第4話 再会(1)

 秋雨の季節が終わり、日がさらに短くなった。相変わらず僕は家から出なかった。母の病状はさほど悪くもなく、しばらく見舞いにも行かなかった。


 部屋で一人VRゲームにける日々が続いた。最近流行りの、もし自分が全く違う時代、違う場所に生まれていたら、をテーマにしたゲームだ。

 最新機種は味覚や触覚も再現していて、僕の中のブームは一世紀位のローマ市民になりきって、散歩したり風呂に入ったり、時に貴族の宴に潜入して豪華料理を堪能することだった。視聴覚デバイスとパジャマ代わりの触覚デバイス、味覚デバイスの全てが使いすぎて限界が来たようで、同じタイミングで突然電源が切れた。


 ベッドの上でしばし呆然とした後、僕は飲み物を飲みにキッチンに降りた。冷蔵庫からジャスミン茶を取り出してコップに注いで飲む。本物の水分が久しぶりに喉を潤した。


 ふと、後ろからガタッと大きな音がして僕は振り向いた。

「あき……どうしたの!? 」

姉が慌てた様子で僕を見た。

「いや……お茶飲みに来たんだけど」

憮然としてそう答えると、姉は勢いよく僕に詰め寄ってきた。なんだろう。


「痩せすぎだよ! ここ三日くらい見ないと思ったら、何してたの!? 」

姉の目は真剣だ。

そこで初めてそう言えば二日くらい何も食べていなかった……いや、正確にはゲーム内では日々、贅食ぜいしょくの限りを尽くしたのだけれども、本物のご飯を食べていなかったことに気づいた。

「あ、げ、ゲームしてた」

気づくとふらふらしてきた。



 玄関のドアが開く音が聞こえた。

「ただいまー、あー疲れたよー」

と父の声が聞こえてきた。父は相変わらず覇気のない様子で足音もなくダイニングに入ってきた。そして、え、アキ、と僕を見て眉をひそめた。なぜかとうとした様子で僕をじっと見ている。

「パパ、あきがご飯食べてないって! 三日も! 」

捲し立てる姉の声にハッと気付き、慌てて真面目な顔になった。


「ごめん、痩せたと思ったけど昔の母さんにあまりにそっくりでびっくりしたよ。よし、今日は外に食べに行こう。家族で」

それを聞いて嬌声をあげた姉の声が脳に響き、さらに頭がくらくらしてきた。

 


 もうすっかり暗くなった空の下、三人は繁華街にいた。街はまだ活気があったが、木曜の夜はやはり人は少ないようだ。

「ヒカは何が食べたい?」

父が姉に聞くと、焼肉と寿司としゃぶしゃぶ、と呪文のように抑揚のない答えが返ってきた。

「う、うん。せめて一つにしないかな」

父が言葉を濁す。そんな様子を見て姉は満足気に笑みを浮かべ、まだ給料日前なんだからファミレスでいいよ、と答えた。それでいいかい、と僕にも尋ねたので頷いた。

 


 緑のネオンのファミレスに入り、姉は三名で、と店員に話しかけた。僕は現実的な空腹感が限界に来ていることに気を取られ、ずっとお腹を見ながらさすっていた。


 程なくして席に案内され、メニューを差し出される。姉はハンバーグと焼肉で、と即座にオーダーし、父は、じゃあラーメンを……と蚊の鳴くような声で囁いた。その間ずっと下を向きっ放しだった僕は、ドリンクバーで、とやはり蚊の鳴くような声で呟いた。


「ちゃんと食えよ」

姉が刺すような視線で睨みつけてきた。

「……と、スペシャルサラダ」

と付け足すと、女子かよという突っ込みが入った。

「いやまずはお腹の調子整えてから、ちゃんと頼むから」

と言い返すとハイハイ、とまだ不満足そうな顔だった。その様子を見てか、プ、と誰かの吹き出したような音が聞こえた。


「あー……じゃああとオニオンスープください」

少し不貞腐れた顔で店員にそう告げて何の気なしに顔を見る。その顔に見覚えがあり、思わず目を凝らすと、彼女は途端にテーブルを見ながら、


「ハンバーグセット、単品グリル焼肉、ラーメン、スペシャルサラダ、オニオンスープでございますね。少々お待ちください」

とお経のような抑揚のない声でオーダーを繰り返した。

吸い込まれそうな夜空を連想させる瞳に僕は思い出した。


 インタビューの、そしてパン屋の女の子。フリルの着いた可愛らしいメイド服のような制服をはためかせながら彼女は颯爽さっそうと立ち去った。僕はまたも呆気にとられてずっとその後ろ姿を見送っていた。その様子を見て、察しのいい父が僕に尋ねてきた。

「知り合いかい? すごい綺麗な子だね」

「モデルみたい……」

姉が少し頬を赤らめて呟いた。


「あなた学校行ってないのにどうやって知り合ったの」

「えーと、街をプラプラしてるときと、大阪屋で、み、見ただけ」

と俯きがちに答えると、姉がにやりと笑った。

「へえー、あきと同い年くらいかな。やっぱり女の子には興味あるんだね、あきも」

少し意地悪そうな声色で僕を弄ってきた。すぐに人をいじりたがるのは姉の悪い癖だ。父はその様子を見て、やはりマイペースに独り言を言う。

「まあ、あれだけ綺麗だと意識しちゃってもしようがないね。そんな偶然が重なっちゃったら」

そう言って微笑ましそうにこちらを見た。なんだって言うんだ名前も知らないのに。僕は心の中で独り言を呟いた。


 程なくして頼んだものが届き、久々に食事をした。食べ始めるとどんどんお腹が空いてきて、結局二人分ほどの量を平らげた。姉は三人分くらい食べたのではないだろうか。

会計のときまた彼女が来て、何故かずっと視線を感じた。僕はなんだかどぎまぎしてしまい、ずっと姉の後ろで知らぬ顔を決め込んでいた。

  


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