第5話 再会(2)

 帰り道、姉が誰に向けてでもなく話し始めた。

「あの、さっきの子。不思議な雰囲気の子だったね。なんて言うか、人間離れしてるというか、いやすっごい可愛いんだけど。どこかで見た気がするんだよねー。雑誌かなー? 」


「確かに、ちょっと近づきがたい美人さんという感じだったね。お人形さんみたいな顔してたけど、本当の人形みたいに生気がないような、現実的でないような、そんな空気を感じたよパパも」

父もおもむろに語り始めた。


「あの子は、なんだろう、浮世離れしてる感じがするね。触ってはいけないもののような、それこそ天ぷらを作るときみたいに繊細に扱わなければいけない、そんな感じがしたね」

父の料理はプロ並みだ。それを聞いた姉は

「ご飯食べた帰りにご飯のたとえってどうなの?パパ」

と、胃もたれしたような顔でつぶやいた。


「ごめんごめん。僕もおなかいっぱいだよ。ただ、僕のライターとしての直感だけど、ああいう子は絶対になにかおもしろい秘密を持ってる。アキはいい子と知り合いになったね。次会ったらもう一歩踏み出してごらんよ。どうせ学校行かないんでしょ? 」


狙ってなのかそうでないのか、たまに父は心臓に刺さる一言を発する。そんな様子を憮然とした顔で見つめながら姉はこう続けた。

「パパが言ってることはわかるよ。確かにあの子はきっと何かある。でもあの子きっと、それと同じかもしくはそれ以上にやばいもの持ってると思うよ。美人は色々あるんだから。整った顔立ちだけど表情は薄いし、なんかフツーの友達居なさそう。ああいうの好きなの? 」

急に僕に話を振ってきた。


「い、いや好きとかそういうんじゃないよ名前も知らないし喋ったことないし」

と答えると、いたずらっ子のような意地悪そうな顔でにやにやと僕の顔を見つめてきた。

「ふふふふ、青春してるねー。ふふふふ」

「名前はね、天野ちゃんっていうみたいだよ。名札に書いてあった。十六歳だって。同い年じゃん」

それを聞いてまた心臓に何か走った。

「でもアキにとってはいい機会かもしれないね。四月に一年生名簿見たけど、そんな名前の子いなかったと思うから、きっと転校生だね」


 父は賢ぶるときがあるからこの発言は当てにならないが、姉の視力は間違いなく家族の中でも一番高いので信憑性が置けた。僕はずっと、口の中がしょっぱいような、痒いような気がして唇をもぞもぞとさせていた。

 

 満腹のお腹を抱え、皆疲れてしまったその日、ほどなく家の灯りは消えた。しかし、僕は昼夜が反転していることもあり、なかなか寝付けなかった。寝る前にはいつも通りジャスミン茶を飲んだが、満腹感もあいまってVRゲームは出来なかった。最初は暗かった部屋も、うっすらと街灯の明かりで眩しく見えてきた。

 

 天野、天野何さんと言うのだろう。きっとまた奇想天外な名前に違いない。


 父は彼女を現実感がない、と評した。姉は危険(やばい)と評した。僕はどうだろうか。どこか掴みどころのない、そしてたぶん少し意地悪な子。男女問わず誘惑するような妖艶な色気を持った小悪魔。姉の評に近いのだろうか。


 だが、たった二回しか会っていない経験だけから考えても、意地悪な中にほんの少しの優しさを感じた気がする。その優しさは多くの人に向けられるような、聖書で言う人類愛のような優しさだ。ただその優しさは頑丈な幾重もの檻に閉ざされていて、この部屋のように暗闇に目を凝らさないと見えないものなのだ。


 ふと、無数の歪な壁に守られた塔のようなイメージが浮かんだ。そしてその塔の最上部には恒星のように輝く星が見えた。どちらが彼女の本当の姿なのだろう。


 無機質な壁か、星か。だが上空から見れば、それは不調和な形をしたなにかに違いないのだった。

 

 


 翌朝、衝撃とともに目覚めた。僕の薄い腹の上に刺さっていたものは、鞄だ。その鞄を押しつぶすように姉の白い脚が見えた。

「おはよう、あき。ちょっとお願いがあるんだけど」

返事を待たず続けた。 


「立花先生にこれ、渡してほしい。すごく大事なことが書いてあるから」

と言うと女子高生が使っていそうな可愛らしい便箋を差し出した。立花先生は姉の元担任で僕の学校の先生だ。それはつまり……

「い、いや無理だよ」

と慌てて便箋を押し返そうとした。だが、そこに既に姉の姿はなかった。


 玄関のドアを開ける音がして、遠くからよろしくー、と聞こえてきた。やれやれとまた布団に戻ろうとすると、僕をドアの端からじっと見ている父に気づいた。

「なに……」

「実は父さんもお願いがあって」

ボソボソと通らない声で呟く。


「これを母さんに持っていってほしいんだ」と、封筒を差し出した。

「母さん今日は十時から検査らしいから、それまでに頼むね」

と、姉の便箋の上に封筒を置いた。そして僕が何か言う間もなく、それじゃ仕事に行ってくるね、と普段では考えられないようなスピードで階下に降りていった。

 


 一人残された僕は、二つの置き土産を見ながら、吐息をつき、久しぶりに学校の制服に着替え始めた。

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