第1話 少女との出会い(1)

 この国には魔女の伝承がある。


 八千年前に生まれた魔女が世界を作った。科学が発達した今、一笑に付されるような根も葉もない迷信だ。だが、信心深い人々はまだ信じているという。魔女が宇宙や世界を作り、この日本を建国した。国教であるイエズ教は唯一神を信仰してはいるが、そもそもイエズは男だし、世迷いごとにも程がある。それが平均的な日本人の感覚だった。

 

 だが、僕の住む街では、この四方山話よもやまばなしのバリエーションが妙に豊富だった。曰く、魔女は双子だった、魔女は世界をひっくり返した、果ては、魔女は日本人の敵であった。まるで二次創作のような妄想が溢れていた。

 

 僕の家族━━来栖家も多分に漏れずイエズ教徒だったが、なぜか十字架ではなく、奇妙な門のような形をした架をまつっていた。そもそも平凡な核家族なのに家に祭壇じみたものがあるのが珍しい。そんな変わり者一家だからか、僕は町内で有名なとびきりの落ちこぼれだった。

 

 そう、僕は昔から人間が苦手な子供だった。小学四年でいじめにあってから世界の全てに見放されていた。早く世界に隕石が落ちればいいと思いながら世を拗ねて、もう長い。最近生まれて初めて親に癇癪かんしゃくを起こし父親を泣かせた。こんな息子で申し訳ないと思いつつ、優しい家族に甘えていた。

 

 両親はまるで人形のように僕をでき愛してくれて、その甲斐もあってか小さな頃は人を疑うことを知らなかった。小学校一年生の頃など、世界の人達は皆友だちと思っていた。まあ、そんな子どもが弱肉強食の学校生活に耐えられるはずもなかった。

 

 幸いなことに母が根気強く家庭教師をしてくれたこともあり、学力については何とか中学レベルを超えることが出来た。不登校気味ながら何とか高校に受かり、最初は勇んで通っていたが、彼女が半年ほど前に病に伏せてから、行かなくなった。ほとんど外に出ていない。

 唯一の日課は、父と姉にたまにもらう小遣いを握りしめて、近所のパン屋で少し懐かしい塩バターパンを買い、三日に分けて食べることだった。


 

 その日、僕は十日ぶりに外に出た。陽の沈む一時間前、少し陰った金星が見たくて、散歩を思い立った。あまりに久しぶりの外出で歩行がぎこちない。それでもからりとした晴れの空気は心地よく、いつにも増して上機嫌で街へ向かった。


 まだまばらなネオンと雑踏。人混みは苦手だが、この時間程度であればまだ耐えられる。六時を越えると一気に人が増えるから、今のうちに散歩を済ませよう。一時間で絶対に帰る、そんな情けない決意をしてしばらく歩き、大通りの交差点に出た。


 交差点の横断歩道の奥に人だかりが出来ていた。少しいやな気分になりながら僕は横断歩道を渡った。やけに熱量を感じる人混みに思わず気を取られて歩いていると、帰りがけのサラリーマンにぶつかりそうになった。こちらを一瞥いちべつする視線を受けただけで僕は縮こまってしまい、思わず、すみません、とか細い声を上げた。人混みも苦手だが、人そのもの、特に機嫌の悪そうな中年男性は一番苦手だ。

 

 人だかりに近づくにつれ、異様な熱気が伝わってきた。騒がしくはあるが、なぜか静かな空気だ。雰囲気に少し好奇心を刺激された僕は、普段は絶対にしないことだが、背伸びして遠くから様子を伺った。


 街頭インタビューのようだ。インタビューを受けているのは、僕と同じか少し下に見える少女のようだった。同い年くらいの子を見るのが三ヶ月ぶりだった僕は、視線を強めて人だかりの後ろから背伸びした。


 遠目から見ても美しい子だ。陶器のような肌は白すぎて半透明のガラスのようだった。艶のある黒髪がネオンの光を受けてところどころ蒼く輝いて見えた。華奢な身体を包む制服からほっそりとした腕が生え、青ざめた細い脚が生えていた。背は僕と同じか、少し大きいかもしれない。


 顔がまた小さい。ぱっちりとした綺麗な二重の瞳に、人形のような小さな鼻と唇が形よく付いていた。自分とは世界が違う。そんな言葉が浮かんできた。見れば周りに集まっている人たちは女神を見るような陶然とした表情で少女を眺めているのだった。


 インタビュアーの女性もうっとりと目を輝かせ、彼女の一挙手一投足を伺っているようだった。少女は悟ったような冷たい表情を崩さず、淡々と質問に答えていた。その様子はARで合成されたCGのキャラクターのように見えた。


 思わず自分も見とれていると、ふと目が合った。鋭い視線が僕を射抜いた。一瞬で僕は全てを見透かされたような気分になり、慌てて目を逸らして人だかりから逃げ出した。心臓が少しずつ鼓動を上げた。たまには外に出てみるものだ。少し頬を赤らめながら僕は家に帰った。あの子のことを思い出すだけで二日は外に出なくて良さそうだ。

 

 

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