第34話【エピローグ】

【エピローグ】


 廃棄区画での戦闘から、首都防衛部隊本部基地へと帰投する。交通手段は防弾トラック。俺とリールは二人っきりで、荷台で揺られていた。


「怪我はないか、リール?」

「う、うん、でもデルタ、あなたは……」


 心配げにこちらを上目遣いで見つめるリール。その瞳に、いつかのリアン中尉のそれを思い出し、俺はさっと目を背けた。


「俺も大丈夫だよ、さっき応急処置は受けたからな」

「そう……」


 リールが体育座りで俯く。その横顔を、俺は見つめた。

 涙の跡が、あどけない頬に線を引いている。


 ああ、そうか。リールは感情というものの一片を手にしたのだ。それはきっと、自分が殺されるかもしれないという恐怖感。無事救出されたことによる安堵感。加えて、自分の姉が命を落としたという悲しみ。


「……」


 俺は音もなくため息をついた。リールは今まで感情を失っていた分、余計に苦悩や悲哀を背負い込まねばならないのだ。


 そう思いを馳せた、まさにその時。


「デルタはどこへも行かないよね? 本当は整備士なんだもの、もうステッパーなんかに乗らないよね?」

「それはどうかな」

「そんなっ!」

「お、おい、冗談だよ。左腕が動かないんだ、少し落ち着かせてくれ」


 リールは意外なほど、あっさりと手を離した。

 今の遣り取りで納得したのか。それとも、俺の言葉を疑うだけの心理をまだ持ち合わせていないのか。それは分からない。


 しかし、それにしても。

 彼女の身柄を拘束していたのは、少年兵だった。大人たちの都合で捨て駒にされた、哀れな戦闘員。

 そのことを考えれば、自分もかつてはそうだったのだという意識が強くなる。俺の味方四人は、呆気なく戦死してしまった。その喪失感は、俺の胸を未だに焼いている。

 俺としては、敵の少年兵六人が、極刑に処されないことを祈るばかりだ。


 刑罰と言えば――。


         ※


 翌日。

 右脇腹の治療をしてもらった俺は、車椅子に座っていた。滑らかな床面を、看護師に押してもらいながら進む。

 その先にいたのは、俺が最も信頼する人物だった。


「やあ、デルタ。負傷したのかい?」

「お生憎様、致命傷じゃないぞ、ルイス」


 鉄格子を挟んで、ルイスと軽口を交わす。彼が極刑を免れた、と聞かされるまでは、俺は眠るに眠れなかった。しかし今、こうして彼の無事は確認できている。


「飯は? ちゃんと食ってるか?」

「ああ、大丈夫だよ。この基地内の留置所も、随分清潔だね。自分のやったことを思えば、救われたと思っているよ」

「そう、か」


 俺は思い切って尋ねることにした。


「ご両親に、会いたくはないか?」


 するとルイスは、はっと目を見開いた。しかし、すぐに俯き、かぶりを振る。自嘲的な笑みを浮かべて。


「いろいろ考えたけれどね……。僕の両親が、安全で、かつ健康的な生活を送っていると、敵国の諜報員は言ったんだ。でもそれって、両親が僕を捨てて、二人だけで亡命したってことだろう? それで彼らを『親』だなんて呼べるかい?」

「そう……だな」


 もし、俺の両親が生きていたら、俺はどんな人生を歩んでいたのだろう。いいや、全く見当もつかない。

 だが、ルイスが常に葛藤していた、ということは想像に難くない。周囲にそれを悟られまいとしていたであろうことも。


「デルタ伍長、間もなく戦没者慰霊祭が行われます。大講堂の方へ」

「了解」


 車椅子を押してくれている上等兵に、俺は頷く。


「また来るぜ、ルイス」

「是非そうしてくれ。待ってる」


 俺は大きく首肯して、留置所を後にした。


         ※


 慰霊祭は、滞りなく淡々と進行した。首都防衛部隊はその規模と予算を拡充させ、より強固な防衛体制を敷くという。それは結構。二の轍を踏まないでほしいものだ。

 一つだけ印象に残ったのは、戦死者の名前が読み上げられる際の、俺自身の動揺だ。


「リアン・ガーベラ少佐!」


 そうか、二階級特進なのだな。俺はその事実を受け、しかし死者は生き返らないというリールの言葉を思い出した。

 そうそう、リールはといえば――。


 慰霊祭終了後、俺は上等兵に頼み、中庭に出た。今は誰もいないように見えるが、ビニールハウスの方を見て、俺は内心、やっぱりこれでよかったな、と呟いた。


 俺はリールに、慰霊祭の間はこのビニールハウスにいるように、と言いつけておいたのだ。

 上官に言いつける、というのも軍属としてどうかと思うが、俺とリールにとっては些末な問題だ。ちょうど来客もあるし。


「これはね、薔薇っていうお花! こっちはカーネーションで、あっちはネモフィラ!」


 ソフィが、リールを相手に花の名前を教えている。今更だが、彼女たちを引き合わせたのは、両者にとって吉と出たようだ。

 俺は同伴していたメリアと二、三言葉を交わし、今後のことを話し合った。


「車椅子生活から復活したら、自分はリール軍曹の後見人になるつもりです」

「まあ、デルタ伍長、あなただってお若いのに……」

「ええ。それでも、いろんなことを見聞きしてきましたから、リール軍曹が感情を取り戻す一助にはなれるかと」

「そうですか」


 にっこりと笑みを浮かべ、メリアは娘に声をかけた。


「ソフィ、時間よ。今日はそのくらいになさい」

「はい」


 実に素直に、ソフィは母親の下へ戻った。


「じゃあね、リールちゃん!」


 リールは不思議な顔をしていた。まだ他者と出会うことの喜びを得られていないのだろう。


「ほら、リール。お前も手を振れよ」

「うん」


 その横顔は、やはりあどけなかった。しかし、姉譲りなのだろうか、洗練された目つきをしているのはよく分かった。


「リール、そろそろ夕食の時間だ」

「うん」


 再び不愛想な返答を寄越すリール。だが、今はそれでいい。

 少しずつ。少しずつ心に栄養を与えていければいいのだ。


 リールが人並みの感情を取り戻した時、俺はリアン中尉に託された任務を全うすることができる。

 戦争が終わるのと、どちらが先かは分からない。だが、一つだけ言えることがある。


 俺は、かつての俺とは全く違う自分になれたということだ。

 人の命を奪うのではなく、人の心を育てること。それを重視するように、俺の心は突き動かされていた。


 少しは、リアン中尉の遺志を引き継ぐことができているだろうか?

 どうかそうであってほしい。


 そう願いながら、俺はその場でそっと両手を合わせた。


 THE END

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鮮血と硝煙の向こうに 岩井喬 @i1g37310

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