでこんなことをするんですか」

どうも様子が尋常ではなかった。


「ねえ! なんでこんなことをするの! 答えて! 答えて下さい! 何かの当て付けなの! ねえ! なにか言ってよ!!! 」

目を剥いて浅野先生を問い詰める弓削さんを周りの二人が止めた。

「ちょっと、ちはる! 落ち着いて」

津田さんが嗜めると天野さんも落ち着かせるように弓削さんの背中をさすった。


「な、なんで弓削さんはこんなに興奮しているんです? 」

異様な様子に驚いた僕は思わず立花先生に耳打ちした。立花先生は口元を手で隠しながら、

「彼女、第一発見者なんだ。今日の」

と教えてくれた。僕は得心する。引き剥がされた弓削さんはまだ肩で息をしながら、ずっと浅野先生を睨みつけていた。ようやく解放された浅野先生は、やれやれと言った様子で話し始めた。

 

「弓削、気持ちはわかるが俺は犯人じゃないよ。証拠もある」

弓削さんの肩が止まった。

「監視カメラだよ。知らないかもしれないが、当直室には監視カメラがついてる。それを見れば俺が見回り以外の時間ずっと当直室にいたことが証明できる。見回り中も監視カメラに写っている」

浅野先生は淡々と答えた。


「というかね、監視カメラのチェックを時間の空いてる先生達が総出で日中にやってるんだよ。昨晩から今朝まで校内にいたのは、私と臨時見回りをしていた立花先生だけだ。まあ、立花先生は零時過ぎには帰ったけどね。それも玄関のカメラに写っている」

僕を含めて皆は黙って聞いていた。


「だからね、弓削。この件は先生達に任せなさい」

そう諭すように浅野先生は弓削さんに語りかけた。弓削さんはしばらく静かに虚空を見つめて放心していた。心配した様子で、津田さんが弓削さんの肩に手を当てる。

「……ねえちはる、もうやめよ。意味ないよ」

その後ろで天野さんもこくこくと頷いていた。

 

 

 弓削さんは肩を震わせながらなにかぶつぶつ言っていた。すると急に身体の震えが止まった。

「……んなの、……そんなのダメだよ。証拠になってない。じゃあ一体誰がやったって言うの!! 私は!! 絶対この事件の、は、犯人を! 捕まえなきゃいけないんだ!! 」

浅野先生と立花先生を鬼の形相で睨みつけながら悲鳴を上げた。その異様な様子に教師二人の顔にも緊張が走った。ゴクリと喉を鳴らした浅野先生がつい口走る。


「弓削……どこかで……弓削……! そうか、お前あの事件の、」

そう言いかけたとき、立花先生が鋭く遮った。

「先生! それ以上は! 」

はっと気づいたように浅野先生は口を手で塞ぐ。

「あの事件って? 」

急に口を割って入ってきたのはなんと天野さんだった。教師二人はしまった、という顔で地面を見つめていた。気まずい沈黙が訪れる。




「ねえ、教えてください。あの事件って何ですか」

明らかに場の空気は凍っているというのに、意にも介さず口を開いたのは、なんと天野さんだった。この人、意外と空気を読まないタイプなのか。


ずっと俯いていた弓削さんがぽつりと呟いた。


「十二年前、この学校であった事件だよ。魔女狩りの話の元になった事件。私はその関係者」

僕と津田さんはぽかんと口を開けた。

「え? ちはる、どういうこと? 」

青ざめた顔で津田さんが尋ねると、弓削さんは顔をあげた。


「魔女狩りの怪談で出てくる女生徒の本当の名前は弓削紗子。私の従姉妹」

天野さんが目を見開いた。弓削さんは続けた。

「歳は離れていたけど、優しいお姉ちゃんだった。家も近所で、家にたくさんきれいな人形を持ってて、よく遊んでもらった。なのに、あんな、あんな死に方……絶対に紗姉ちゃんは自殺なんかする人じゃない。だから、あたしはあの事件の真相を解き明かさなきゃいけない。ぜっったい! 」


目を腫らし、最後の方は涙声になっていた。その声は悲痛だった。


「イタズラ半分であの事件を真似て愉しんでるやつがいる。それが許せないんだ、あたし」

そう告げる弓削さんの目には気迫がこもっていた。


「だからあたし達にも調査に協力してって言ってきたんだね」

天野さんが静かな声で弓削さんに尋ねると、頷いた。また気まずい沈黙が流れる。

ああ、天野さんがあんなに朝早く登校していたのはそういうことだったのか。

 

 そんなことを思っていると、一際大きな女性の悲鳴が聞こえた。当直室の面々は緊張した面持ちで顔を合わせた。

男子学生がバタバタと廊下を走りながら叫ぶ声が聞こえてくる。

「おい! また出たぞ! 今度は屋上だって!! 」

 

 

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