第6話 天野美凪

 既に冬の訪れを感じる街は、肌寒かった。父と姉に合わせて起きてしまったものだから一時限目には十分間に合う。僕はまず病院に行って母への封筒を預けてから、ちょうど一時限目が始まる頃の学校に行き、用務員のおじさんに手紙を渡して家に帰るコースを思い描いていた。着替えて外に出たんだから、それで十分だ。


 だが、そんな淡い期待は、通学途中の学生たちが合流する道の手前まで来て打ち砕かれた。あの中を通って病院に向かう? 冗談じゃない。即座に反転して振り返った瞬間、ふわっと柔らかいものにぶつかった。思わず眼を見開くと、そこにはうちの学校の制服を着た天野さんが居た。

「あ……」

と思わず声を漏らすと、不審者を見るような目で僕を見つめた。あ、と小さく呟く。

「こないだファミレスにいた人」


 目を大きく見開いて僕を凝視する。僕はレントゲン検査を受ける時のようにこわばった。覚えられた。こんな綺麗な子に!心拍数が上がる。

「へー同じ学校なんだー」

舐めまわすように制服姿を見られた。

「あ、う、う、ん」

「お、おはよう、ぐ、ぐうぜ」

しどろもどろになりながら挨拶をしようとすると、

「おはよーみなー!」

と急に後ろから声が聞こえてきた。


 天野さんはにこりと笑みを浮かべ、

「おはよう、ちはる」

そう言うと僕の横をあっという間に通り過ぎた。スタスタと歩いていき友達に合流する。友達も綺麗な人だ。


 周りの男子も女子も皆ちらちらと見ている。それはフィクションの中の女子高生のようであった。呆然と立ち尽くしてしばらく見送ると、50メートルくらい離れたところでこちらをちらりと伺い、小さく手を振ってくれた。天野みなさん。僕はしっかりと心に刻み込んだ。

 

 天野さんと衝撃の再会を果たし、その余韻に浸っていると、気づけば学校に着いてしまった。しかも運の悪いことにちょうど担任の出勤時間に合わせてしまったものだから、捕まった猫のようにあっという間に僕は校内に連行された。よく登校した、大丈夫か、元気かと何度も背中を叩かれて、僕はずるずると流されるしかなかった。


 教室まで連れてこられたが、正直席が分からず立ち尽くした。顔がわからないクラスメート達の、珍獣を見るような視線を受けながら、暖房が入り始めた程よく暖かい教室でぼーっと窓の外を見た。天野みなさん。ずっと頭にこびりついて離れない。


 すると不意に話しかけられた。

「久しぶりだねー栗栖くん」

意地悪そうな声だ。振り向くとそこには天野みなさんが居た。僕はまたしても心臓が止まりそうになった。そんな僕を真顔で見つめながら、わざとらしくキョトンとした顔をしていた。

「転校してきて二ヶ月くらいになるけど、初めて見たよ」

それはそうだろう。だって三ヶ月は登校していない。と言うかなんで僕の名前知ってるんだ? 


「何、知り合い?海奈さんの? 」

と後ろから馴れ馴れしく朝見た女子が手を伸ばし、海奈さんの肩に回していた。僕はと言うと、漢字もわからない名前に勝手に当て字をしてしまうほど混乱していたので、

「あ、あの、大阪屋! あ、あそこでも会ったよね!! 」

と思わず白状してしまった。


 一瞬、賑やかな教室の空気が凍る。彼女はまた突き刺すような視線で僕を見た。


  そうなの?と興味津々な後ろの女子が彼女の肩を揉み始めると、天野さんは黙ったまますっと振り向いて向こうに行ってしまった。僕は俯いた。いくつもの視線が、僕に浴びせられているのがわかった。ただでさえ赤面症気味で注目を浴びることが苦手な僕は、じとりと背中に汗をかきながら完全に固まった。


 もう何も考えられず、その日は大人しく最後まで授業を聞いているほかなかった。結局病院には帰りに寄ることになった。


 それからしばらく僕は真面目に学校に通った。天野さんとの絡みは全くない。さっぱりついていけない授業に悶々としながら、一ヶ月が経った。



 そして、ある事件が起きたのは、ちょうど街が師走の慌ただしさを見せ始めた頃であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る